316 黒い記憶
目を開けると、また自分ではない体に乗り移っていた。
アベルさんの過去の追体験に戻ってしまったのかと思ったのだが、様子が違う。
なぜなら、視界の位置が妙に高かったのだ。
「(……これ、成長したアベルさんの体?)」
場所は廃塔ではない。どこかの御屋敷だ。
そこでアベルさんは椅子に座って外を眺めているようだった。
そう現状を認識していると、部屋のドアが開かれた。
そこから入ってきたのは。
──なんと、グラツィアーナだった。
「(何故グラツィアーナが!?)」
久しぶりに見るその美貌は相変わらず冷たく、感情を感じさせない。
一体何が起こっているのかと見守っていると、グラツィアーナが「ついて来なさい」と短く言った。
アベルさんが緩慢に頷きついて行く。
するとグラツィアーナはなにかの装置を操作して、現れた隠し階段を通り、地下室に入った。
「(っていうか、ここってもしかしてヴィランデル侯爵邸……?)」
キョロキョロしたいが、視界はアベルさんの制御下だ。
「アベル・ジャーヴィス。今日からお前の管理は我がヴィランデル家が担うことになりました」
それを聞いて動揺する。
一体、どういうこと!?
そう思うが、展開は一方的に続いていく。
「しかし、我がヴィランデル家はあなたの前管理者のように悪に寛容ではありません」
「……」
「聞いているのですか?」
「……はい」
アベルさんは、感情に乏しい声で返事をした。
それはまるで、私達と出会ったばかりの……孤独だった時のアベルさんの声だった。
それに違和感を覚えるが、展開は進んでいく。
「とはいえ、我がヴィランデル家は悪を断罪するだけの非効率な者たちとは違います。悪には悪にしかできない仕事があります」
「……?」
「ここへ」
グラツィアーナがそう言うと、部屋の中へメイドが一人入ってきた。
そのメイドが連れてきたのは──ケージに入った小鳥が一羽。
そのケージをアベルさんの前の机に置いて、グラツィアーナは言った。
「殺しなさい」
「!?」
「殺せなければ、このメイドを殺します」
「何を……!?」
見れば、小鳥を連れてきたメイドは真っ青になりカタカタと震えていた。
事前に知らせてあるのだろう。脅しではなく、本当に言っているのだ。
「さぁ、方法は何でも構いません。手で殺しても、魔術でも。望むのなら武器も用意します」
「……っ」
アベルさんが動揺して後ずさる。
それを見るやいなや、グラツィアーナが懐から親指ほどの長さの隠しナイフを取り出した。
そして。
一切の躊躇なく、メイドの首を切り裂いた。
「……は……?」
血飛沫が凄まじい勢いで噴出する。
「あなたは後ろに下がり、小鳥を殺すことを選ばなかった。これはその結果です」
メイドがドタリと床に倒れた。
その鮮血に染まりながら、アベルさんはただひたすらに呆然としている。
「時は待ってくれません。では、次です」
そう言うと新しいメイドが入室してきた。
倒れ伏したメイドを見て悲鳴をあげそうになっているが、事前に言われているのか、ガタガタ震えつつ黙って立っている。
「命を選ぶのです」
グラツィアーナが──初めて微笑んだ。
「より良きほうを選び続ければ、それは大義となる」
「たい、ぎ……?」
「そうです。正しい選択を続ければ、あなたもいつか許される」
そう言われて、ふらりとよろけたアベルさんが机に手をついた。
そして──メイドを見て、小鳥を見て、震える手でケージを開ける。
アベルさんの感覚を通して、小鳥を握っている感覚が伝わってくる。
柔らかな羽毛。あたたかな命。
アベルさんは、大義とやらはわからないが……と、震える声で呟いた。
とにかくメイドが殺されるのを回避するため、小鳥を殺すと決意したのだろう。
アベルさんはぎゅうっと目を閉じて、小鳥の首を折ろうと、震える手に力を込めようとした。
しかし、グラツィアーナに止められる。
「待ちなさい」
殺すことを免じられたのかと期待して目を開ける。
が、それは更なる絶望を抱かせる準備に過ぎなかった。
「目を開けて、しっかりと見つめながら殺しなさい」
「……!!」
「あなたはメイドを救うために殺すのです。目を背ける必要がありますか?」
当たり前のことを言うような言い方で、グラツィアーナが言う。
ただでさえ命を奪うことに抵抗のあるアベルさんに、容赦なく。
アベルさんは躊躇しそうになったが……先程のことを思い出したのか、慌てて手に力を入れた。
命の危険を察知した小鳥がじたばたと騒ぎ出す。
しかしアベルさんは手を緩めず──小鳥の首を折った。
呆然と、自らの手によって絶たれた命を見つめる。
放心状態のアベルさんにグラツィアーナが囁きかけた。
「あなたは許されるための一歩を踏み出しました。……これからも当家が責任を持って、あなたを管理して差し上げます」
アベルさんは放心して答えない。
しかしこの地獄のような二択は、一度ならず二度も。
三度も、四度も。
時間をかけて、数え切れないほど延々と続いた。
小鳥の次は、小動物。
小動物の次は、犬や猫などの生き物。
その次は……人間だった。
「この部屋にいる人間からひとり選び、殺しなさい。それが出来なければ全員殺します」
……アベルさんはひとりを選んだ。
「あの屋敷の中にいる最も歳をとった人間を殺しなさい。それが出来なければ、お前の世話をしているメイドを二人殺します」
……アベルさんは屋敷に忍び込み、壮年の男性を殺した。
それを繰り返し、繰り返し、繰り返し。
場面場面を追体験する私自身も気が狂いそうになった。
グラツィアーナの言葉は麻薬のようにアベルさんの理性を食い荒らしていく。
口癖は「一より十」だ。
一人を殺して十を救うのです。
さすれば、お前の殺した千の命もいつかは贖われる。
責任をもって、殺し続けるのです。
そんな言葉を毒のように浴び続けて、アベルさんはいつしかそれを本当のことだと思い込むようになった。
あるいは、そう思い込もうとしていた。
そうして強制された「大義」が何度も繰り返された果てに。
「次の暗殺対象はロナルド・ネイガー男爵です。──さあ、尊い命のために」
「……かしこまりました」
その頃には、アベルさんは代わりの犠牲がなくても殺しをするようになっていた。
痛そうな話&過去回想は次回で終わりです。




