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【真珠】晴夏の優しい手


 食事が終わって宿泊棟に移動する時、理香と加山はフロントに寄ってから戻るとの事で、わたしと晴夏は貴志と共に先に移動することになった。


 帰りも空中ブランコを期待していたが、致し方ない──潔く諦めよう。


 貴志が抱き上げようとしてくれたが、その手をおさえて首を振る。わたしはそのまま、彼の前をすり抜けた。


 わたしが勝手に意識しているだけなのだが、抱っこで密着するのが気恥ずかしい。

 世話を焼いてくれようとしているのに、申し訳ないなと思いながらも、どうしても顔が見られない。


 わたしは晴夏を追いかけ、彼の隣を歩き、先ほどの火傷を確認する。


「ハル、もう火傷は大丈夫? まだ痛い?」


 わたしの質問に、彼は一度頷いてから「大丈夫」と一言だけ発する。


 良かった──そう思いながら彼に微笑んだ。


 晴夏はわたしの笑顔を受けて、スッと左手を差し出す。

 わたしは彼の掌に、自分の右手を乗せた。



 晴夏は、人と手を繋ぐのが好きなのかもしれない。



 初めて会った時から、二人でいる時はよく手を繋いでいる。

 わたしの手を、いつも優しく握り、大切そうにその手を重ねるのだ。


 最初は緊張して、手汗が気になっていたのだが、彼はまったく頓着しないようだったので、わたしもいつの間にか気にならなくなった。



 晴夏はわたしの手を、指を、いつも大切な宝物のように扱ってくれるのだ。



 それが何故かとても嬉しかった。

 だから、わたしは晴夏と手を繋ぐことが、いつの間にか好きになっていた。



 寡黙ではあるけれど、手を繋ぐと彼の優しさが掌を通して伝わってくる。

 氷の花の風情の中に、温かさもあることが分かり、くすぐったい気持ちになった。



 晴夏が時々、はにかんだ笑顔を見せると、暖かな風が吹くような気がする。

 いつか、彼の本当の笑顔を見れるだろうか。見られるといいな、と思う。



 今でさえこんなに美人さんなのだ。笑顔はどれほど息を呑む美しさになるのだろう。



 きっと彼の満面の笑みは、冬の寒さを耐えた花が一斉に綻びるよう──絢爛たる鮮やかさで色づくに違いない。



 そんな彼の笑顔を想像するだけで、こちらまでドキドキして嬉しくなる。



 晴夏とは言葉を交わさなくても、掌から、眼差しから、彼の感情は不思議と伝わってくるのだ。



 話さなくとも、わかり合える──そんな素晴らしい友人を、わたしは得られたのだと思う。



 わたしは晴夏と時々目を合わせ、お互いに微笑みを交わしながらガゼヴォの横を通り過ぎる。



 靄の中、ここで彼と出会ったのだ。

 ハルルンとしてではなく、鷹司晴夏として。

 とても神秘的な光景だったことが思い出される。


 晴夏にエスコートされながら森の小径を歩き、紅子の棟まで辿りついた。


 紅子は、兄と涼葉と一緒にルームサービスで昼食中だった。


 兄は一心不乱に譜読みをしながら、サンドイッチに齧り付いている。

 わたしが訪れたことにも気づかない集中振りに、邪魔をしてはいけないな──と、紅子の部屋を後にした。



 晴夏を送り届けた後、わたしは貴志と共に彼の部屋へ向かい、歯磨きを済ませ、理香と加山が迎えに来てくれるのを待つ。


 貴志はチェロを取り出し、指慣らしにスケールを弾き始めた。


 わたしは彼の音色を聴きながら、そっと目を閉じる。

 貴志の音は、慈愛に溢れ、気持ちを穏やかにしてくれる。


 はじめて会った浅草寺での演奏も素敵な音色だった。

 けれど、今──彼の奏でる音は、更に深さと艶が増し、その中に見え隠れする切なさが、わたしの心を打つ。


 何故、こんなに繊細な音が出せるのだろう。

 彼は何を思って楽器を奏でるのだろう。



 少し眠くなり、意識が遠のきはじめた頃、貴志が自らの薄手のジャケットをわたしに掛けてくれたのが分かった。

 相変わらず、優しくて、気配り上手だ。


 おそらく眠ったのは二十分くらいだろう。

 理香と加山が貴志の部屋へ訪れ、わたしはその物音で目が覚めた。


 これから、晴夏の保護者に挨拶に行くのだが、理香がかなり気不味そうにしているのが分かる。


 鷹司社長の唇を奪った前科があるので、気が重いらしい。


「社長は来てないよ」


 そう教えると少しホッとしていたけれど、でも「奥さんに合わす顔がない」とも言っている。


 とりあえず行ってみよう、と言うことになって加山は理香と出ていった。


 わたしはうたた寝によって、理香に結ってもらった髪がボロボロになっているとに気づく。

 二人が戻ってくるまでの時間で、貴志が縛りなおしてくれると言うのでお願いすることにした。


 今日は貴志の顔をあまり見ていない。

 貴志は今どんな顔をしているのだろう。


「真珠、お前、さっきから何故目を合わそうとしない?」


 貴志の科白に身体が固まる。


 ポニーテールを整えてもらった後、貴志がわたしの髪をくるくると指に絡ませて遊んでいるのが、鏡越しに見えた。


「ああ、やっと顔を上げたな」


 貴志は、わたしの頭を撫でた。


 わたしはきっと真っ赤な顔をしていることだろう。


 どうしよう。

 顔を見たら見たで、今度は目が離せない。

 無性に貴志に抱きつきたくなって、それをグッと堪える。



 どうする? 抱きつく? いや、いきなりそんなことをしたら、貴志が引くだろう。だが、しかし──



 己の煩悩と葛藤していたら、なにやら外が騒がしくなった。



 貴志と共に玄関から出ると──



「こんなの聞いてないわよ!」



 理香の甲高い声が森に木霊した。



 そこにはハブとマングース──いや、大蛇と女豹?──理香と紅子、その二人が揃って立っていた。







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