303 皇城 北の水路
隠匿の魔道具が発動していることを再確認し、崖に沿って船着き場へ近づいていく。
すると、見張りの兵士二人の会話が聞こえてきた。
「あ~あぁ……お前が馬鹿なことしたせいで俺までとばっちりじゃねぇか」
「そんなこと言ったって仕方ねぇだろ。夜勤明けはとにかく飲みてぇんだよ」
「だからってハメ外しすぎだバカ。そのせいでこんな所に配属されたんだから本当に反省しろよ」
兵士二人は剣にもたれかかってそんな会話をしている。
どうやらここへの配属は懲罰のようなものらしい。
「あーあ、せめてあっちのでかい船着き場ならな……綺麗な踊り子とか楽士のねーちゃん、着飾ったお嬢さん方も通るのによ」
「悪かったって……今夜は奢るから」
「だぁーから酒はやめろってのバカ!」
アベルさんと視線を合わせ、頷き、さらに降下して彼らの二メートル以内の所まで距離を詰める。
姿は見えずとも音は消せていないので、崖や彼らに触れないよう気をつけながらさらに近づいた。
心臓がドキドキと高鳴る。
「こんなとこじゃ真面目に勤務したって誰にも見てもらえねぇしよ……。聞いた話だと、もう十年はここを通った人はいないって」
「まぁそうだろうな。つーか俺達も入ったことないし」
アベルさんが洞窟の入口付近を慎重に確認する。
私も古い魔道具の気配がしないかどうか、感覚を研ぎ澄ませた。
モシュネの小箱の時にも感じたが、古い魔道具からは独自の気配がするものだ。
最近になってそれをより敏感に感じ取れるようになってきたのだが、少なくともこの入口にそれは感じられない。
再びアベルさんと頷き合う。
延々とクダを巻いている兵士たちの会話を聞きつつ、意を決し、彼らの斜め上をすいと通り抜ける。
風がふわりと彼らの髪を浮かせたらしく、片方の兵士が軽く髪を撫でつけながら振り返った。
「……ん?」
「あ? どうした」
「いや……っうわ!?」
アベルさんと私がびくりと震える。
が、兵士は「うわっ虫! うわ気持ち悪っ、足多っ!!」と、自分の横の壁面を見て騒いでいるだけだった。
隣の兵士がそれを見て呆れた声を出す。
「たくよー、こんな川っぺりの洞窟なんて虫の宝庫に決まってんだろ。やっと懲りたか?」
「懲りた……もう絶対来たくない……」
……よし。何も、気づかれていない。
バクバクする心臓を押さえる。
昔、こういうゲーム──確かイラ○ラ棒という──があったなと思いつつ、大きく息をつきそうになって慌てて口を押えた。
慎重に進むうちに兵士二人の声が後ろに遠ざかって行く。
「ていうかよー、この奥って何があんだろな?」
「さあなぁ。少なくともお偉いさん方が通るようなところじゃねぇのは確かだけど、──……」
水路の上をふよふよと進み、彼らの声が聞こえなくなり姿が見えなくなったところで囁いた。
「……気づかれてませんね」
「ああ。……だが」
「はい。さっきの兵士の会話……」
まさか、もう十年も使われていないとは。
そこまでいくと、この奥は閉鎖されている可能性が高い。
洞窟になっている水路の中には辛うじて歩けるスペースがあるが、そこに手入れの形跡はなかった。
そして……。
「アベルさまぁ……」
私は半泣きで情けない声を出した。
「…………君、実験の時は平気で突っついているじゃないか」
「それはそれ、これはこれで……っぅあぅ~……」
自分の横、あるいは真上の壁面。
そこに、足がいっぱいある例の虫を複数認めて、私は体の底からぶるりと震えた。
こいつらは何故か突然落ちてきたりする。それを想像するだけでもう無理だった。
というかとにかく見た目が無理。全細胞が無理だと訴えてくる。
確かに実験や調薬に必要な時は頭が冷静になっているので平気でピンセットで摘めるのだが、シラフの時にこいつらを見るのは無理なのである。あと予想外の場所で見るのが特に無理だ。
