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【閑話・葛城貴志】恋心 - Koi Gokoro -


 狂おしいまでの想いなど、知らなかった。


 彼女を想うだけで、喜びと憂いが同時に心を支配する。


 甘美な痛みが胸に宿り、それは麻薬のように心と身体の自由を奪っていく。




 まさか自分が、そんな想いに心奪われ、思い悩む日を送ることになるなど、想像だにできなかった。






 これを――




  この気持ちを――この惑いを、




   おそらく人は『恋』と呼ぶのだろう。





          …





 この気持ちが、それに近い感情であると気づいたのは『紅葉』での一夜――彼女が、過去について語った、あの晩のこと。


 彼女は告げた。

 俺は将来、大切な『宝物』に出会う――と。


 話しぶりからすると、それは――おそらく女性。

 俺がその女性に出会い、恋い慕うようになる。


 真珠は迷いもせず、俺にそう伝えたのだ。



 その『宝物』を得るための協力を惜しまないと、あまつさえ激励までしてくれた。


 咄嗟に何も言えず、ただ困惑した表情を見せたことを覚えている。



 彼女の言葉は俺の心に、何故か――痛みを残した。



 今まで一度も感じたことのない、息苦しさが胸に去来する。



 突き放されたような――心許ない感覚に焦燥を覚え、この気持ちが何に由来するのか、ひどく戸惑った。



 今まで生きてきて、初めて感じたこの感情。


 自分の心だというのに、理解が追いつかず――時が止まった。



 何故、そんなに平然と、迷いも躊躇もなく――見も知らぬ女性を、俺に宛てがうと告げるのだろう。



 浅草寺での不可思議な出会いに、彼女をかけがえのない存在だと――やっと出会えたのだと――心を踊らせたというのに。


 そこで更に、俺は困惑の渦に足をとられる。



 ――俺は、何故、心を踊らせたのだろう?



 彼女の態度を受け、自分の胸中に生じた複雑な思いに気づいた時――完全に思考が止まった。




 何故、彼女の言葉にこんなにも衝撃を受けたのか。

 何故、これ程までに苦しいのか。

 何故、こんなにも苛立ちを覚えるのか。



 その時初めて、理解した――既に己の心のすべてが、彼女に絡め取られていたことに。



 自分でも気づかぬうちに心を奪われ、逃げることさえできないほど惹かれていた事実に、只々(ただただ)愕然としたのだ。




 最初に興味を抱いたのは、彼女の中身。

 あざやかな笑顔で俺を翻弄した――妙齢の女。


 その為人(ひととなり)に焦がれた。


 けれど、時折見せる大人の女の幻に騙されそうになるが、その外見は――まだ年端もゆかぬ少女。


 厄介な感情だと、自覚した瞬間――言葉が零れ落ちた。



「参ったな……。そういうこと……なのか……」



 たった今、気付かされた己の心の内に茫然としながら、そう呟き、天井を仰ぎ見た記憶が今でも鮮明に思い出される。



 恋に落ちる――正しくその通りの字面だ。

 気づいた時には、抗いようもなく、落ちていた。


 恋をしたことなど無かった。

 誰かを希求する想いなど知らなかった。


 だから――気づくのが遅れた。


 いや、そう思うことさえ、単なる言い訳に過ぎないのかもしれない。



 もっと早くに気づいていれば、止められたのだろうか?

 おそらく答えは――否だ。



 彼女は俺の心を救い出すだけでなく、たくさんの想いと、そこから生じる感情の息吹を植え付けていった。

 


 ――愛しいと思った。

 彼女の笑顔の温かさに、心が安らいだ。


 ――大切だと感じた。

 彼女の憂いも惑いも全て包み込み、守りたい。




 良識ある大人であるならば、この感情を萌芽の時点で胸に押し込め、無かったことにしたのだろう。




 けれど、それは既に――俺の心に根を張り、枝葉は身動きも取れぬほど、この身を雁字搦めにしていた。


 どんなに足掻こうと、抜け出せないのだ。


 この気持ちを殺そうとしても、彼女の心を求めて、その想いは芽吹くばかり。




 愛しさを――初めて己に生じたこの感情を――心が知ってしまった。




 既に手遅れだった。

 消すことができないのだ。




 頭では理解している――彼女は幼い少女だと。

 けれど、心に映る彼女の姿は――大人の女性の幻。



 ――あの『目』が、この心を惑わすのだ。



 自分のこの心を、彼女に悟られてはいけない。

 知られることなく、消し去るべき感情だ。



 だから俺は、その心に蓋をした。




 けれど、俺の中に生じた葛藤が、彼女を苦しめていたことを知ったのは――今朝のこと。



 彼女の取り乱す様子に――唇を塞げと、静かに怒りをたたえるその様に、果たして俺は、どうすることも出来なかった。



 彼女の無茶な望みを、掌越しに叶えることしかできなかった。



 触れたら――すべてを壊してしまいそうで――そのことが、ただ恐ろしかった。




 心は――心の奥底は、彼女を切望し、いつかこの手に堕ちてくることを(こいねが)っている。


 何故こんなにも浅ましく、欲深い想いをこの身の内に抱えてしまったのだろう。


 己の心でさえ、自分の手に負えない――


 けれど、こんなにも愛しく想える存在に出会えたことは、紛うことなき僥倖(ぎょうこう)なのだろう。



 ――彼女は、その名のごとき、掌中の珠。



 愛しくて、愛しくて、全てを手に入れたいと願う、最愛の女性。


 この惑いが彼女を悩ませ、苦しめていたことを知った今、この気持ちを隠すことに、どんな意味が在るのだろう。


 彼女に辛苦を与え続けることなど――本意ではない。




 今はただ、言の葉のかわりに、この想いを音色にのせ、彼女のために奏でよう――




 この気持ちは既に――『恋』ではなく『愛』へ、染めかえられているのかもしれない。







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