炉の目的 ― 魔力ではなく“均衡”
2:30〜
基台の内部に足を踏み入れた瞬間、風が止んだ。
遺跡の空洞は大気の循環さえ拒絶し、ただ沈むような静寂だけが残る。
魔術的な濃度は低い――にもかかわらず、胸の奥底に圧の膜が張りつく。
見えない手で呼吸を整えられているような感覚。
床面には溝が刻まれていた。
だがそれは魔力を一点に導く導線ではない。
中心へ収束するのではなく、周縁へと分散していく。
規則的な湾曲、複雑な分岐、そして交点の不在――
まるで都市全体に張り巡らされた毛細血管の模型のように。
「……増幅炉じゃない」
アルノが低く呟いた。
戦術魔術を得意とする彼にとって、その事実は直感的な拒絶だった。
「生成もしない。蓄積もしない。なら、何のために――」
ケイが答えたのは言葉ではなく、手の動きだ。
携帯端末のホロスクリーンに、指先で構造を描き写す。
リング、外周符式、流路、基台内部の配線。
要素を一つずつ削ぎ落とし、最後に残ったのは数学的な骨格だけ。
「調律装置だ」
ケイは端末のシミュレーションを回転しながら言う。
「魔力を生み出す器官じゃない。都市という系の偏差をゼロに近づける」
擬似モデルが表示される。
Ψ_out = Σ(Ψ_in / n) – Δφ
Δφ:空間歪曲補正項
画面に浮かんだ数式は、魔術の常識をあっさりと裏切った。
個人の魔力差、地脈の偏り、儀式の失敗――そのすべてを平均化してしまう。
暴走も、暴発も、偶然も、血統による“天与の差”さえ消す。
「都市全体の魔力を……ならす装置」
ラクシア教授の声は吐息に近かった。
それは賞賛でも感嘆でもない。恐怖を含んだ理解。
「街を巨大な回路として扱い、住民ごと管理していたのか」
ケイは頷く。
「偏差を放置すれば災害が発生する。魔力文明では致命的だ」
「この装置は、個の強さを否定している。
誰かが突出すれば、均衡へ引き戻す。
全体が乱れれば、均して応答する」
バルキスが青ざめた顔で周囲を見渡す。
「じゃあ――我々の魔力も、今、測られている?」
答える代わりに、空間が微かに震えた。
耳鳴りにも似た低い波が足元から脊髄へ走り、瞬間的に班員たちの呼吸が一致した。
自我の意思ではない。
都市の亡骸が、彼らを秩序の一部として扱い始める。
ラクシアが小さく呟いた。
自身に言い聞かせるような、恐れの滲む声で。
「古代文明は……魔術の“神秘”を捨てなかった。
ただ、それを均衡という暴力に従わせた……」
その瞬間、遺跡は沈黙のまま、確かに脈動した。
まるで「理解」を察知し、更なる深部へ導かんとするかのように。




