【異世界での目覚め】
まぶたの裏に光が滲んだ。
さっきまでの幾何学的な魔法陣の残像が、溶けていく。
硬いシーツのざらつき。
微かに香る獣脂のような匂い。
それらの刺激が、現実に輪郭を与える。
慧一はゆっくり目を開けた。
木製の天井。窓枠は石造りで、外から朝の空気が差し込む。
不自然に古臭い――中世建築のような寮部屋。
だが、ここには見慣れない文字が刻まれた銅板が吊るされていた。
「王立魔術学院予備寮・第二区画」
声にならない息が漏れた。
魔術。学院。予備寮。
冗談では済まない単語ばかりだ。
身体を起こす。手が、自分のものではない。
指は細く、皮膚には微細な魔紋の跡。
鏡代わりに窓へ近寄ると、その像が目に映った。
黒髪ではなく、淡い亜麻色。
頬の輪郭は幼い。背丈も小さい。
十五歳ほど――いや、記憶が告げる。
ケイル・リヒトナー。
そう呼ばれていた。
魔術士名門のリヒトナー家の三男。
しかし魔力の流れが弱く、落ちこぼれと蔑まれる存在。
慧一――いや今の彼はケイルとして息を吐いた。
廊下の向こうから声が聞こえた。
少年たちの話し声。どこかの会話が扉越しに響く。
「詠唱が長ければ長いほど魔力が通るんだよ」
「ああ。詠唱に神名が含まれてないと駄目だ。
祝福の血統じゃないと式は動かない」
「この前の奴、血統が薄いから魔術式が暴走してさ。
神に嫌われたんだろ」
慧一の神経が一気に覚醒した。
詠唱すれば魔力が“流れる”。
血統が悪ければ魔術式が“発動しない”。
完全に宗教的権威を前提にした体系だ。
科学の授業で「なぜそうなるのか」を問うのが当然だった彼にとって、
この世界の理屈はただの信仰告白に見えた。
彼は拳を握る。
魔術式が成立する理由を説明しない講義。
血筋が悪いと能力が発現しないという宿命主義。
観測も理論も検証もない。
「……馬鹿な」
思わず呟いた。
二人の寮生の声が止まる。
扉の向こうで、息を呑む音がした。
「おい。ケイルの奴、また寝言か?」
「ほっとけよ。あいつ、詠唱もできないんだ。
学院試験で落ちるのが見えてる」
心臓に冷たいものが沈む。
蔑みではない。
それは――興奮の兆候だった。
この世界では「魔術」が信仰の産物として扱われている。
ならば、確かめてやる。
エネルギーとしての魔力。
媒質を持つ未知の場Φ。
魔術は物理で解析できるのか。
慧一は、ケイルの新しい身体を握りしめた。
胸の奥で微弱な魔力が脈動する。
熱、圧力、流体――確かにそこには“場”が存在していた。
「面白い。実験材料が、山ほどある」
異世界での目覚めは――敗北者の身体ではなく、
未踏の研究領域への第一歩だった。




