周囲の反応
観客席に沈黙が落ちる。術式の軌跡が天井と地面を染めるのが常の模擬戦で、今しがた起きた「何か」は、その常識を根底から否定していた。
「魔術反応が見えない……」最前列の学生が呻いた。彼の視線は混乱の海に揺れ、次に隣の友人へ助けを求める。
「いや、待って。魔力の残滓がゼロって……そんな馬鹿な」
測定器卓の前に陣取る審査官たちは、慌てて水晶盤を操作していた。制御符を叩き、波形を拡大し、ノイズ除去を掛け直す。その全てが、事態を理解しようとする焦燥に満ちている。
「検出器を——魔力流束が……0.02? 誤差レベルだと?」
老練な審査官の声が震えた。0.02という数値は、魔術競技の文脈では「事故的干渉」の範疇でしかない。微小な魔力漏れ、袖口の術式糸の痙攣、誰かの息が符文にかかった程度のノイズ。それが今、対戦者の防護布を「切断」していた。
中央の闘技台では、アルノ・フェルトが自らの体を抱くように立ち尽くしていた。胸を上下させる度に肩の防護布がばらけ、細い線で裂けた切り口が光を鈍く反射する。火傷も打撃痕もない。ただ、あり得ない滑らかさで、刃物の通った痕跡だけが残されていた。
「俺は砕かれてない……斬られた……」
声は掠れ、震えは怒りでも恐怖でもない。理解の拒否。
「何だよこれは!」
観客の視線は一斉にケイへ向かう。だがケイ本人は、何もしていないかのように右手を下ろしたまま、静かに息を整えていた。詠唱はなく、術式残光もなく、魔法陣も描かれない。舞い上がる砂粒すらない。
模擬戦の会場は、本来ならば魔術の色と音と圧力が跳ね回る祝祭の場だ。詠唱派が描く風の奔流、炎系が生む赤熱の渦、氷属性が張る透明な網膜。観客はそれらを「見える魔法」として賞賛する。だが今は、空間そのものがひとつの疑問符に変わっていた。
審査官の誰かが絞り出した。
「……続行は不可能だ。対戦停止。安全基準を超えている」
それでも誰も動こうとしなかった。誰もが理解したかった。
魔術とは詠唱と構築、霊力の奔流と媒介、儀式的な過程であるという「常識」が、今この瞬間、否定されたのだから。
舞台中央の少年はただ無言で立ち、風の切れ端のような静寂だけが残った。




