物理式による応戦
王立学院最大の演習広場は、今日に限って闘技場と化していた。
観覧席には学生、教員、審査官、そして詠唱派の高位魔術師たちまでが集まり、ざわつきと殺気が同居する空気をつくり出している。
審査官が声を張る。
「魔術演習、双方の魔術式による火球生成。発動条件は自由。安全規定に従うこと」
ディルトン・ヴァヌスが前へ出た。
長衣の裾が赤い魔術紋をなぞるように揺れる。
彼の詠唱は、宗教儀式のように荘厳で、魔力そのものを服従させる威圧を帯びていた。
「燃え上がれ、古より顕現せし炎の精霊よ……我が血脈を鍵とし、天より降り来たれーーFlamma Orbis Maxima!」
魔力陣が円環状に展開し、空気を焼いた。
轟音と共に直径三メートルの炎球が出現。
赤熱の表面は脈動し、光の層が波のように流れる。
観客席がどよめいた。
「すげぇ……」「高等式だぞ」「あれが詠唱派の最高峰……」
だが、ケイルは眉を潜めた。
巨大である。だが不安定。
温度勾配が均一でない。表面張力が崩れている。
揺れ続ける炎の膜が、いつ爆ぜてもおかしくない。
ディルトンは満足げに杖を掲げた。
「これが正統の魔術だ。神霊の加護を受けし炎。詠唱なき偽物に——」
ケイルは一歩前へ出た。
詠唱しない。杖も掲げない。
ただ、人差し指で空間をなぞる。
(媒質Φの局所振幅を収束。温度差ΔTを極小化。導入ポイントは……ここだ)
手を軽く握る。
ぽん、と静かな音。
拳大の火球が浮いた。
青白い中心核、外殻は均一な赤。
炎が揺れない。空気の震動すらほとんどない。
観客席から、声にならない息が漏れた。
「……小さい?」
「いや……揺れてない……」
「なんだあれ、表面波が消えてる……」
審査官の魔力測定器が震えた。
針は緩やかに上昇し続ける。
ディルトンの巨大火球は振動で値が上下し、熱量の損失を垂れ流している。
ケイルは静かに言った。
「媒質が乱れない限り、エネルギーは保持される。詠唱は境界条件の指定に過ぎません」
ラクシア教授は息を呑んだ。
震える声が漏れる。
「これは……エネルギー保存則に従っている……」
観客が一斉にざわめいた。
今までの魔術は「燃えろ」と命じれば燃える。
神霊の機嫌次第で不安定になることを当然と受け入れてきた。
それが——この小さな火球は物理法則の支配下で安定している。
ディルトンは叫ぶように詠唱を重ねる。
炎球の揺らぎを抑えようと魔力を注ぎ込む。
しかし、揺れは止まらない。
むしろ乱流は増幅し、外殻の一部が破裂音を立てた。
赤く灼熱の火の粉が散る。
「やめろ! 危険だ!」
審査官が魔術防壁を展開した瞬間——
ケイルの火球はふっと光を弱め、媒質に還元されるように消滅した。
燃焼残渣すら残さない。完璧な静的操作。
ディルトンの炎球だけが、失敗の遺物として空間に取り残される。
彼の額から汗が一滴、落ちる。
青ざめた顔は怒りではなく、理解した者の絶望に近かった。
「馬鹿な……精霊の威が……この子供の……指先に……」
ラクシアは震える声で呟いた。
「違うのです、司祭殿……
精霊など介在していません。媒質が、温度差を取り戻しただけ……」
その言葉が、学院の歴史に亀裂を走らせた。
詠唱は信仰でも儀式でもない。
魔術は神霊の気まぐれではなく——
法則に従う現象であり、制御可能な科学である。
この公開演習は後に「転換の始まり」と呼ばれ、
詠唱派の権威が音を立てて崩壊した瞬間として語り継がれることになる。




