伏線の強化:特権の死、科学の恐怖
石板を取り巻く空気は、研究室の温度よりも低かった。
バルキスの荒い呼吸だけが、透明樹脂の封印に反響しているように思える。
誰も声を掛けない。
言葉は救いではなく、遺跡の温度を乱すノイズに過ぎなかった。
ラクシア教授だけが、静かに歩み寄る。革靴の足音さえ慎重で、石板の刻印へ視線を一度だけ落とす。
「特権性は体系化された瞬間、誰にでも届く。」
それは慰めではなかった。事実の記述に近い淡泊な響き。
教授の瞼の奥には、研究者の倫理ではなく、研究者が何度も見てきた“崩壊の瞬間”が沈んでいる。
「だから古代は封印した。」
封印は慈悲ではなく、抑止。
理解が普遍へ拡散する前に、遺跡ごと埋め殺した文明の理性。
ケイは視線を石板から離さなかった。
数式の断裂は、彼にとって祈りの呪いではなく、美しい最適化探索の跡だった。
「だが封印は破れた。」
彼の声は震えていない。熱も誇りもない。
ただ、論理の結果を淡々と報告する機械のような静けさがそこにある。
「再現可能性は、もう“解かれて”しまった。」
その言葉が、研究班の誰かの背筋をひっそりと折った。
魔術は血統の象徴でも、奇跡の贈与でもない。
数式の域へ落とし込める限り、それは量産の技術に堕ちる。
窓の外で風が鳴る。だが誰もそちらを見ない。
視線を逸らせば、石板に刻まれた紋章が脳裏に焼き付くのを認めることになるから。
最も強い者が最も深く傷つく。
特権を持つ者が、特権の死に最初に触れる。
バルキスは崩れたまま、拳を震わせていた。
彼の口から漏れた言葉は、もはや祈りではない。
「何故だ……我らの誇りを、式に置き換えるなど……」
誰も答えない。答えは既に、石板の上に存在するからだ。
研究室は、冷たい計算の静寂に沈み込んでいく。




