306 流星の落ちた後
“あれは私の未来の姿のひとつだろう”
アベルさんの言葉がぐわりと意識を揺さぶった。
思わず現実逃避した言葉がこぼれ出る。
「しゅ、朱眼の人の魔力で、竜が死竜になっている、とか……?」
「いいや。もっと効率の良い方法があるだろう」
首を横に振ったアベルさんは、「あいつらなら術者も消せる方法をとるはず」だと言った。
つまりあの竜は、元々は朱眼の人間だった可能性があるということだ。
それを聞いた私は、先程の様子を思いだして思わず口元を覆った。
完全な異形となり、腐食した肉をぼとぼとと落とす姿。
ギラついた目に、骨を鳴らすような不気味な声。
そして獣じみた凶暴性……。
人が人としての自我を失った姿など見たこともないし、姿を歪に変じられたものだって初めて見た。
三メートルほどで竜としては小型なのも、人の体長に尾が生えたからなのだと考えれば妥当なラインだ。
……気づいてしまえば、こんなにグロテスクだなんて。
「なんのためにゾンビがここにいるのかという問いは、この仮説なら答えが出せる」
アベルさんが静かに言う。
「答え……そうですね」
ここまでヒントが出れば自ずと答えは見えてきた。
「動力源だろうな。この迷宮の」
「はい」
つまり。
「高魔力」を、生かさず殺さずここへ半永久的に留めるために、ゾンビ化したのだ。
膨大な魔力を消費するであろう、様々な古代の魔術トラップの源として。
魔術トラップが発動する度に魔力のエネルギーは失われる。
普段は身のうちから溢れ出る魔力を使っているから忘れがちなのだが、どんな物事にもエネルギーは要る。魔術トラップにだって動力源が無い訳が無いのだ。
「それなら死竜の二つ名も頷ける。確かに動きは素早かったが、自重に耐えられず天井から崩れ落ちてきたように、長くは動けず脆弱な部分が見えた。……“流星”というのは、あの竜が人だった時の呼び名だったんじゃないか」
「……酷い皮肉ですね」
想像でしかないが、そうだとしたら悲惨過ぎると思った。
かつての皇族は「流星」が堕ちた姿を見てどう思ったのだろう。
迷宮の維持のためにすまないと涙したのか、……あるいは嗤ったのか。
「いずれにせよ退けなければならないが。どうしたものか」
先へ進むには竜の部屋に戻って探索しなければならないが、正面からやり合うのは危険に思える。
一緒に頭を悩ませていると、アベルさんがぽつりと呟いた。
「助けることが出来れば……一番良いのだが」
そう言ったアベルさんの顔は微かに憂いを帯びている。
その横顔を見て、私はふと思った。
アベルさんの立場からすれば直視したくない“未来図”だろうに、嫌悪の色と言うよりは同情の色が濃い。
つまり──アベルさん的に、こうなるつもりは毛頭ないという事だ。
それに、少なからずホッとした。
最初は、「心置き無く魔術の世界に浸るためには、最低限、この人がラスボスにならないようにしなくちゃ」という思いで近づいた。
けれど今は、アベルさんが笑って過ごせる未来が来てくれなきゃ嫌だと思っている。
偽善だと笑われるかもしれないが……アベルさんが幸せそうにしていないと、この頃、魔術書に集中できないのだ。
ゲームの知識に乏しい私には、何がアベルさんのためになるのか、何をすれば望む未来へ到達できるのかが分からない。
心を開いてくれたとはいえ、アベルさんについては知らないことの方が多いし、これから何が起こるのかも分からない。
だから手当たり次第にやってみるしかないのだが……その手がかりは、それこそアベルさんの心そのものしかない。
だからこうして前進しているのを見ると、こんな局面にも関わらず安心してしまうのだ。
出会った頃のアベルさんなら、きっと諦めの色が濃かった。
下手すれば、「私もいつかはこうなる」位のことは言いそうだった。
それがこうも自然に「打開」することを考え、自分ではなく他者のことで頭を悩ませてすらいる。
完全に心がしがらみから解放される日も近いのではないか……と思った時、そのワードにハッとした。
勢いよくアベルさんの方を向く。
「アベル様。あの竜を倒すことはありません。──“解放”すればいいのです!」
「解放……?」
聞き返してきてから、アベルさんがハッとした顔をする。
私たちの間で「解放」のワードを持つものといえば、ひとつしかない。
「まさか、“死”のタロットの事を言っているのか!?」
アベルさんが驚愕する声が響く。
が、私は確信を持って頷いた。




