第一話:戸惑いの闇
魔法使いは、王の命令通りに隣国の姫の居場所を探した。
この国に逃げたことまではわかっているが、それから先の足取りがぱったりとわからなくなっているのだという。
自国から出奔し、あてもなくどこかへ行ってしまったのならば、何不自由なく暮らしてきたであろう姫君に、生き延びる術がそうあるとは思わない。
放っておけばのたれ死ぬだろうに――そう思いながら、国中を探索魔法にかけた。
それによって見つかった姫は、何と、近隣の民ですら危ういと近づかないような、生い茂った緑の深さによって鬱蒼とした暗さを振りまく森の中にいた。
元々、いつの時代かに建てられたと思われる小さな小屋に住み、驚いたことに、自給自足の生活を営んでいたのだ。
その小屋は、森の大分奥に近い場所にあった。その辺りは少し開けていて、確かに人が住めなくもない。
耳を澄ませば、どこからか水の流れる音も聞こえてくる。
あちらこちらに修繕の跡が見られ、ひとりの人間の住まいとして作り変えられていた小屋に辿り着いた魔法使いは、自らの手で作ったらしい菜園にて、頭にほっかむりを巻き泥だらけになりながら、野菜の手入れをする姫の姿を見て、普段ほとんど表情の無い顔が余計に固まる程、目を見開いて呆然としてしまった。
「……貴方、誰?」
胡散臭そうに投げかけられた視線。
問い掛ける声は、凛として張りのあるとても美しいものだった。
畑仕事をしていたせいで結いあげられた銀色の髪は乱れ、汚れた手で拭ったのか白い頬もまた泥が付いていたが、それでも彼女の美貌は損なわれていない。
何より目を引く榛色の大きな瞳は、生命力に満ち溢れていて、ただ着飾って生きるだけの貴族の姫君達とは違い、生き生きとした魅力を放っていた。
「――――」
思わずあらゆる意味で度肝を抜かれてしまった魔法使いは、言葉が出ない。
隣国の王の娘、つまりやんごとなき血筋の王家の姫であるはずの十六歳の少女は、雑草を引き抜いていた手を止めて立ち上がると、土を払って、おもむろに片方の手を伸ばし――
「……!」
「人と向き合う時に、フードなんか被ってちゃ駄目って習わなかった?」
頭に被っていたフードを払いのけられ、魔法使いはぎょっと目を剥く。
とっさのことで、魔法を使うことも出来なかった。
……否、常ならば無意識の内に身から溢れ出る魔力によって、彼女の手は弾かれていただろうに、それが為されなかった。
フードを被り直す前に、少女と真っ向から目が合ってしまう。
僅かに見張られた榛色に、ばつが悪くなり、再び顔を隠そうとフードを握るが、それよりも早く少女は口を開く。
いつものように、気持ち悪いとか何とか言われるのだろうと思っていた。
けれど、耳に届いたのは予想だにしなかったことで。
「うわあ、綺麗な髪と瞳。貴方、余程精霊に愛されているのね」
――それは、生まれて初めて言われた、拒絶ではない言葉だった。
嫌悪でも畏怖でもなく、心からの称賛と感嘆の台詞。
故に、彼はどうすれば良いか分からず、三度硬直する。
……彼の瞳は、生まれた時から真っ赤に染まっていた。瞳孔も虹彩も、一見見分けがつかない程深い真紅に。
血のような目の色の人間など、他にいない。
それに、彼の髪は闇のように真っ黒だった。この大陸に、彼のような髪色の人間はいない。
かといって、他大陸に黒髪の人間がいるとも、聞いたことがない。
黒髪も赤眼も、異形の印であった。
忌み嫌われこそすれ、今まで誰にも、こんな風に受け入れられたことなどなかったのに――。
「もしかして、魔法使い? この子達、すごく貴方が好きみたいね」
少女は何の躊躇いも無く、近くに居た風の精霊に触れた。
手の平サイズの小さな人形のようなそれは、人の目には普通映らない。
それどころか、触ることも出来ない。
なのに少女は平然と精霊の頭に触れ、撫でてやっている。
言葉を持たない精霊は、嫌がるどころか嬉しそうにはにかんでいた。
自由を愛し人間に囚われることを好まない風の精霊が、逆に彼女に纏わりつくようにしている。
良く見ると、榛色だと思っていた瞳は、鮮やかな黄金色。
「聖眼……」
彼の瞳は、邪眼と呼ばれている。
悪魔に魅入られた者の印だと。
その反対に彼女のそれは、神の寵愛を受けた者の証であるとされていた。
聖なる瞳を持つ者が、何故邪悪な瞳を持つ者を構うのか。
彼には、目の前の少女が理解できなかった。
精霊達は嬉しげに二人の周りを取り囲んでいたのだが、彼は戸惑うあまり、それに気付く余裕すらなかったのだった。




