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異世界物理  作者: 南蛇井


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31/48

外周符式の読解 ― 言語ではなく数式

1:50〜


リング装置の外周に刻まれた紋路は、遠目には魔導文明の象徴のように見えた。

しかし近づくほどに、それは呪文でも紋章でもないことが露わになる。


曲線は祈りの形ではなく、座標変換のグリッドだった。

幾何学的な節点が連続して並び、複数の層が互いに投影し合う。

ちょうど位相空間を折り畳んで、最小エネルギー軌道へ押し込むかのように。


血統紋章は存在しない。

貴族が自らの血に定義する「家柄刻印」――魔術の才能を遺伝に紐付ける、あの忌まわしい証跡は、ここには一切刻まれていなかった。

代わりに並ぶのは、媒質φ、位相θ、出力Ψを結ぶ一次マッピング。

域を跨ぐダイナミクスをただの関数に落とし込む、冷徹な実装。


ケイは膝をつき、装置に触れない距離で指先を空中に滑らせた。

符式を読み解くのではなく、関数を追跡するような視線だった。


「入力媒質φを、位相θに沿って正規化し、Ψとして再配分する」

彼は淡々と語り、指先で曲線をなぞる。

「詠唱は生成の方法じゃない。初期条件の設定にすぎない」


一瞬、遺跡の空気が固まった。

研究班の誰もが、彼の言葉を理解できずに沈黙する。

ラクシア教授だけが、思考の深みへ落ちていくように息を吸い込んだ。


「……詠唱を排除するというのか」

その声は震えていた。興奮でも怒りでもなく、学術的恐怖だった。

「神秘を均質化し、人の手に収める。それは――」


ケイが顔を上げる。

照明の細い光がその瞳の奥に反射し、まるで装置の鏡面と同じ輝きを宿していた。


「再現です。誰でも検証し、同じ結果を引き出せるという意味での」


ラクシアは目を閉じた。

その単語は、魔導史において禁句に近い。

神秘の威厳を削ぎ、血統の特権を溶かし、詠唱派の支配構造を破壊する言葉。


「再現……」

教授は呟く。

それは魔術を神話から引き剥がす刃だ。

人から崇拝を奪い、技術の領域へ落とす冷たい術語。


だが、リング装置は静かに応えている。

まるでケイの解析を肯定するように、微弱なノイズφが揺れ、符式の縁に僅かな光が集った。


誰も気づかない。

この瞬間、亡骸の炉は訪問者を受け入れた。

言語でも祈りでもなく――数式で。

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