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319 井戸の底


 アベルさんに促されて見た先、霧の中には岸が見えてきていた。

 ほどなく、ローブを纏った骸骨の船頭が船を止める動きに入り、桟橋に船が横付けされる。

 

「……着きましたね」

「ああ」

 

 緊張する私とアベルさん。

 ひとまず降りるべきかと顔を見合せたところで、船頭がゆっくりとこちらを振り返った。

 そして──深いお辞儀をして、片手で桟橋を恭しく指し示した。

 その仕草は、侯爵家の執事であるアルフォンスさんにそっくりで。

 

 初めに迎えに来た時はそんな風ではなかった。

 おそらくだが、夢の試練を越えたことで仕えるべき相手として認められたのだろう。

 

 おっかなびっくりしつつ船頭の横を通り過ぎる。

 降り立った岸の奥には岩壁があり、そこに人為的に作られた石階段がぽっかりと口を開けていた。

 なんとなく振り返れば、骸骨船頭はこちらに体を向けて胸元に手を当て、待機の姿勢で彫像のようになっていた。

 やはり、どこか姿勢に敬う態度が見える。

 

 アベルさんと並んで階段を上がると、しばらくして真っ直ぐな通路が現れた。

 それと共に水の音がして、ふと振り返ると……階段は消えていて。

 ふっつりと途切れたそこは壁になっていた。

 

 壁に触れてみるが、通り抜けは出来ない。まやかしではないらしい。

 

「……帰り、ここから脱出は出来ない感じでしょうか」

「少し待ちなさい」

 

 アベルさんが壁をコンコンと叩きながら耳をつける。

 しばらくそれを繰り返してから、首を横に振った。

 

「向こうに空洞があるとは思えない。入った時同様に転移させられたんだろう」

「転移……! うううーん、原理が激しく気になります……!」

 

 つくづく、そんなイベントがあるなら先に言って欲しい。迷宮に入った時も気づいたらって感じだったし、貴重な古代魔術を全然観察できなかった。

 ヒントが得られたとしたら、二回とも流れる水の気配があった事くらいか。


 しばらくウロウロして入る方法がないか調べてみたが、迷宮内と違って手がかりは一切無しで白い壁があるばかりだ。もしかすると、皇室に伝わる呪文とか魔法陣があるのかもしれない。

 となると、脱出は別ルートで考えた方が良さそうだ。

 

「さて、到着したここですが……また水路でしょうか」

「ああ。しかしかなり整備されているな」


 そんなことを言いつつ、慎重に進んでいく。

 来た時の洞窟じみた水路と違い、ここは白っぽい石材で丁寧に作られた綺麗な水路だった。

 微かに明かりが見える方へ進んでいくと、ここがどこなのかが判明する。

 人がいる可能性を考え、小声でやり取りした。

 

「井戸、ですね……城の中の井戸」

「ああ。上の方の装飾からして、皇室用かもしれないな」


 そう、どうやらここは城内の……それも貴族専用の井戸の底らしかった。

 城郭についての本を読んだ時に、そんなものがあると読んだ覚えがある。

 川から汲む生活用の水とはまた別に、城攻めされた時に飲み水を確保する、いわゆる生命線としての井戸が城には備わっていることが多いらしい。

 水の魔術でも水を生み出すことは出来るが、人間が暮らすのに……それも集団が暮らすのに必要となる量の水を毎日生み出せる魔術師は少ない。

 井戸が城内にあってもおかしくはないだろう。

 

 丸い井戸は白い大理石で作られており、シミひとつない。見上げれば金色の装飾がふちに施されている。

 人の気配はないが、天井が見えることから城内なのは確実だ。

 隠匿の首輪を起動し直し、ザインで静かに飛行具を召喚する。

 

「ゆっくり上がるぞ」

「はい」

 

 ふわりと、音もなく浮上する。

 井戸のふちからそっと頭を出すと、入口に見張りの兵が二人立っているのが見えた。

 ドアは無く、豪奢なアーチ型の入口があるだけだ。

 飛行具ですり抜けられることを確認し、アベルさんと一列になってさっとくぐり抜ける。

 微かに立った風の音に反応したのか見張りの兵が少しキョロキョロとしたが、気のせいだと捉えたのか元通りの姿勢で静止した。

 それに安堵の溜息をつき、そのまま廊下の角を曲がると、ちょうど人のいない場所に出た。

 

「やりましたね……!」

 

 小声でガッツポーズすると、アベルさんも頷いてくれた。

 飛行具を仕舞って降り立ち、周囲を確認する。

 豪華な装飾が施された廊下だが、この井戸の区画はあまり使っていないのか人の気配がなかった。

 ここがどの区画なのかを確認するべく、探索を始める。

 ……しかし。

 

