304 必要性
階段を上がると小部屋に出た。そこには先程見たのと同じ子供の像が三つある。
ほどなくして後ろの壁が音を立てて閉まる。
「双方向の通路だな。やはり、皇族用の緊急通路とみて間違いなさそうだ」
アベルさんの言葉に頷く。
かなり朽ちているので、今の皇族がここを知っているのかも使えるのかも分からない。
が、いずれにせよかつての皇族は確実にタロットを知っていたのだろう。
それだけでなく、通常の魔術や錬金術にも通じていた。
そう考えると何故この国の知識レベルが衰退し、魔術が嫌われるようになってしまったのかがさらに不可解になってくるが、現時点でこれ以上のヒントはない。
思考を切りかえて前を見ると、アベルさんが訝しげな顔をしていた。
「アベル様?」
「なにか……」
少し言葉を区切ったアベルさんは、くんと鼻を鳴らした。
「匂いがしないか? 悪甘いような、動物臭いような」
「! ……はい、します」
言われて気づく。
埃とカビの匂いに紛れて気づかなかったが、部屋の先の通路から微かに匂いがした。
ムッと甘いような。
訝しく思いつつ、小部屋から出て通路を進むごとに匂いが強くなる。そして角を曲がったところで、匂いが突然強烈になった。
これは甘い匂いなどではない。
──胸が悪くなるほどに強い腐臭だ。
そう思った瞬間に風を切る音がして、アベルさんの手で荷物のように小脇に抱えられた。
「ひゃあ!?」
ずざっと音を立ててアベルさんが飛び退くと、立っていた地面がえぐれている。
青くなった私の目に、鋭いトゲと鱗に覆われた尻尾がぬるりと動くのが見えた。
すかさずアベルさんが自分の分の“塔のオース”を起動する。
ブンと音を立てて青白い光が私たちの前に広がると、なにかの尻尾は危険を察知したように通路の奥へするりと引っ込んで行った。
“塔のオース”は使用者が生物だと認知しているものを引きずり込まないように設計されているが、含有する魔力量から脅威だと感じたのかもしれない。
「爬虫類の、尻尾? でもアベル様、あれ」
「ああ……」
私を抱えたまま、アベル様が壁に背をつけてじりじりと向こうを覗き込む。
そうして見た曲がり角の先、次の部屋には──何もいなかった。
しかしアベル様は何かを察知したのか、再び後ろへザッと下がる。
飛び退いた場所を、再び鋭い打撃が上から襲った。
「上だ。部屋の天井に何かいる」
「少し待ってください」
急いで水のアルヘオ文字で水鏡を起動させ、部屋の中に飛ばす。
見たいものの正体が分からず、しかも急ごしらえなのでピンポン玉のような小さな視界しか確保できない。
それでもぐるりと天井方面を映すと、深緑色の何かが映った。
その特徴に息を飲む。
「アベル様、逃げた方がいいかも知れません。これは私達の手に負えないかも……っ」
「何?」
その声に答えるようにして、何かがズシャリと部屋の真ん中へ落ちた。
クコココ、と骨を鳴らすような不気味な鳴き声を聞いたアベルさんが愕然としたように目を見開く。
「死竜……!!」
死竜とは、このファンタジー世界ですら架空だと思われている魔獣……いや魔獣と括って良いのかも分からない、不確かな存在だ。
図鑑にも魔術書にも載っていない、おとぎ話の存在。
見た目は文字通りのドラゴン・ゾンビだ。
深緑色をした硬質な鱗の下の筋肉は腐食と再生を繰り返して痙攣し、ものを腐らせる悪臭を放っている。
それにもかからわず、伝承によれば流星と称される速さで動く化け物だ。
なんでもありに思えるこの世界も、現時点では、動物の生と死だけは魔術で直接操作することができない。
治癒も若返りも死者蘇生も現状は未確認だ。
タロットを使えば可能だろうが、こればかりは取り返しのつかない結果をもたらした時のリカバリー方法がないから検証できていない。
