【真珠】前門の晴夏、後門の貴志と美女
目覚めたら、目の前は熱い抱擁の真っ只中──貴志と美女が抱き合っている。
わたしは、一体どうするべきか!?
しかし、目が離せない。もう釘付けだ。
目が乾く。
瞬きもせずに二人のやり取りを凝視していた自分に気づく。
「貴志、会いたかったぞ」
その強烈な美しさを放つ美女は 玲瓏な声でそう言いながら、彼にその腕と身体を絡ませている。
しかも窓の外から、わざわざ室内に身を乗り入れて──だ。
かなり熱烈な抱擁だ。
貴志にソーッと視線を移せば、こんなことは日常茶飯事なのだろう。
いつもの日課をこなすような涼しげな顔だ。
こやつ、相当の手練れとみた。恐ろしい。
これではわたしは完全なお邪魔虫ではないか。
女を連れ込む予定がないからいつでも来いと言ったくせに、なんたることだ!?
鷹司晴夏の出現で相当慌てていたのだが、それさえも既に過ぎ去った嵐と感じるほどに──今は何故か、ただただ腹立たしい。
貴志と美女の口と口が近い。
これはこの場にいてはいけない。
本格的なラブシーンが始まってしまったら、かなり心臓に悪い。
気づくとわたしはベッドから飛び降り、貴志の足を蹴っていた。
「……っ!?」
蹴られた痛みで、貴志がビックリしたようにわたしを見下ろす。
「真珠? 起きたのか?」
今、目の前で繰り広げられている事態など大したことではない、という貴志の態度が、わたしを益々イラっとさせた。
「女と乳繰り合うなら、いつでも来いとか言うな! ばか貴志! もう知らん! そういうことは子供がいない時にしろ! 情操教育に悪いだろうが! 主にわたしの!」
とりあえず思いつく科白をダーッと並べ立て、そのままベッドルームから出ようとしたところ、玄関のベルが鳴らされた。
誰だ?
こんな時に!
まさか、また別の女が出現とかではないだろうな!?
修羅場に遭遇するのはごめんだ!
刃傷沙汰になっても知らん!
とりあえずわたしは本館に戻って朝食だ!
腹が減っては戦はできぬ!
くそう! 朝からとんでもないシーンを目撃してしまった。
ハルルンとの──晴夏とのあの神秘的な光景に彩られた出会いの時間が、急に美しい思い出に早変わりだ。
彼を振り払って勝手に逃亡したことをすっかり棚に上げ、良い思い出に美化完了。
己の脳細胞のいい加減さも嘆かわしいが、あれはこのように穢れてはいなかった。尊く清い時間だった。
ベッドルームから一直線に玄関に進み、そのドアを開ける。
「部屋主は、ただいま絶賛お取り込み中ですよ」と言いながら玄関の扉を引いた、そこには──
何故だ!
何故なんだ!?
わたしは過去生でなにか悪いことをしたのであろうか。
これは神罰か?
それとも仏罰か?
いや前世は伊佐子だ。
そんなに悪いことをした覚えはない。
「……シィ……なぜ、ここに……?」
そこには、驚きの表情を浮かべる──鷹司晴夏。
いや、それはこちらの科白だ。
なぜ君がここにいるのだ?
晴夏よ。
タラーッと、冷や汗が流れる。
前門の晴夏、後門の貴志と美女──此は如何に!?
大パニックになったわたしは──
「と……トウモロコシ、食べる?」
思わず口からこぼれたのは、食べ物の話だ。
己の食い意地が嘆かわしい。
鬼押し出し園の産直で購入した嬬恋村特産のトウモロコシだ。
そう、ハルルンとスズリンにも食べてもらいたくて沢山買ってきた、あのトウモロコシだ。
晴夏は呆気にとられた顔をしている。
「……は……、トウ……モロコ……シ?」
今日の君は、本当に色々な表情をするね。
去年までのあのクールビューティーな無表情はいったいどこに行ってしまったのか。
そんなやり取りをしていたら、美女の声が響いた。
「おう! ハル、来たのか? お前が昨夜、流れてきたチェロの音色を気にしていたから、こいつを捕獲しといたぞ」
そう言って、その美女は貴志の頬にブチューッと唇を押し当てる。赤い口紅がべったりついた。
「あ、ありがとうございます。母さん」
へ?
ちょっと待て。
母親……?
晴夏の母親!?
──この美女が?
いや、そうだ我が母・美沙子もこの人種だった。
三十路を越えても20代にしか見えない美貌の持ち主。
貴志がバリッという音を出しそうな勢いで、炎を思わせる美女の腕を剥がす。
「相変わらずの馬鹿力だな。もう俺だって子供じゃないんだから、こういう歓迎は止めろ。紅。色々と誤解を生む」
溜め息をつきながら虫けらでも見るかのような目で、貴志はその女性を窓の外に押しやる。
「いっぱしの大人ぶって。成長したなぁ、貴志。まあ、そう言うなって。身体の隅々まで知った仲じゃないか」
紅と呼ばれた美女は、「よっ」と言って窓枠に跳び乗り、そこに座る。
「だから、その言い方が誤解を招くんだ」
貴志は更に深い溜め息を、今度は全身から吐き出す。
「お前が赤ん坊の頃から、美沙子と一緒に風呂に入れてやっていただろう? 別に事実じゃないか!」
貴志はぐったりしたように、ベッドにドサッと腰かける。
このやり取りに相当消耗しているさまが窺えた。珍しい。
彼らのやり取りを茫然と見守っていると、美女とわたしの目がパチッと合った。
獲物を狙う猛禽類の目で、ニヤーッと笑われた気がする。
本当に食われるかもしれない、と心臓が飛び跳ねている間に、美女が晴夏に指示を出す。
「ハル! そいつを確保! これと交換だ」
そいつ──は、わたし。
これ──は、どうやら貴志のことのようだ。
「え……?」と小さな声が晴夏の口から洩れる。
非常に困惑している様子が、隣から伝わった。







