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【葛城貴志】スーパーノヴァ─Supernova─


 足早にホテルの廊下を進む。

 なぜ急いでいるかというと、()()()()が長引いてしまい、(べに)との待ち合わせに遅れそうになっているからだ。


 『紅蓮の炎を纏う美女』と、真珠が形容する彼女と落ち合う場所は『インペリアル・スター・ホテル』のパティスリー『スーパーノヴァ』。

 姉・美沙からの依頼により、その洋菓子店でケーキを購入後、紅を鷹司邸まで送る役目を仰せつかっているのだ。



 既に到着していた紅が俺に気づき、手を上げる。


「貴志! ここだぞ。時間ピッタリだったな」


 目立たない場所に居てくれと頼んでいたはずが、アフタヌーンティー予約客の列の近くに立っている。

 本人としては、壁際にいれば問題ないと判断したのかもしれないが、その存在感はどうあっても隠せない。


 先日、『チェロ王子、柊紅子愛人疑惑』なる不名誉な噂が巷間に流布されたばかりなので、可能な限り人目を避けたかったのだが……無駄に終わったようだ。


 頭を抱えそうになった一瞬の空白をついて、紅は俺の腕をグイッと引き寄せた。

 その行動から、まだまだ子供扱いされている事実が如実に伝わる。


 周囲の目を憚らない行動に、溜め息が出る。


「紅……また、いらぬ誤解を──」


 窘める言葉を洩らすも、皆まで言い終わらぬうちにかき消さる。


「すごいぞ、貴志。見てみろ! あのケーキの群れを。あれを持ち帰ったら、真珠は間違いなく大喜びだ!──それそれ! いざっ 出陣〜!」


 相変わらず呑気だ──底抜けに。



 そんなこんなで、会ってものの数秒のうちに、俺は彼女のペースに巻き込まれ、引きずられるようにして洋菓子店のなかに足を踏み入れた。





「おおっ これは美味そうだな! よしっ ここからここまで全部ひとつずつ! ああっ やはりその上の段も、ここからあそこまでよろしく頼む。それから──あの棚の上にある詰め合わせの丸い缶も、幾つか見せてもらいたい」


