ケイの説明(最小限)
アルノはまだ息を吸い込みきれないでいた。
切断された防護布の端が、微風に揺れながら床に落ちる。
観客席のざわめきが波のように広がる前、ケイはただ短く口を開いた。
「真空を一瞬生成すれば、外部圧が刃になる。それだけです」
それだけ。
説明としては余計も不足もない、ただの観察事実の提示だった。
審査官たちは互いに顔を見合わせ、測定器の検針を再チェックする。
魔力反応は限界値すれすれ。器具が誤作動したとしか思えない数字だ。
しかし、観客の目の前で——当事者のアルノの肌の上で——結果は明確に刻まれている。
アルノは震える指で布の切断面をなぞる。
力任せの破砕ではない。魔力による焼損でもない。
鋭利な刃物で、ただ一度、寸分狂いなく通された線。
指先に引っかかりさえない、完璧な滑面。
「嘘だろ……魔力を介さずに……?」
彼は呟くように問い、問いながら理解を拒む。
それは魔術の基本理念そのものに対する冒涜。
詠唱も、魔法陣も、顕現儀式も経ずに成立する破壊。
その存在を肯定した瞬間、自分の十数年の修練が崩れ落ちる。
ケイは答えない。
語る必要も、賛同を得る必要もない。
現象は既に世界に刻まれた。議論は後から追いつく。
ただ一人、ラクシアだけが静かにケイを見ていた。
それは驚愕ではなく、恐怖でもない。
思考が一気に回転数を上げ、未知の理論を脳裏で組み上げ始める研究者の表情。
戦士でも貴族でも魔導士でもない、「理解に至った者」の目。
ケイが視線を返す。
言葉にすれば数式の枝葉になるはずの理屈を、彼は口にしない。
ただ、常識の外側の力学がほんの短時間だけ呼吸した——
その事実だけが、広場に残った。




