外周符式の読解 ― 言語ではなく数式
1:50〜
リング装置の外周に刻まれた紋路は、遠目には魔導文明の象徴のように見えた。
しかし近づくほどに、それは呪文でも紋章でもないことが露わになる。
曲線は祈りの形ではなく、座標変換のグリッドだった。
幾何学的な節点が連続して並び、複数の層が互いに投影し合う。
ちょうど位相空間を折り畳んで、最小エネルギー軌道へ押し込むかのように。
血統紋章は存在しない。
貴族が自らの血に定義する「家柄刻印」――魔術の才能を遺伝に紐付ける、あの忌まわしい証跡は、ここには一切刻まれていなかった。
代わりに並ぶのは、媒質φ、位相θ、出力Ψを結ぶ一次マッピング。
域を跨ぐダイナミクスをただの関数に落とし込む、冷徹な実装。
ケイは膝をつき、装置に触れない距離で指先を空中に滑らせた。
符式を読み解くのではなく、関数を追跡するような視線だった。
「入力媒質φを、位相θに沿って正規化し、Ψとして再配分する」
彼は淡々と語り、指先で曲線をなぞる。
「詠唱は生成の方法じゃない。初期条件の設定にすぎない」
一瞬、遺跡の空気が固まった。
研究班の誰もが、彼の言葉を理解できずに沈黙する。
ラクシア教授だけが、思考の深みへ落ちていくように息を吸い込んだ。
「……詠唱を排除するというのか」
その声は震えていた。興奮でも怒りでもなく、学術的恐怖だった。
「神秘を均質化し、人の手に収める。それは――」
ケイが顔を上げる。
照明の細い光がその瞳の奥に反射し、まるで装置の鏡面と同じ輝きを宿していた。
「再現です。誰でも検証し、同じ結果を引き出せるという意味での」
ラクシアは目を閉じた。
その単語は、魔導史において禁句に近い。
神秘の威厳を削ぎ、血統の特権を溶かし、詠唱派の支配構造を破壊する言葉。
「再現……」
教授は呟く。
それは魔術を神話から引き剥がす刃だ。
人から崇拝を奪い、技術の領域へ落とす冷たい術語。
だが、リング装置は静かに応えている。
まるでケイの解析を肯定するように、微弱なノイズφが揺れ、符式の縁に僅かな光が集った。
誰も気づかない。
この瞬間、亡骸の炉は訪問者を受け入れた。
言語でも祈りでもなく――数式で。




