86 社会人の基礎
私が「一言ある」と言うや否や、マリア様はぶるりと震えた。
別に怖がらなくてほんといいんだけどな。そもそも私、ハイメのトップでもなんでもないし……。
しかしまぁ、こちらの立場が上な限り、言っておかねばならないことはある。
「なにか事情があって、新貴族の不興を買うこと覚悟の上でここにいらっしゃったのでしょう?……でも、いずれそうなることは予想出来たはずですよ」
私がそう言うと、マリア様は悔しそうな、気まずそうな顔で俯いた。
……別に意地悪で言ってるわけじゃないよ?
「そもそもそんな中途半端な事態になったのは、マリア様ではなくマリア様のご両親、ひいては歴代領主の皆様のせいなのですから、マリア様が責められることでもないですが。……さて、マリア様。こんな状況でなんですが、私の知る金言にこんなものがあります」
私が指をピンと立ててにこっと笑うと、みんなが疑問符を浮かべた。
「報、連、相、です」
「ほう、れん、そう……?」
聞いたことがないという顔で皆が首を傾げる。
日本の社畜なら「ほう・れん・そう」は知ってると思う。しかし、この世界に来てからは聞いたことがなかった。
「報告、連絡、相談、の略称です。まず、今の状況はそのうちのどれでもありませんね」
「…………そうですね。相談にかなり近いのかも知れませんが……」
「どちらかというと事態が悪化しきった後の“泣きつく”ですね」
うぅ、と呻いたマリア様は眉を下げて悲しそうな顔をした。慌ててフォローする。
「先程から私、責めている訳では無いのですよ。ただ、困って、にっちもさっちも行かなくなる前に。……下から上へなんでも報告する習慣があれば、同格間での連携や、上下の助け合いもありえたんじゃないかと思うんです」
「連携、助け合い……ですか?」
きょとんとするマリア様。すると、ヴィル兄様がこほんと咳払いして入ってきた。
「しかしアリス様、そうは言っても……相談を受けたからと言って、なんでも助けられるわけではありませんよ。仮にクラスタ領で飢饉が起こったとして、オーキュラス領がなんでも助けてあげられるわけではないでしょう?」
ごもっともである。でも、私が言いたいのはそういうことではない。
「可哀想だから助けてあげないと……!!」なんて使命感に駆られて暴走するのは、10代のヒロインの仕事だ。アラサー社会人な私の領分ではない。
「違いますよヴィル兄様。私が言いたいのは、下のものはもっと賢く上を利用すべきだと言いたいのです」
「り……利用?!」
ぎょっとした顔の兄様や側近、三人の訪問者達。言い方が悪かったかな。
「想像してみて下さい。仮に、クラスタ領のような中、小領地が、各地でじわじわと内側から対立者に侵食されているとして。それを各地から一斉に報告されたら、上位者たる私達がそれを無視するでしょうか? ……自らの派閥を維持するために、自分たちのために。立ち上がると思いませんか?」
「あ……」
うんうん、分かってくれたみたいで嬉しいぞ。
「そう。私が言いたいのは、もっと貴族らしく上手く立ち回ってくれた方が、私達もあなた達も結果として困らないということです。……小さい声では、相手にされず蔑まれるかもしれない。でも、それが大多数の支持者の大きな声なら変わってくる。……だからこれからはもっと結託して、もっと上位者を利用して下さい。どんな小さな事でも、まず報告してください」
ほんとは、普通に心配だし、慕ってくれる人のことは助けたいからさ。と言いたいところだが、それはオーキュラス侯爵家の人間として気軽に言ってはならないことだ。
少々偽悪的になってしまったかもしれないが、マリア様の表情は明るくなり、周囲の者も「そういうもんかぁ……」という顔で思案している。
まぁ、間違った対応ではなかったと思う。多分ね。
……この発言により、問題事がドカドカ持ち込まれる未来が見えない訳では無いが……。
うん。見えない訳では、無い、が。
まぁそれも、転生してこの地位にいる限り仕方ないことだ。受け入れるしかない。
久しぶりに貴族らしいことを言って少々疲れていると、三人の訪問者のうちの一人、シン・ユーレン様がぽつりと呟いた。
「あんたは、全然違うんだな……」
ん?と思ってそちらを見ると、慌てて口を抑えたシン様がぱっと背筋を伸ばした。
「失礼致しました。その、ガブリエラ様とは随分、考え方が違うのだなと……」
そうシン様がおずおずと言うと、
「もしかして、シン様もですか?」
と、アーサー様が反応した。




