311 雪の街
ちょい長です。これからしばらくアベルさん回が続きます。
匂い立つような美しい薔薇。
涼やかで凛々しい百合。
ひっそりと甘やかに咲く鈴蘭。
どうしてだかそんなイメージが現れて、それは十五歳ほどの三人の美少女の姿になった。
ガブリエラ・ヴィランデル。
ローリエ・エインズシュット。
そして──アリス・オーキュラス。
そんな名前が自然と浮かんでから、「アリスって私じゃないか」と思い出す。
三人の美少女は暗闇の中でスポットを浴びて、静かな微笑みを浮かべていた。
その光景は何かに似ていた。
なんだったかと思い出そうとして、ピンと来るものがあって、思わず手をポンと打つ。
それはまさしく、ゲームのキャラクター選択画面のようだったのだ。
そう思った瞬間、私は目を開いた。
「あれ、私は確か……」
周囲は白い世界だ。
また変な夢を見ていたらしい。
なんだかこんなことばかりだなと思いつつ思考をめぐらせて、私はハッとした。
「そうだ。私、アベルさんを助けに行きたいって願って……って、ここどこ?」
タロットの力でアストラル界に片足を突っ込み、自分のトラウマと向き合ってから、同じようにアストラル界に囚われているはずのアベルさんを助けるべく、アサメイを構えて傍に行きたいと強く念じたんだ。
そうしたらここにいた。
たどり着けなかったということだろうかと不安に思いつつ、先程脳裏に浮かんだ映像はなんだろうと首を傾げる。
年頃の娘に成長した私と、ガブリエラと、ローリエ様。
つまりは金薔薇の三ヒロイン。
私自身もしっかりとは見たことの無い「ゲームの姿」だ。
ガブリエラは黄金の髪が相応しいような溌剌とした顔をしていて、ローリエ様は気丈な感じの美貌に育ち、私はなんだか影のある、儚げヒロインみたいな顔をしていた。
今の私では逆立ちしても出来そうにない繊細さだったが……。
自分の知らない知識を何故見れるのかと思ったところで、景色に少しずつ形と色が現れ始めた。
「(北の、街……?)」
雪が降る街特有の、窓が少なく屋根の傾斜が急な街並みだ。
実際に雪が厚く降り積もっており、視界にはしんしんと降る雪がちらついていた。
全体的に白や薄茶色の建材で建てられた街並みは美しく、まさにファンタジー世界の雪国という趣。
次第にガヤガヤと街角の音も聞こえだして、私は見知らぬ白い町に立っていた。
と、足が勝手に動き出す。
「(え!?……って、喋れない!?)」
驚くが、口はおろか体全ての制御が効かなかった。
まるで誰かの夢の中に入り込んだような……と思ったところで、その予想が的中していたことを知る。
「アベル! もう、また抜け出していたのね!」
「ごめんなさーい、母上!」
「もう、駄目でしょう」
美しい金髪の女性に怒りつつ抱きとめられる。それに甘えつつ、笑って返したのは幼い男の子の声。
私は──幼いアベルさんに乗り移っていた。
「母様、今日は皮工房のマッキオにこれを貰いました!」
「あら、素敵ね」
アベルさんが手に握っていたものを母親らしき人に見せる。
すると母親はコロリと怒りをおさめてそれを見た。
どうやら、アベルさんが脱走するのは日常茶飯事だったらしい。
アベルさんが見せたそれは小さな皮の巾着袋で、ヒモの部分に赤い天然石が可愛くあしらわれていた。
「工房のお仕事が面白そうだったから、お手伝いをしてたんです。そしたらお駄賃だって」
「あらあら……あとでお礼を届けなければいけませんね」
そう言って母親がしょうがないという顔で笑う。
するとアベルさんは「ちゃんと働いたんですってば! 助かったぜって言われたし……」と少しむくれて、それから母親に手を引かれて丘を登りだした。
「(皮の扱いが上手いなとは思ってたけど、本当に経験があったんだ。好奇心旺盛な子供だったんだな……)」
そんなことを考えつつ、長い階段を上がりきる。
すると領主の館らしきものが見えてきた。
辺境伯のものにしては随分小ぶりなそれを見るに、どうやら旧ジャーヴィス領は小さな領だったらしい。あるいは別荘だろうか?