「ちょっと、このアタシに見せないっていうの!?」

 

 突然、少女のものと思われる金切り声が聞こえて肩が跳ねた。

 慌てて壁際に寄り、声の聞こえた廊下を覗き込む。

 声の持ち主は、豪華な紫色のドレスを着た幼い令嬢だった。

 お供に大人の騎士を一人連れており、私達が出てきた井戸の警備兵につっかかっている。

 

「あ、アマーリヤ様。しかし、この井戸には何人たりとも近寄ってはならないのです」

「だから何? 」

「えっ!? いえ、ですから」

「私が見たいって言ってるの。言うことを聞かないならガブリエラ様に言いつけるわよ!?」

 

 飛び出てきた名前に驚く。

 私と同い年くらいに見えるあのアマーリヤという少女は、どうやらガブリエラの取り巻きの一人らしい。言われてみれば名前には聞き覚えがある。

 私をいじめるために開かれたお茶会にも参加していた……ような気がする。というか人一倍楽しそうにしていた気がする。

 しかし一体ここで何をしているのだろう。

 そう思ったのだが、答えはアマーリヤ様本人が叫んでくれた。

 

「私はガブリエラ様のお友達よ? つまり次期皇后様のお友達なんだから! それなのにガブリエラ様を隠して会わせないなんて……っ、承知しないわ! 早くそこをどきなさい!」

「あ、あの、しかし……。こちらにはいらっしゃいませんから」

「見て確かめるわ!」


 どうやらアマーリヤ様はガブリエラと親しいようだ。

 今は名目上、ガブリエラの生活拠点はこのお城ということになっている。そこに無理して遊びに来たのだろう。

 しかし……おそらくは会えなかったのだ。だからお供の騎士を連れて、焦って探し回っている。

 そこまでしてガブリエラに会おうとする理由は、ひとつしかない。

 

「あのアマーリヤという令嬢は、よほど他に後ろ盾がないのか?」

 

 アベルさんが眉をひそめて小声で聞いてきた。私も同意見だ。

 単身で城に入れたのは、恐らくエドムンド派閥でも上位に位置する家の娘だからだろう。

 おまけにガブリエラに気に入られていれば、ディアマンテクラスでの地位は磐石とも言える。

 しかし……。

 当のガブリエラが雲隠れしてしまえば、学園での地位に関してはかなり揺らいでくる。

 自分勝手な振る舞いを続けていたしっぺ返しが始まって、焦っているところなのだろう。

   

 アマーリヤ様は結局警備兵に追い返されて怒り狂いつつ、お供の騎士に抱えられるようにして去っていった。

 そんなアマーリヤ様が完全に見えなくなってから、警備兵が「はぁ……」と大きくため息をついた。

 もう一人の警備兵に呆れた顔で話しかける。

 

「ったく、これで三件目だぞ、訳の分からない子供の相手は」

「ガーデンの方にも見学申し込みが殺到してるらしいぞ」

「本当かよ。舐められたもんだな……まぁ、普段なら見学くらいは許可が出そうなもんだけど、今は無理だろ。そもそもあんなのを皇室の井戸に近づけられないよな」

「傷でもつけられたらホントに首が飛ぶぜ」

 

 はぁー、と警備兵がシンクロしたため息を零す。

 

 どうやら、ガブリエラを求める派閥の子供がたびたび城を訪ねてきているようだ。

 エドムンド派閥なら、コネを使って比較的簡単に登城できるのだろう。

 

 しかし妙だ。

 ガブリエラは次期皇后を噂されているのに、なぜこんなに早く派閥の雰囲気がガタついているのだろう。

 それに、あの娘がいくらガブリエラと親しくとも、こんな風に勝手にウロウロすることを親はなぜ許したのだろう。

 そう思って首を傾げていると、察したアベルさんが口を開いた。

 

「親がわざと城に寄越しているんじゃないか? ガブリエラを探せと」

「あ……なるほど。エドムンド派閥にも、ガブリエラの雲隠れに疑問を抱いている者がいるという訳ですね」


 しかし、潜入捜査したい身からすると……この状況はかなり美味しいのではないだろうか。

 私はニヤリと笑ってアベルさんを見上げた。

 

「アベルさん。隠匿を解いて変装しましょう」

「本当にやるのか」

「今は城内に幼い貴族の娘が彷徨いていても、エドムンド派閥を装えば“またか”と言われて済むようですから。それが一人増えたところで……ね?」

「……そう言うが、認識阻害の魔道具を試したいだけだろう」

「ギクッ」

 

 口でギクッと言う辺りが中身アラサーである。

 ともかく、私とアベルさんは見た目を変えて聞き込みすることにした。

 

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