 店名の如く、超新星爆発級の勢いでオーダーを開始したのは、俺ではなく(べに)だった。


 店員は「かしこまりました」と言ってお辞儀をすると、二手に分かれて即座に動きだす。

 一方は、大きめの白い箱を取り出し、その中に色とりどりの二等辺三角柱を詰め。他方は、棚に並べられたクッキー缶を複数取り揃えてカウンターへ戻ってくる。


 双方、無駄な動作は一切無く、笑顔も自然。接客態度は完璧だ。



 缶詰を手にする店員に向かって、紅が質問をはじめた。

 「ナッツは使用しているか?」とか「賞味期限はいつまで?」という細かい内容を確認しているので、購入決定までにもうしばらく時間が必要だろう。


 ケーキを箱詰めしている店員に声をかけ、会計は俺の部屋にチャージして欲しい旨を伝える。


 手持ち無沙汰になった俺は、『スーパーノヴァ』店内をグルリと見回した。


 藍色の壁に溶け込むように置かれた長椅子が視界に入り、そこまで移動する。

 紅の買い物が終わるのをここで待つことに決め、腰掛ける。


 ふと天井を見上げると、吊るされた星形のランプが乳白色に輝いていた。


 そのままの姿勢で目を閉じると、瞼の裏で光の残像が揺れた。



 本当はこの買い出しをする前に、紅に確認したい事があった。

 けれど、会話もままならぬうちに店内へ連行されたこともあって、質問する機会を完全に逸してしまったのだ。



 嘆息と同時に、今度は接客対応の店員が俺の目の前に現れる。その手には紅茶と菓子が載ったトレイを携えていた。


「こちら、新作の焼き菓子でございます。ご来店のお客様にお出ししている物なので、よろしければお召し上がりください──お連れ様にも同じものをお渡ししております」


 カウンターに目をやると、その前を陣取っていた紅は試食用に渡された焼き菓子を口の中に放り込んでいるところだった。

 味を気に入ったのか、満足そうな表情を見せた彼女は、流れるような仕草で添えられた紅茶に手を伸ばす。


 アオと食事をしてからそんなに時間は経っていないはずだが、甘い物は別腹なのだろう。

 俺も、結納の会食で相当腹が膨れていたのだが、店員に礼を告げてからカップを口元に運んだ。


 鼻腔を擽る芳香を堪能しつつ、紅茶をひと口飲み終えた丁度その時、ジャケットの内ポケットに入れていたスマートフォンが振動した。


 おそらく母からだ。


 取り出して宛名を確認すると、案の定通知欄には月ヶ瀬千尋(つきがせ ちひろ)とあった。


 メッセージを開くと──


『ごめんなさい。間に合わなかった。取り急ぎ報告だけ。また後で話しましょう』


 朗報を待っていた俺は、文字の並びに盛大な溜め息を落とした。


          …


 結納の宴席後、ホテルの部屋に戻った俺は、母に時間を作ってもらったのだ。それは、昨夜から尾を引く『三国一の花嫁』問題の顛末を報告してもらうため。


 その話し合いにて、母からもたらされた情報に頭を抱え、今しがた届いたメッセージで更なる追い討ちをかけられた。


 落胆の色を濃くするも、この件は自分でなんとかしなければならないようだ。


 頭の片隅で今後の対策を練ろうとするも、残念ながら集中できない。いまは自分のことよりも、真珠のこれからが気がかりだった。



 このあと、紅と共に向かうのは鷹司邸。

 そこで開かれる()()動画鑑賞会後に、どんな展開が待っているのか見当がつかない。


 真珠を宥めるために、「心配ない」と伝えはしたものの、僅かな不安は未だ燻っている状況だ。


 以前の美沙であれば、娘の希望を打ち砕く可能性はあった。けれど、最近の姉は、急激に変わったように思う。


 だから──そこまで酷い事態にはならないはず。


 そんな確信めいた気持ちも存在するが、美沙の心情が読めないこともあって不安が拭いきれない。



 鷹司邸での鑑賞会には、真珠の味方になる人間が大勢参加する。

 俺だけではなく、彼女を溺愛する義兄。紅だって真珠サイドに立ってくれるだろう。おそらくは、克己さんも。


 だから、十中八九大丈夫。

 そう理解していながらも、心の焦りから不安が生まれてしまう。


 その焦燥の理由は明白だった。


 俺が日本に滞在できる時間は、この週末まで──真珠と美沙の動向を、自分自身の目で見届けられるタイムリミットは、もう目と鼻の先に差し迫っているからだ。



 万が一、美沙の独断で、真珠からバイオリンを取り上げることになった場合──真珠自身が希望する道に進むためには、周囲にいる大人の助力が必要だ。


 いくら彼女の中身が大人であったとしても、傍目から見れば単なる子供──その子供が、母親に歯向かったとして──敵うわけがない。


 問題が生じた場合、彼女を助ける人物がそばにいなかったら?

 それによって真珠の未来に影がさしてしまったら?



 音楽を奪われたら、真珠は──いや……『伊佐子』は、どうなってしまうのだろう。



 唇をギリと噛む。

 最悪の事態を想定しつつ、自分ができる手助けの範囲を再考する。


 不測の事態が生じたときには、俺が真珠を──



「貴志、ちょっとこっちに来て手伝ってくれないか?」


 紅から名前を呼ばれたことで、我にかえる。

 カウンターに顔を向けると、手招きする紅の姿が目に入った。



ここ一ヶ月ほどリアルが多忙を極めておりましたが、やっと一話更新できました。

更新を待っていただいた皆様には感謝申し上げます。


また、先月の9月21日で『その音』執筆3周年を迎えることができました。

ここまで続けてこられたのは、読んでいただいている皆様の応援のおかげです。

本当にありがとうございます。


青羽根 深桜



次話


 【葛城貴志】『ケジメ』と『イロイロ』


を予定しております。




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『くれなゐの初花染めの色深く』
克己&紅子


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『氷の花がとけるまで』
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『その悪役令嬢、音楽家をめざす!』
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