アルノ側の通常戦術
開始の鐘が鳴った瞬間、アルノの身体が一気に変質した。
先ほどまで友好的だった青年は消え、詠唱派の優等生としての鎧をまとった。
胸腔に息をため、喉奥で魔力を共鳴させる。
声帯の震えが、空間の媒質へと規則的な紋理を刻みはじめる。
「旋め、風の精霊…我が意に応え、粒子を穿て…《ヴェント・パルス》」
古語の韻律が床の魔術紋に流れ込み、半透明の魔力線がアルノの腕へと収束する。
その光は単なる視覚効果ではない。
観客にとって、それは魔術の正統性の証であり、儀式が確かに進行していることを示す聖印だった。
アルノの掌に、淡く渦巻く球体が浮かぶ。
それは霊力の凝集核――風弾。
空気分子が界面へ吸い寄せられ、乱流成分が消去され、均整のとれた圧縮体となる。
「第一段階完了。行くぞ!」
叫びと同時に、アルノは魔力を一気に押し込んだ。
残光を引く魔力線が空間を走り、霊力→流動体→加速の階梯が視覚化される。
球体が脈動し、内部の流体圧が跳ね上がる。
圧縮空気が震動のまま前方へ吐き出され、射出速度が急激に増す。
観客席から歓声が漏れた。
「これだ!」「風系の中級式だぞ!」
彼らには式の構造が見える。
古語、象徴、魔力線、霊力の反応――信じられる要素の集合体。
アルノは勢いを緩めない。
詠唱を維持したまま、第二段階の増幅へ移る。
球体の外縁にリング状の魔力が形成され、空力境界層が圧縮される。
まるで目に見える加速器だ。
空気の流れが射線に沿って引き裂かれ、風弾の輪郭は針のように尖る。
「落ちこぼれでも、見れば分かるだろ!」
アルノの声は挑発ではなく、確信だった。
魔術は祈りであり、儀式であり、神霊との約束。
詠唱を捨てるということは、柱を抜いた橋を渡る行為に他ならない。
彼はさらに魔力を注ぎ込んだ。
球体の中心が白く滲み、周囲の圧が歪む。
観客席に微かな突風が届くほどのエネルギー密度。
それは詠唱派の誰もが知る――成功の兆候だった。
「終わりだ!」
アルノは風弾を投射する。
圧縮気流が放たれ、射線は直線ではなく螺旋軌道を描いた。
詠唱と霊力の協奏が、空間を切り裂く刃へと転じた瞬間だった。
魔術は、かくあるべき。
観客の心は一つにまとまっていた。
――だが、その前提は、ケイの世界では通用しなかった。