そんな館の窓の前を通って、私はびっくりした。
ちらりと窓に映った“私”──つまり幼少期のアベルさんは、染めているのか黒髪だったのだ。
目は朱眼のままだ。
丘陵事件が起こる前は朱眼への風当たりは今ほどではなかったと聞くから、髪の色だけ誤魔化していたのかもしれない。
アベルさんの中でそんなことを考えていると、母親らしき人が語りかけてきた。
「今日はルシオ様から大切なお話があると言ったでしょう? それにお外には危険がいっぱいなんですから、側近をつけないで出かけてはなりませんとあれほど──」
「だって母上、あいつがくっついてくるとうるさくて何処にも行けないんです!」
膨れ面をしてふんとそっぽを向いたアベルさんに母親が困った顔をする。
すると館の扉が開いて、アベルさんそっくりの、三十代後半ほどの男性が現れた。
おそらく父親だろう、こちらは黒髪である。
「こらアベル、また脱走したのか」
「……ごめんなさーい」
むうとむくれたアベルさんがおざなりな謝罪をする。
すると父親らしき人が「まったく、誰に似たのだか」と言ってやれやれと肩を竦めた。
しかし本気で怒っている訳では無いのだろう。口元は苦笑するように微笑んでいる。
父親はすぐに母親とアベルさんの肩を抱いて、「寒いから早く入りなさい」と言うと、彼らを大事そうに館の中へ入れた。
そんな家族のワンシーンを体感しながら、私は、少しばかり痛む胸を心の中で押さえた。
仲の良い家族だったのだ。
だけど、失われる。
今、“私”を……つまり幼少期のアベルさんを優しく室内に入れてくれた大きな手のひらも、今日の晩御飯の話をする女性のしなやかで優しい声も、必ず失われるのだ。
そう思ったところで、ハタと私は思い至った。
「(これ、アベルさんの過去だよな。勝手に見るのはダメじゃないか!?)」
他人の過去を断りもなく見ていいはずがない。
このままではどこまで勝手に暴いてしまうか分からない。
どうしようと焦るが、不思議な体験は強制的に続いていく。
ふと視線をあげるとシーンは夜になっていた。
目線の高さからして、アベルさんの年齢は先程からそう変わっていない。
アリスとしての私の目線と大して変わらないところを見ると、七歳かそこらだろうと当たりをつけた。
暖炉のある、暖かく暗い部屋だ。
目の前には一人がけのソファに深く座った父親がいて、アベルさんはその前のイスに足をぷらぷらさせて座っていた。
決して足を遊ばせている訳では無いが、足の長さが足りないようだ。
そんな幼いアベルさんに向けて、父親が真剣な顔をした。
「今からする話は、友達にも、使用人にも、そしてディアナにもしてはならないよ」
「母上にも……?」
どうしてですかとアベルさんが聞くと、父親は難しい顔をした。
「彼女も事情は知っている。だが詳細は一切知らせていない。その方が安全だからだ」
「安全……? ねぇ父上、なんの話なんですか?」
むずがるアベルさんの前に、ひとつの小箱が差し出される。
「アベル。いいかい、この箱の中には秘密が詰まっている」
「秘密?」
「秘密は、秘密があることすら他人に知られてはならない。そうでなくては絶対に守り通すことが出来ない」
「……?」
父親はアベルさんの目をじっと見た。
「この模様に見覚えがないかい?」
そう言って父親が小箱を開ける。
その中をアベルさんの視界で覗き込むと……そこには小石が入っていた。
劣化していて分かりにくかったが、私には、それがアルヘオ文字の「アレフ」だと分かった。
幼いアベルさんは首を傾げている。
そんなアベルさんを見て明らかにホッとした父親は、小箱の蓋を閉じた。
「これは我が家に伝わる家宝なんだよ、アベル」
「家宝……? なら、どうして母上に教えてあげないんですか?」
アベルさんが驚いたように言うと、父親は首を振った。
「さっきも言っただろう。これを知ることで危険な目にあうことがあるんだ。そして秘密を知る者は少なければ少ないほどいい」
「なら、なんで……僕に見せたんですか?」
自分は危険な目にあってもいいということ?と思ったのだろう。
悲しげに呟いたアベルさんの頭を、温かな手が撫でた。
「お前は、一人前の男になれる。そう見込んだから話した」
「!」
「いっぱしの男は秘密を守るものだ。アベルはきっとそんな男になると思ったから話したのさ」
「……!」
