暴発事件
学院中央講堂。
広大な円形演習場を囲む観客席には、生徒と教員、そして審査官が詰めかけていた。
模擬戦の余韻がまだ残っている。
だが、今から行われるのは「追試」――詠唱派の巻き返しだった。
ディルトンの弟子、ルガド・サラーフは、胸元に手を当てて深く息を吸い込む。
その背後には、師の視線が鋭く突き刺さっていた。
「お前は失敗していない。
雑種の式に“正しい詠唱”を与えれば、神霊は従う」
弟子は頷いたが、その額には汗がにじんでいた。
意味を理解せずに唱える言葉ほど、恐ろしい呪いはない。
審査官が声を張る。
「ディルトン派は“低揺火球”を再現する。
観客は静粛に」
一礼の後、ルガドは詠唱を始めた。
「燃えよ炎の精霊――
我が掌に宿り、均衡を保て――
秩序ある熱を以って、世界の歪みを裁け――」
観客席の空気が震える。
詠唱は正統。魔力線は鮮やか。
そして彼の掌に、灯火のような紅が灯る。
「……成功、か?」
誰かが呟いた。
火球は拳ほどの大きさで、表面は滑らかだ。
揺らぎは小さい。
見た目だけなら、ケイの実験と似ている。
だがケイは、最前列から目を細めた。
違う。これは表面だけの平穏だ。
媒質Φの内部――
熱勾配が収束していない。
流れは止まらず、内側で互いに衝突している。
「……逃げて」
思わず漏れた言葉は、誰にも届かなかった。
次の瞬間、火球の中心が脈打った。
音がなかった。
爆発は“膨張”ではなく“破裂”。
燃焼ではなく、媒質の潜在熱の跳ね上がり。
白く、短く、無音の閃光が走り、
その後に遅れて熱波が襲う。
観客席の前列が一斉に後方へ押し倒された。
訓練された生徒すら反応できず、腕や頬を焼く微細な火創が次々と刻まれる。
ルガドは叫ぶ暇すらなく吹き飛ばされた。
火球は崩れたのではなく、内側から自壊した。
熱が均等化される先を失い、媒質を食い破ったのだ。
審査官が声を張るより早く、
講堂の床に埋め込まれた魔術制御陣が青白く発光し始めた。
「――緊急封鎖、層位抑制、発火域隔離!」
幾何学的な紋章が展開し、
残滓として飛散していた熱の刃が吸い込まれていく。
空間は強制的に鎮火され、臭いだけが残った。
誰も拍手はしなかった。
観客席の半分以上が顔を引きつらせ、
残りは呆然と炎痕を見下ろしている。
「低揺どころじゃない……暴発じゃないか」
「詠唱は合ってたのに……なぜ?」
ケイは視線を床へ落とした。
ルガドが倒れた地点には、焦げと裂断痕が同時に存在している。
炎と圧力の両方が暴走した跡だ。
理解しないまま式を使うというのは、
未知の刃を鞘ごと振り回すようなものだ。
講堂の空気は恐怖へ転じた。
そしてその恐怖は、必ず矛先を探す。
彼らはまだ知らない。
その矛先が誰に向けられるかを。




