空洞降下 ― 星型魔術孔と幾何学の死骸
足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。湿度でも気温でもない、触れた皮膚が一瞬だけ反応を忘れるような、静電気に似た減圧感。足元の岩盤は手彫りの洞窟にありがちな削痕ではなく、均一な曲面で滑らかに削ぎ落とされている。人間の手ではなく、計算器官を持つ何かが掘ったみたいに。
空洞は巨大な逆円錐のように深く、壁面に沿って星型格子が敷かれている。見慣れた五芒星ではない。角を持つ形ではなく、曲率を持つ連続的な星が、岩肌に焼き付けられている。中心へ向かうほど曲線は細く、螺旋のように収束していた。まるで何かが中枢で永遠に回転し続けているかのように。
「……数が合わねえ」
歩測を担当していた部員がぼやいた。足元の魔術孔は人が踏み込める程度の直径だが、間隔が均一ではない。メンバーが指で測り、眼で追う。どの孔も微妙に離れ、微妙に寄っている。
「等間隔じゃない。比率が……黄金比?」
問いかけというより、恐る恐る口に出した計算結果だ。
ケイは即答した。吐き捨てるように、しかし正確に。
「斐波那契もどきだ。偏関数で最小魔力散逸になる配置。極小エネルギー曲面を格子に転写してる」
魔術孔に手をかざす。魔力の噴出はほぼゼロ。見えない。感じない。だが孔と孔の間を歩くたび、肺が勝手に拍を刻む。吸って、吐いて、そしてまた吸う。気づくと、全員の呼吸が同じ間隔になっていた。
「……今、変な感覚したよな?」
誰かが呟いた。視線が交差する。全員が肯定の表情を浮かべていた。息を合わせた覚えはない。それでも肺が一つのメトロノームに縛られるように動く。孔が呼吸を測定し、呼吸を矯正してくる。
ラクシアは黙って壁面の曲線を撫でた。指先が微細な振動を拾う。人を迎え入れる意志ではない。これは測定器だ。
(侵入者の魔力周波をサンプリングしている……。古代文明は魔術式を行使する前に、まず生体魔力を取得していた?術者を条件に合わせて調律する装置?)
脳裏に浮かぶ仮説が、岩盤の曲線とひとつに合わさる。魔術孔の幾何学は死んでいる。けれど死骸には設計思想が残っている。効率、制御、同期。人間の精神を魔力の波形に従属させるための、圧倒的な合理性。
空洞の奥から吹き上がる微風が、ゆっくりと呼吸のテンポを崩してくる。音も光もないのに、洞は彼らを数えていた。肺の振幅、心拍の微細な周期、魔力の底流。
測り続ける空間の中を、彼らは一歩ずつ降下していった。




