第54話:ふさいー?
「貴女が万象の魔女殿か」
男が言った。
「そうだよ、グラニッピナだ。こっちが弟子のマメー」
「マメーです!」
マメーはぴっと右手を挙げて宣言した。
男の視線がマメーへと向かい、そして師匠に戻る。彼は腰より短杖を抜くと、それを後手に腰のあたりに当て、逆の手を胸に当てて深くお辞儀をする。魔術師の敬礼にあたる所作であった。
「万象の魔女、大達人階梯グラニッピナ師。不才の名はランセイル。お目通り叶ったこと光栄に御座います」
師匠は手を横に振る。
「おやめ、あたしはあんたより歳上だし、魔術の腕は上かもしれんがね。貴人ってわけじゃあない。そんなにへりくだらなくて良いさね」
彼はゆっくりと顔を上げ、暗くじっとりとした視線を師匠に向けて言った。
「いえいえ、偉大なる魔女殿の前にあっては自分など不才そのもの」
師匠はにやりと笑う。
高位の魔女にこう言われて態度を変えぬ我の強さが良い。そして何より、不才、つまり才がないなどと言っておきながら、全くそうは思っていない自信に溢れた視線が良い。
魔術師ってのはそうでなくっちゃあね。師匠がそう思っていると、ローブの袖が引かれた。
「ねーねー、ししょー」
マメーである。
「ふさい、ってなーに?」
「私、って意味さね」
「ふーん」
マメーはなんでみんな色々と難しく言うんだろうと思った。
ランセイルは言う。
「万象の魔女殿は、ずいぶんと幼いお弟子をお連れですな」
その言葉に嘲りの響きはない。だが、それをわざわざ口にしたということに嘲りの意図はあろう。
「ランセイル」
ルイスが咳払いを一つし、彼の名を呼ぶ。師匠は構わんと、手をひらひらと振った。
「あんたこそずいぶんと若いねえ」
「ご不満がおありで?」
「そりゃあそうさ。ただ、あんたにじゃぁないよ。この国の医師とか魔術師に不満があるのさね」
先ほど師匠が眉をひそめた理由である。
ハンナは得心したように頷いた。
「どういうことでしょうか?」
ルナ王女は尋ねた。
「お姫さん、あんたのとこ最初にきた医者は、あるいは魔術師は、こいつほどに若かったかい?」
「いえ……」
一国の姫の異常を診るのだ。典医や宮廷魔術師の中でも長やそれに準じる立場のものたちが来るに決まっている。
ルイスのように騎士であれば若くて強いということもあるだろう。人間の身体能力は一般的に二十前後がピークであり、技術向上も踏まえれば戦士としてのピークは三十代前半とされる。
だが、学問や魔力は違う。魔力量は加齢により減少しないし、年老いているくらいの方が、知識も経験も優れるものだ。それを考えればまだ若いランセイルが王女の医療を担当しているのは不自然ではあった。
「ご想像の通りです。老人どもは責任を取るのが嫌であるらしい」
つまり彼らの上層部は王女の角を治すことができず、かつその責任を負うのを嫌って、部下に責任を押し付けたということだ。
師匠はランセイルから感じる魔力から、魔術師としてはかなり才があると分かった。そしてその能力や性格は上に立つものにとって煙たい存在であったであろうということも。
彼の歯に衣着せぬ発言に、師匠は機嫌良さげに笑った。
「ひひひ、足を引っ張るのがいないだけマシさね」
「仰る通りです」
ランセイルもまたうっそりと笑みを浮かべた。
ルナ王女たちは驚く。彼女たちの前でランセイルは、少し痩せぎすながらも整った顔に、いつも貴族的な微笑を湛えた男であったためだ。
「さて、ところで不才はここで大きな魔力の波動が発せられるのを感じたために参ったのですが」
「ふむ」
「何が御座いましたか? 治癒のものではありますまい?」
マメーたちがルナ王女の部屋に入ってから魔力が発せられたのは3回である。1つは師匠がルナ王女にかけた〈軽量化〉と〈小治癒〉、1つが〈誓約〉、もう1つはマメーが魔力をゴラピーたちに与えたことだ。
大きな魔力と言っているのは〈誓約〉に違いない。
「確かに治療とは違うねえ。だが教えてはやれんね」
ランセイルはルナ王女に視線をやった。だが彼女も侍女たちも首を横に振った。次いで壁際に立つ、友でもあるルイスに視線をやったが、彼もまたすまなそうな表情で首を横に振ったのである。
「ふむ……」
「魔力の波動に勘付いたのは評価しようじゃないか。だが駆けつけるのが遅くては意味がないねえ」
師匠は話を逸らしてそう言った。つまり、その魔力で姫を害していたのなら間に合わないということである。
「貴女が本気で陛下や殿下を害そうとすれば、宮廷魔術師全員でかかっても止められますまいよ。ただ、そうはなさらないでしょう」
「そうかねぇ? 魔女ってのは危険な奴らばかりだがね」
「万象の魔女、噂に名高いその魔女が非道を働いたという話を不才は聞いたことがありません。そしてルイスが貴女と会った時の話や印象も聞いています」
気難しそうな男だが、ルイスとは仲が良いらしい。師匠は思う。
ランセイルはマメーに視線をやった。
マメーはぱちくりとまばたきして首を傾げる。
「ふさいがどうかした?」
ルイスが吹き出して、師匠は咳払いを一つ。
「真似するんじゃないさね。こいつがどうかしたかい?」
「いえ、幼子を連れて非道を働くような人物ではないと確信したまでのことですよ」
ランセイルの言葉に図星をつかれた師匠は、ふんと鼻を鳴らした。








