模擬戦の導入
演習棟三階、観覧席を備えた小型闘技場。
白石の床には魔力の検知紋が刻まれ、上層には議員席がせり上がっていた。
その全てが、一人の新参生徒の“偶然”を否定するために用意された。
ケイはそこに立っていた。
上階から注ぐ視線は、好奇と侮蔑と恐怖が入り混じった熱で肌を焼く。
可視魔力を熔かしたような薄い光が、どこか遠くでざわめいている。
「形式は一つ。制限は通常科目内の魔術。致傷は不可。」
審査官が淡々と読み上げる。
声は冷えるほど機械的で、彼の人格を排した制度の代弁だった。
対面に現れたのはアルノ・フェルト。
深い緑の詠唱外套を纏い、風の紋章が織られた手袋を締め直す。
炎派ほど激情的ではないが、詠唱を起点とする魔術体系の信徒であることは一目でわかった。
「悪いな、ケイ。俺はあんたを嫌ってるわけじゃない。」
アルノは柔らかい口調で、しかし一歩も退かない瞳で言った。
「ただ――魔術は祈りだ。詠唱抜きでまともに成立するわけがない」
ケイは頷きすらしなかった。
彼にとってそれは信念ではなく、未検証の前提だった。
議員席に並ぶ審査官たちは、沈黙の裡にその前提を共有している。
「開始まで十秒。」
響板が叩かれ、数字が投影される。
周囲のざわめきは加速した。
「例の“無詠唱事件”の奴だ」
「才能型の偶然だろ。二度は出ないさ」
「詠唱なき魔術なんて……子供の空論だ」
ケイは静かに呼吸し、床に染み込んだ魔力の流れさえ感知する。
媒質Φはこの場で均一ではなかった。
空調、観客熱、天井の魔力灯――流体が互いに干渉し、複数の弱い渦を形成している。
そのすべてが、詠唱では捉えられない現象だった。
視線を上げると、アルノは既に詠唱前動作へ移っていた。
胸腔を震わせ、魔力を流体へ導くための導波句を組む。
観客席から安堵と期待が漏れる。
「これが“正しい魔術”だ」とでも言うように。
開始の鐘が鳴る。
アルノの声が空気を縫う。
風が起きる。
儀式が始まる。
ケイは、ただ片手を下げたまま立っていた。
敵意も誇示もなく――理論の観測者として。
その姿勢だけで、会場の空気が一瞬だけ硬直した。
誰も口にはしないが、誰も理解していなかった。
彼は戦うのではない。
検証するのだ。




