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303 アリスと迷路


 突如として現れた八つの入口にたじろぎ僅かに後退すると、飛行具の翼が何かに当たったのを感じた。

 びくりとして後ろを見ると、壁である。

 

「あっ、アベルさん! 退路が無くなってます!!」

「……!」

 

 振り向いたアベルさんも愕然としている。

 完全に罠にハメられたと思ったのだが、目の前の怪しげな通路群から何かが出てくるということも無い。

 飛行具から降りてしばらく耳を澄ませてみるが、獣の鳴き声も聞こえなければ軍靴の響く音もしなかった。

 ただ、目の前に複数の道があるだけである。

 

「この通路、なんなんでしょう」

「雰囲気としては……迷路の類に見えるが」

「でも入口が複数って、あんまりないですよね」

 

 一般的に、迷路とは入口と出口がひとつずつのものをいう。

 途中に隠し扉や袋小路があったりはするが、正解は一つだけだ。

 まさか迷路が八種類ということも無いだろうし、なにかの仕掛けを感じる。

 

 そんな風に惑っていると、アベルさんが通路の真横にある壁を注視した。

 分厚い埃を被っている石のプレートがある。

 アベルさんがその埃を丁寧に払うと、刻まれた文字らしきものが現れた。

 私も近寄ってみる。


「古代ロアン文字でしょうか。えーと、道、人、……潰れてて読みにくいですね」

 

 石のプレートは相当な年代物らしい。降り積もった埃が劣化を招いたのか、文字が所々崩れていた。

 イレ皇子からのムカつくメッセージでも書かれているのではないかと一瞬想像したのだが、どうやら趣が違う。

 

「随分古い文体だが、読めなくはない」

 

 そう言ったアベルさんが少し考えるように沈黙し、ふいに口を開いた。

 

「導きなくして、行きて帰りし者はなし。真の、……者? のみが渡し守に選ばれる。──要約すると、大体そういったことが書いてある」

「わぁ~……」

 

 私は思わず明後日の方を眺めやった。

 

 ──バリッバリの、ゴリゴリの、迷宮(ダンジョン)じゃないか。

 

 異世界転生モノのバトル漫画じゃあるまいし、そんなベタな。

 

「……」

 

 私って、異世界……転生してるな。

 剣と魔法の世界に……、来てるな。

 

 試しに一番端の通路に小石を投げ込んでみると、カランカランと石は転がり沈黙し──それからビシュッと鋭い音を立てて粉微塵に弾け飛んだ。

 その隣の通路にもうひとつ石を投げ込んでみるとしばらくは何事も無かったが、瞬きした瞬間に音もなくスッと消えていった。

 ……目をこすってもう一度投げ入れたらしばらくそこに転がったままになったが……ふと目を離した隙に、二つ隣の通路に音もなく転移して、それからやっぱり粉微塵に弾け飛んでいた。


「アベル様。これは早急にイヴァン様とフレッジ様の耳を揉む必要がありそうです」

「現実逃避はやめなさい」

 

 顔も見ずに突っ込まれ、思考を切り替えることに失敗した私はダラダラと冷や汗をかいた。

 

「だだだ、だって、ダンジョンですよ。一歩間違えば首ちょんぱされたりレーザーで焼き殺されたり落とし穴でグッサリ、もしくはモンスターが沢山いる部屋に飛ばされてなすすべも無く蹂躙され……あぁあ」

「落ち着け」


 金薔薇のことを乙女ゲーだからと舐めていたかもしれない。

 こういうのも、ありなのか。

 

 ……じゃなくて。

 今は対策を考えるしかない、そう思ったのだが。

 ふと私は何を焦っているのだろうと思った。

 

「思ったのですが、ここ、古い遺跡を元に建築された皇城の地下? じゃないですか」

「そうだな」

「それで、明らかに古い迷宮があって。そんな場所で“導き”なんて具体的な単語が出てきたのなら、出すものはひとつですよね」

「そうなるな。極めつけに、ここには私たち以外の目がない」

 

 そう言ったアベルさんに、再びそっとマントで隠される。

 

「とは言え、君がこの前やっていたような“水鏡”での遠視はありうる。君のは極至近距離限定だが、あいつはどうだか……タロットを使うなら隠して使いなさい」

 

 神妙に頷き返しつつ思う。

 ──そう、恐らくここは皇室関係者がタロットでクリアすることが前提の、古い古い迷宮(ラビリンス)なのだ。

 どうしてそんなものがあるのかは分からない。

 もしかしたら緊急時の脱出、あるいは帰還用の通路なのかもしれないし、修行のために放り込まれる施設とかだったのかも。

 調べないとなんとも言えないが、そういう趣がある。

 アベルさんが冷静だったのはすぐさまそれに思い至ったからだろう。

 

 とは言え、目の前にあるのは即死トラップが仕掛けられた迷路だ。

 私はまず、最近編み出した「占術」を使うことにした。

 

 アサメイを抜き、そっと胸の前で構える。

 

「“展開(スプレッド)、ゴールデントリン!”」

 

 言葉と同時に私を取り巻いた魔力の渦が発光し、ポーチに入れてあるタロットカードから三枚が浮かび上がった。

 彩色されたタロットは目の前で横並びになり、私がアサメイで指し示す真ん中のカードだけが一段高い場所へ浮かぶ。

 

「“解釈(リーディング)”」

 

 唱えると、三枚のカードが表面を見せた。

 それを見てアベルさんが「ふむ」と呟く。

 

「やはり打開策は隠者のカードか」

「そのようですね」

 

 眼前のカードは左から「金貨のエース」「女帝」「隠者」だ。

 

 ──私が今行っているのは、タロット占いで行われるスプレッドをそのまま模した儀式である。

 タロットが特徴通りの効果を発揮し、「並べ方(スプレッド)」が存在する以上、占いもまた有効であろうと判断しこの一年で模索してきた技術だった。

 要は少しばかり信憑性の高い占いである。

 こちらが誤解することでズレることも勿論あるが、なにも情報がない時に使わない手はない。

 が、タロットを三枚使うので膨大な魔力を使う。

 故に私ぐらいしか使えないし、後々の体力に響くのだが……初手で死ぬ訳にもいかないので仕方がない。

 

 タロット三枚は左から現状、結果、対策を表している。全て正位置だ。

 つまり大まかに結果を表すのなら……現状は「良きものが手に入る」、結果は「豊穣や愛」、対策は「導きや孤独」だ。


「対策が隠者なのは、石版の文字からして予想がつきましたが……」

 

 独りごちるように言うと、アベルさんが首を傾げた。

 

「何か気になるか?」

「結果が“女帝”なのが、どうしてなんだろうと思いまして」

 

 女帝は解釈が難しいカードだ。

 真実や愛情、母性や情熱を意味するが、嫉妬や支配など身近に溢れる苦しみを象徴するカードでもある。いずれにせよ強い力を秘めたカードだ。


「気にはなるが、正位置なら悪いことにはならないだろう。留意しておいて、進むしかない」

「それもそうですね」


 三枚のカードを束ねて隠者のタロットを選び、掲げて発動させた。

 すると、光の筋が道に浮かび上がる。

 光は真ん中の道を指し示していた。

 

「……行きましょう」

「ああ」

 

 息を飲みつつ、私とアベルさんは歩き出した。

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