そして神は
◆
ぐるぐると世界が回る。回る。回される。
上下左右どころか、ここがどこかすらわからない。
荒野から始まり、高山地帯、渓谷、森林、砂漠、溶岩、海底、そして遥か上空……
体勢を立て直すことすら許されず、グラトニーはただ成すがままになっていた。
まるで無邪気な子供に捕らえられ弄ばれる玩具のように。
だがそんな好き放題される感覚に、グラトニーはどこか懐かしさを感じていた。
朦朧とした意識の中で思い出していたのはかつての主、始祖の魔王ベルゼヴィートに拾われた当時のこと。
当時のグラトニーはまさに彼女の玩具であり、思うままに振り回され、死にかけたことも百や二百では効かないくらいだ。
しかしそんな扱いを受けながらも、彼は不幸せではなかった。
屍鼠だった頃のグラトニーは親兄弟にすら蔑みや捕食の対象としてしか見られたことはなく、歪んでいるとはいえ親愛に近い感情を向けられるのは初めてだったからだ。
「そういえば、こんな無邪気な視線を向けられるのはいつぶりだろうか……」
思えばベルゼヴィートと死に別れてからずっと、周りからの脅威に怯えていた気がする。
配下だった頃は新たな主や自分よりずっと強い同僚たちに、魔王となってからは新たな敵の出現に、神となってもなお、気が休まる時はなかった。
そんなグラトニーが今、かつてない程に安らかで無防備な顔を見せていた。
戦うことが馬鹿馬鹿しい程の力量差、敵とすら認識されない圧倒的な力、そんな敵対的強者に弄ばれる――それは必死にしがみついていた『強さ』という土俵から彼を降ろすのには十分であった。
気づけばグラトニーは憑き物が落ちたような柔らかな笑みを浮かべていた。
「主……よ……」
まるで揺籠に揺られる赤子のように、安らかな顔で彼は意識を失っていった。
◆
「……あれ? グラトニーのヤツはどこいった?」
この大地ごと同じ位置に戻したのだから、その辺りにいるはずなのだが……どうもそれらしき反応は見当たらない。
一体どこへ行ったのだろう。そう思っていると、一匹のネズミがちょこんと座っているのを見つける。
「チュー?」
ネズミはキョロキョロと辺りを見渡した後、俺たちを見つけるとすごい速さで物陰に隠れてしまう。
しばらく俺たちの様子を伺っていたが、すぐにどこかへ走り去っていった。
「……なんでこんな何もない荒野にネズミがいるんだ?」
「さぁ、ネズミなんてどこにでもいるもんでさ」
水も餌もない荒野なんだけどな。
地面の下にいたのを掘り起こしてしまったのだろうか。だとしたら悪いことをしたかもしれない。
「お、聖王が落ちてる」
「そういやさっき戦ってた途中で吐き出されてやしたね。どうにか息はあるみてぇですが」
死なれても困るしとりあえず治癒魔術でもをかけておくか。
と言っても目を回しているくらいで全然大したことなさそうだな。
まぁそれくらいタフじゃなければ、この物騒な世界で平和主義を唱えるのは難しいのかもしれない。
「それよりグラトニーを探しませんと。あんな化け物を野放しにしておくのは危険すぎます」
「ま、それ以上の化け物がここに野放しになっているわけだが……む」
ベアルが何か失礼なことを言いかけた、その時である。
先刻まで黒雲で覆われていた空が、急に眩い光を放ち始める。
「その必要はありませんよ」
空から声が聞こえる。どこかで聞いたような声だが……
「グラトニーは再び輪廻の輪に還りました。仮に復活したとしても、再びあれだけの力を得るには気が遠くなるような長い年月がかかるでしょう。世界は救われたのです」
「……あんたは?」
「勿論、名乗らせて貰いますとも。――さぁこちらへ」
言葉と共に俺の身体が光に包まれる。
そのまま俺は上空へ、その先にある天界へと誘われていく。
――辿り着いたのは真っ白な空間だった。
最初にグラトニー扮する神がいた場所である。
だが以前と違い何かを隠しているような違和感はなく、爽やかな清浄さを感じられる。
そしてもう一つ大きな違いは、中央に浮かんでいたヴェールがなく、代わりに長椅子が置かれていた。
座っているのは少し前に別れたばかりの中年男性――リーゴォだ。
「リーゴォだと? そういやこんなのいやしたね。完全に忘れてやしたぜ」
「それどころではありませんでしたからね。しかし何故この男が……?」
グリモとジリエルが疑問を口にする中、リーゴォはゆっくりと手を叩く。
「やぁロイド君。まずは礼を言わせて欲しい。とても人とは思えぬ……げふんげふん。いえ、素晴らしい働きでした。本当にありがたいことです」
「どういうことだ? 最初から話してくれ」
「あぁそうですねすみません。まずは自己紹介から。私はそう、神と呼ばれる者です」
自らを神と名乗ると、リーゴォは語り始める。
「確か……えーと、一万年以上前くらいでしたかね。魔王となったグラトニーはどんどん力をつけ、天界でも手に負えない存在になっていました。私は彼との戦いに赴きましたが、あえなく返り討ちに遭い、神に成り代わられた――そこまでは彼から聞きましたな?」
頷いて返す。リーゴォの声には到底嘘とは思えない真実味が感じられる。
言葉そのものに力が宿ったこの感じ、聖王の魔曲に近いもの……つまりは神の証明とも言えるだろう。
あの時、聖王がリーゴォの言葉を無条件に信じた理由がなんとなくわかるというものだ。
ま、これなら本物と思ってもいいだろう。ていうか違ったらボコればいいだけの話だし。
「なんだか物騒なことを考えているような顔ですが……こほん、そうして私を倒したグラトニーはまだ利用価値があると思ったのでしょう。殺されることはなく、力を奪われ幽閉されていたのです。それからはあなた方も知っての通り」
「そういえば神サマ、僕が階段を登っている時にいつの間にかいなくなってたけど、どこに行ってたんだい?」
ついさっき目を覚ました聖王の問いに神は気まずそうに頬を掻く。
「実は上に行っても無駄足だと知っておりましたから途中で抜けさせて貰ったのですよ。歳を取ると階段は辛いですからな」
「っておー--い! 神サマ薄情過ぎないー--!?」
「いやーはっはっは。申し訳ない」
すかさずツッコミを入れるが、神は気にしてないようだ。
結果的にはそのおかげでグラトニーと接触せずに済んだわけだが。
一回幽閉されて、警戒するようになったのかもな。
「しかしやたらとユルい神ですな。リーゴォの時からの話だがよ」
「元々の性格なのでしょう。グラトニーに負けたのもやむなしかと」
グリモたちも呆れているようだ。
ま、神なんてそれくらい適当な方がいいだろう。変に几帳面な奴がなって、いちいち干渉されてもそれはそれで面倒だ。
さっきの戦いでグラトニーが言っていた、ヤバそうな奴を排除する管理社会なんて以ての外だもんな。
それに折角面白い奴が出てくるかもしれないのに、芽のうちにを摘むなんて勿体なさすぎるだろう。
「ともあれ、私を――引いては天界を救ってくれたロイド君には礼をせねばならないでしょう。……少し失礼しますよ」
神はゆっくり歩み寄ると、俺の額に指をかざしてくる。
指先が触れたその時、ぱぁんと破裂音がして視界が白く染まった。