治癒は制御を誤れば急速な細胞の死に繋がるし、死者蘇生に至っては魂の理論が確立されていない以上、それこそゾンビ化に繋がりそうで行えないからだ。
それなのに。
おとぎ話の化け物は、実在を誇示するかのようにゆっくりと翼を震わせた。
闇の中で、竜の赤いランプのような瞳が鋭く光った。
大きさは三メートル程度で思ったより小型だが、人間がまともにやり合って勝てる大きさでは無い。
すかさずアベルさんがアサメイを抜いて固定の文字を空中に刻み、床に放つ。
魔力で刻まれたそれによって地面が隆起し、死竜を大きな檻が囲おうとする。
しかし主武器であるらしい鋭い尻尾がそれをひと撫ですると、檻はムースのお菓子を切るように滑らかに滑り落ちていった。
「アベル様っ、退却しましょう!!」
小脇から叫ぶとアベルさんが頷いて後ろへ走った。
子供の像がある小部屋へ飛び込み、いつでも扉を開けられるように銅の子供像へ手をかざす。
が、ひとつ威嚇するような咆哮がとどろきはしたものの、追撃はやってこなかった。
バクバクする心臓を押さえていると、思い出したようにアベルさんから降ろされた。
ふうと息をついて、そこで気づく。
アベルさんの左足首あたりのズボンに切れ込みが入り、そこが血で赤黒く染まっていた。
「アベル様!」
「大丈夫だ。歩くのにも支障ない」
即答されるが、そういう問題ではない。
「あんなの明らかにばっちいでしょう!! 今すぐ消毒しますよ!!」
「ばっち…………だが、本当にこの部屋に来ないとは限らない」
「来ませんよ。退却する時、曲がり角の通路の繋ぎ目が少し光っていました。あそこが恐らく結界なんでしょう」
「……よく見ているな」
瞬間湯沸かし器のようにぷんすこした私の勢いに押されたのか、アベルさんがしぶしぶ部屋の隅に腰を下ろす。
そのズボンの裾を捲ると、思ったよりもザックリ切れていてその赤に少し怯んだ。
それを見てとったアベルさんが足を隠そうとする。
「子供が見るものじゃない。自分でやるから貸しなさい」
「やーりーまーす。あと子供じゃないですから平気です」
中身は成人をとっくに越しているという話は何度もしたのに、アベルさんはいまだに私を子供扱いする時がある。
夜明け団の子供たちへの接し方を見るに、小さい生き物は守るべきものという認識が強いタイプなのだろう。
が、私に対してそれでは困る。
……困るというか、なんか嫌というか。
ともかく、ヴィル兄様とオルリス兄様に準備してもらった救急セットを広げて手当をする。
何故か「消毒・アリス用」と「消毒・アベル用」と書いて分けてある。アベルさんの方は大人用だろうか。
消毒液をかけた瞬間アベルさんが見たことないほど痛そうな顔をして静かに悶絶したりもしたが、一通りの処置を終わらせた。
心なしかぐったりしたアベルさんが「あの男……」と疲れたように呟いた。
「流石ですよね。効能バッチリでよかったですね」
オルリス兄様による祈祷済みの消毒液をかけた傷は見る見る炎症が治まった。流石は兄様だ。
何故か遠い目をしているアベルさんに語りかける。
「さて、謎解きをしなければですね」
「……そうだな」
頷いたアベルさんと目線を合わせて頷き合う。
「ここが緊急用の脱出路なら、必ず突破口があるはずです。それを特定しないとですね」
「ああ。それに、なぜ死竜を選んだのかにも理由があるはずだ」
貴族は名誉と外聞が命の生き物だ。
秘匿された通路の中とはいえ、貴族の頂点たる王がゾンビを使役していたのには理由があるはず。
死なずの門番が欲しかったのだとしても、もっと金属や石製のガーディアンであるとか、ギミックでなんとかできたはずなのだ。
死なない生き物でないといけなかった理由が、必ずある。




