魔力=媒質Mの仮説
夜半。寮の廊下は魔力灯の青光に照らされ、静まり返っていた。窓の外では魔力風が森の頂を撫でるように流れ、葉が微かにざわめく。
ケイルは机の上に羊皮紙を散らし、羽ペンを握ったまま額を押さえた。脳裏に浮かぶのは講義で見た火球の軌跡、熱の発現遅延、そして消失時の余熱。
偶然の連鎖に見えるが、観測された以上、必ず系が存在する。
ペン先が紙を走る。
――魔力(M)は空間を満たす媒質である。
書きながら、彼は深く息を吸う。
水や空気のような流体でもなければ、電磁場のようにベクトルを持つとも限らない。おそらくはスカラー場だ。
その内部に潜む値の分布こそが、魔術式の実効を担う。
ケイルはノートの左端に大きくΦと記す。
魔力密度Φ。
座標を持たず、可視化もできない。ただ、魔術発動時に局所的振幅が生じる。
ならば魔術式は、このΦを振動させるための制御回路であるはずだ。
試案を書きつける。
ΔΦ = -κ ∂T/∂t
ΔΦは媒質の密度変化。
温度勾配∂T/∂tが媒質に干渉し、その挙動が誘導される。伝熱ではなく、媒質が反応して熱エネルギーを生成する。
(火球は、炎を呼ぶのではない。媒質を叩き、熱を発生させる)
紙をめくる。ペン先が勢いを増した。
――詠唱は媒質へのポテンシャル操作を符号化したアドレス指定に過ぎない。
音声、語彙、リズム。
そのすべてが回路の鍵であり、魔力密度Φの位相を決める。
信仰や血統は媒質へのアクセス権であって、原因ではない。
ケイルは椅子の背から半ば落ちるように体を預け、天井を仰いだ。
寮の石壁を満たす魔力の流れは、その瞬間も微弱に脈動している。
誰もそれを「感じられない」と言うが、彼には明確に理解できた。熱の揺らぎ、空間の圧縮。そこに媒質がある。
「……世界は宗教で動いている。だが、数式は嘘を吐かない」
静かな独白が、暗い部屋に沈んだ。
机の上の羊皮紙には、未完成の回路図のような魔術式が描かれている。
それはまだ誰にも見せられない。異端と断じられるに決まっている。だが、ケイルの胸には確信が芽生えつつあった。
魔術は信仰ではない。
媒質という海に干渉する、ただの現象だ。
ならば解析できる。再現できる。支配できる。
窓辺で魔力灯が微かに明滅した。
世界が息づく音を聴きながら、ケイルは次の数式を書き始めた。




