再現実験の要求
ケイは紙に一行ずつ静かに文字を綴った。
淡いランプの光がインクの黒を際立たせ、指先の震えが文字に影を落とす。
――学院公式宛申請書――
項目:媒質Φ制御式の段階的再現実験(公開)
申請者:木戸慧一
要旨:媒質Φの局所振幅制御に基づく術式の手順・測定値・安全閾値を公開し、第三者監査の下で段階的再現を行う。
条件:観客多数、記録官配置、過程の逐次開示、外部審査員の同席。
最後の行を書き終えたとき、ケイの手元は冷たかったが、視線は揺がなかった。
彼は封筒にそれを収め、ラクシアを探して学院議事堂へ向かった。
議事堂の重い扉はいつもより低く、静かに閉ざされていた。だが彼が扉を押すと、内部は既に騒然としていた。
論争の余波で閣僚たちが密談を交わし、詠唱至上派は顔を紅潮させている。灰燼会の影も遠巻きに感じられた。
「こちらです」
ラクシアの声が低く、確かな支えとなった。彼女は申請書を受け取り、短く目を通すと議長席へと差し出した。
「我々は——公開を求めます」
ラクシアの宣言に議場がざわつく。声は低いが揺るがない。ケイの意志が、彼女の言葉を通して会場へと届いた。
申請内容は単純で冷徹だ。
ケイは詠唱の有無を争点にしない。彼が求めるのは再現の手順と第三者による検証である。
詠唱を内包する秘伝的解釈も、血統的権威も、そこでは意味を持たない。測定器が語り、記録が真実を裏付ける。
条件の列挙が読み上げられると、会場の空気は重くなる。
――観客多数。学院と外郭からの観覧を認める。
――記録官配備。全過程は魔術測定器と音声記録により保存される。
――逐次開示。実験手順、数値、検出器の校正値を逐一公開。
――外部審査員。同分野の第三者(王国研究院より一名)を同席させる。
古来の慣習は、秘伝を「閉じられた物語」として守ることで力を保ってきた。
だがケイの要求は、その「閉じた物語」を強制的に開放し、光を当てるものだった。
詠唱派の代表が顔を顰める。ディルトンの弟子たちが小さく呻いた。灰燼会に連なる議員は色を変え、誰かが低く笑った。
「公の場で暴き立てるとは無謀だ」と囁く声もあれば、「これで終わらせられる」と安心する者もいる。
議長が重々しく口を開く。
「再現実験の許可については、学院理事会にて協議する。だが――公開条件の厳格化が必要である」
それは妥協の始まりを意味した。ケイの要求はそのまま受理されない可能性が高い。だが申請書が議場に提出された事実だけが、もはや不可逆的な動きを作り出していた。
会議を出たケイを見つめるラクシアの瞳は、いつになく鋭かった。
「君は賭けに出た。勝つか、消されるか。どちらでもいい覚悟があるか?」
ケイは黙って頷いた。言葉は不要だった。
彼の胸に宿るのは怒りでも復讐でもなく、冷徹な希望だった――真理が露わになるならば、結果は必ず明らかになると信じる確信。
申請書の提出は、小さな石を静かな水面に投げ込むようなものだった。
だが波紋は広がり、やがて学院の古い堤防を揺るがす嵐へと変わる。