アベルさんの「嬉しい」というきらきらした感情や、やる気に満ちた喜びが私の中に流れ込んでくる。
話を聞く限り、これは当主になる人間だけが知るというやつだろう。
だが父親は、アベルさんの性格をよく把握した上でそう話しているようだった。
父親はなおも続けた。
「この石のことも、それに刻まれた模様も、絶対に人に言ってはならないよ。約束できるね」
「はい!」
「よし。その約束を守れたら、また来年の同じ日に話の続きをしてあげよう。大人になるころには私の知っていることは全て教えてあげるから、我慢するんだよ」
「わかりました、父上!」
そんな話をして、またシーンが暗転する。
目を開けるとまた暖炉の部屋だった。
今度は昼間だろうか。
少し背の伸びたアベルさんの視界にはまた父親が映っていた。
「アベル、この話をするのはまだ早いと言ったはずだ……」
「でも父上、確かに夢に見たんです」
そう言ってアベルさんが不安そうな声で続けた。
「夢にあの石が……。石というか、模様が……。恐ろしい竜巻や嵐も夢に見たんです。あれはなんなんですか!?」
どうやらアベルさんの夢にアルヘオ文字が出てきたらしい。アレフは風を象徴するから、嵐の夢を見たのだろうか。
するとその言葉を聞いた父親の顔色が変わった。
突然迫ってきて、肩をがしりと掴まれる。
「夢? 夢に出てきたのか!?」
「えっ、は、はい。……石ではなく、まるで光の文字のようなものでしたが……」
そう答えると、父親が「ああ」と詰まった声を出した。
アベルさんの肩から手を離し、ソファにドサリと腰掛ける。そして額を押さえた。
「アベル。その模様のことは忘れなさい」
「えっ、どうしてですか!?」
「知ってはならないというのはな、知れば知るほど“ソレ”に近づくということなのだ。そうすれば危険は増えていく……」
「……なら、どうしてこの前、僕に見せたのですか?」
「まさにその“夢”を見ていないか、確認したかったのだ」
そう言ってから、父親はアベルさんを見た。
「アベル。まさか、他の“模様”も見ていないだろうね」
「い、いえ。見ていません」
「そうか……」
父親が深くため息をついて顔を手で覆う。
それはまるで危険なものを扱ったあとの安堵のため息のようで、見ているだけで不安を煽るものだった。
「なんなんですか、あの模様や夢は……?」
「どうか聞いてくれるな」
父親はピシャリと話を遮った。
「私が守りたいものの中には、アベル、当然お前も含まれている」
「……」
「これ以上知れば、もっと夢を見ることになる。そうなれば私は……お前を、絶対に出られない場所に閉じ込めなければならない」
「!?」
動揺が伝わってくる。
父親の顔は本気だった。
「お前の髪の色を染めて隠しているのも、目をできるだけ隠させているのも、この家宝に関わりがあるのだ。お前は特に危ない性質を持って生まれてきた……」
「髪と、目? 何故関わりが……」
「思わせぶりですまないが、本当にもう話せない。だが分かっておくれ」
そう言って父親は立ち上がり、アベルさんをそっと抱きしめた。
「お前を、家族を、愛している。だからどうか、守られていておくれ」
そう言われてアベルさんは黙った。
しばらくアベルさんを抱擁していた父親は腕を解くと、微笑んだ。
「さぁ、そろそろディアナが午後のお茶の準備を終えた頃だ。いただきに行くとしよう」
「父上……」
「大丈夫だよ。でもアベル、ひとつだけ約束しておくれ」
そう言った父親は──ぎこちない笑顔を浮かべた。
「もしも“他の模様”を夢に見たら、誰にも言わず、真っ先に私に教えるんだよ。約束だ」
「……はい、父上」
そんな会話を最後に、また視界が暗転した。
次は一体何を見せられるのだろう。
確かにアベルさんの過去は気になるし、アルヘオ文字に深く関わる家宝の話も気になる。だけど勝手に見ていいものか……。
そうと思って複雑な気持ちでいると、どこかから泣き声が聞こえてきた。
「……?」
耳を澄ませてみればそれは女性のもので、まるで膝を抱えているようにくぐもっていた。
可憐な声が可哀想な程に枯れて、くすん、くすんと繰り返している。
「……誰?」
暗転しているからだろうか、アベルさんではなく私のままの声が出た。
その声が届いたのか、声がぴたりと止む。
そう思った次の瞬間に、私はまた新しいシーンに飛ばされていた。