横でぽちゃんという水音がするだけですわ敵襲かと毛を逆立たせる私を見て、アベルさんが珍しく吹き出した。
「君……いや、怖がりすぎだろう」
「無理ですマジで無理なんでヒョワッ」
またポチャンと音がして、ただ水滴が落ちただけなのだと分かっていつつもびびって飛び上がる。
すると、アベルさんが苦笑しながら飛行具を寄せてきた。
瞬きする間もなく、ふわりと頭からマントがかけられる。
「暫くこうしていなさい。そのうち水のないところに出れば虫も減るだろう。……多分」
「たぶん……」
「使われていない通路、というのがどれだけ野生の王国になっているのかは、まぁ、分からないからな」
「ううう」
予想していなかった精神攻撃、もとい自爆に涙目になりつつ、アベルさんのマントをぎゅうぎゅう握る。
外の光が届かなくなってきたのでアサメイを抜いて明かりにした。
そうしてアベルさんのマントの中で幼女ランタンになっていると、程なくして人工的な石材の壁が見えてきた。
水路は綺麗なアーチ型になり奥へ続いている。
そしてその横には、しっかりとした床スペースと階段もあった。
しかし。
「行き止まり?」
「だな」
見たところ階段は壁に向かって伸びているが、まるで壁に吸い込まれるようにしてそこで止まっていた。
完全に埋め立てられている雰囲気だ。
「どうりで警備が二人しかいない訳だ。通路としては完全に放棄されている」
「うーん……“塔のオース”で壁をぶち抜いて進むのも手ですけど、出た先がどこかわからない状態で使うのはちょっと怖いですね」
壁をぶち抜いた先で警備兵とコンニチハする可能性もあるし、古い閉鎖空間では落盤や崩落の危険もある。
壊せるが戻せないので、そうなると詰みだ。
自然、視線はアーチ型の水路の奥へ向かう。
アベルさんが視線でいけるか?と問うてきたので、私は使命感を思い出し、フンスと意気込みを見せた。
「勿論行きますよ。虫がなんだってんです!」
「……」
マントから手は離さなかった。
◇
気を取り直して水路の奥へ進むこと、数分。
途中で道を曲がったり、あるいは僅かに上へ登ったり、分岐している道を左手を壁につける方式で進んでいくなどしていると、ふと風を感じた。
「……?」
「風だな」
同時に顔を見合わせると、より風が強くなった気がした。
しかしここは狭い水路の奥だ。空気が動くことはあまりないはず。
現に湿った空気が充満しているし、幸いなことに下水ではないから臭いは少ないものの、胸が悪くなるような停滞した空気を感じるのに。
と、そこでアベルさんが自分のアサメイに光を灯し、明かりを水面に寄せた。
「……波が立っている……?」
水は川に向かって静かに流れていたと思うが、これは、なんだかそれよりも。
サッと血の気が引いた。
「増水、してる感じ……?」
私のつぶやきを受けたアベルさんが、私を抱えたままザッと後ろへ引き返して飛ばし始めた。
遅れて私も自分の飛行具をコントロールして併走する。
途端に足の下で水がドッと増して来て、靴の爪先が水に触れたのを感じ取り心臓がジンと冷えた。
「あの人の罠でしょうか!?」
「わからん! だがどの道、引き返さないと、っ……!」
先行していたアベルさんが急ブレーキかけたようにピタリと止まる。
静止を受けて私も飛行具を止めると、アベルさんの向こうには想像と違う風景が広がっていた。
「なっ、……なんですかこれ!?!?」
──それは例えるなら、首が八つもある蛇の首が絡み合い、こちらに口を開けているような。
入り組んだ複数の通路が、深淵なるその口を開いている……巨大な迷路の入口だったのである。
中世の城の地下といえば、ということでダンジョン風です。




