灰燼会の存在
灰燼会――その名を表に出す者はほとんどいない。だが、学院の闇を知る者であれば、誰もが噂程度には耳にしていた。
古い儀式を崇拝する秘匿団体。成立年代も目的も曖昧なまま、ただ一つの信条だけが流布する。
「魔術は言葉であり、祈りであり、捧げ物だ。式などによる抽象化は魂を殺す」
その思想は嘲笑ではなく、恐怖を伴って語られてきた。形式化された魔術理論は、彼らにとって神への冒涜であり、禁忌の触れ幅だった。
研究班閉鎖の噂が走った日、学院議会の議員の一人が密やかに退室していく。灰色の外套。袖に刺繍された燃え残りの灰の紋。誰も声をかけない。誰も目を合わせない。関われば、そこで人生が終わると知っているからだ。
彼らは講堂暴発事件を「恵み」と呼んだ。
祈りなき術が破滅を招いたという 証拠。
会合の円卓に報告が届くたび、低く湿った笑いが漏れたという。
「式は虚空を招く。理論は魂を焼く。ゆえに――燃やせ」
灰燼会は学院理事に献金を流す。貴族派の議員はそれを受け取り、票を買われたと自覚しながら沈黙する。
掲げられた議題はただ一つ。
「形式魔術の適用制限」
名目は安全措置。実質は異端審問。
ケイの名は議事録から慎重に消され、代わりに匿名の「危険な研究者」と表記された。だが誰もが知っている。誰のことを指すか。
ラクシアはその手口に覚えがあった。
十年前、彼女の恩師が同じ理論系統で焼き討ちに遭った。
研究棟ごと灰になり、後に残ったのは詠唱至上派の勝利という新聞の見出しだけ。
灰燼会は直接脅さない。
代償をちらつかせる。
噂を仕掛ける。
記録を書き換える。
中枢に潜り込み、制度そのものをゆっくりと腐らせる。
その日の夜、廃棄予定の研究区画で、薄暗いランプを前にしながらラクシアは息を吐いた。
「……あの灰の匂い、まだ消えてなかったのね」
その呟きは誰にも届かない。
ただ、冷えた研究机の上で、ケイが書いた未完成の式だけが淡く光を保っていた。




