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【余聞・藤ノ宮紫織】擁護

本日4話目の更新(昨夜更新分を含めると5話目になります。)


「仰るとおり、女の子といえばその通りですが、残念ながら紫織さんが想像しているような関係じゃありませんよ。どちらかといえば彼女は、真珠の友人枠で──今は、父が最も迷惑をかけているかもしれない女性(ひと)です」


 捉えどころのない表情ではあるけれど、愚痴が混じっているようにも聞こえる。

 だが、彼の話している内容の詳しい意味がわからず、私は首を傾げた。


「俺と真珠の婚約について彼女が知っているかどうか……それについてはわかりかねますが──電話の内容自体も『穂高くんと真珠ちゃんの好物を内緒で教えてください』でしたからね。残念ながら、紫織さんの期待には応えられそうにありません」


 作ったような笑顔でサラリと返された。


 どうやら完全に警戒されてしまったようだ。

 懐かしさも手伝って、距離感を誤りプライベートに踏み込みすぎたことを反省する。


「それは誤解してしまい申し訳なかったね。男の私でも貴志くんの立ち姿に目を奪われるくらいだから、きっと女性からなら更に引く手数多(あまた)なんだろうな、と思ってつい……それにしても──昔の様子とは打って変わって、だいぶニュートラルになったね。いつもそんなに余裕そうな顔してるの? なんとも末恐ろしいな」


 私はどちらかと言えば、昔から感情が表面に出てしまうタイプで、腹芸は最も不得意な分野だ。

 幼い頃から胸の内を悟られるなと訓練され、最近やっとのことで得られた技術のひとつ──なので、二十歳(はたち)そこそこの若さで感情を露呈することなく、こうやって冷静に受け答えをする貴志くんの様子に、思わず感心してしまう。


「余裕? そんなものありませんよ。いつも必死です──」


 そう言った貴志くんは、視線を真珠ちゃんに向けた。

 この手の話題を鬱陶しく感じ、早々に話を切り上げたいとの意思表示なのか、それとも──


 先ほど美粧室に送り届けたとき、真珠ちゃんが見せた大人びた仕草と、吸い込まれそうになるほど印象的な瞳が、脳裏を過ぎる。


 ──まさかな……。

 親密さを見せる青年と少女ではあるが、その想像は少し誇大妄想が過ぎるだろう。


 一瞬浮かんだ突拍子もない考えを、頭の中から急いで追い払うため、私は蝶子氏に目を向けた。


 『影の大御所』は、どうやらその真珠ちゃんを大層気に入ったようだ。

 美沙子さん夫妻に「素晴らしいお嬢さんですこと」と誉めちぎっている声が聞こえる。


 いや?

 キッズルームに入る直前に蝶子氏が呟いた科白から予測するに──もともと真珠さんに目をつけ、本日偶然にも出会えたということ……なのかもしれない。


「貴志くん、あれ……いいの? 蝶子さん──昔、息子さんの婚約でひと騒動あった経験から、孫の為にとキミの婚約者殿に今から唾をつけておくつもりみたいだよ? 念のために言っておくと、蝶子さんが久我山一族を牛耳っている『女帝』だからね。知っているかもしれないけど」


「ああ、あの──『影の大御所』とか『久我山の番人』と言われている──」


 私の言葉に反応した貴志くんは、ポーカーフェイスのまま蝶子氏に視線を移した。


「その『番人』というのは初めて聞いたよ。蝶子さん、幾つも二つ名を持っているからね。まあ、それだけの権力者ってことだ」


 その時、美沙子さんがこちらを振り返り、貴志くんを探す姿が見えた。

 彼女の目は何事かを彼に訴え、確認しているようだ。


 貴志くんは一瞬動きを止めたあと、頷き返すと、今度もまた何事もなかったようにこちらに顔を向ける。


「きっと大丈夫でしょう。美沙がアオの子供と真珠をどうにかするとは思えませんし、美沙の方も何か考えがあるのではないかと──それに、先ほど紫織さんご自身が仰っていたじゃないですか? 美沙とアオが『電話で言い争っていた』と──アオから袖にされたから、美沙は彼女と会うために、その口実にプレイデートを使おうとしているんだと思います」


 蝶子氏は名刺に何かを書き込み、美沙子さんに手渡している。

 おそらく記入したのはプライベートの連絡先だ。


 各界の重鎮が喉から手が出るほど欲しがる、久我山蝶子の個人の直通番号──それを美沙子さんは、アッサリと手に入れてしまったことにも内心驚く。


「まあ、そうかもしれないね。姉と美沙子さんの間に、以前何かがあったことは、少しだけ聞いてるよ。あ! あとこれは、姉の擁護になるんだけど、電話越しで美沙子さんに『今は会えない』って伝えて袖にしたのは、美沙子さんが妊娠初期だと紅子さんから聞いて知っていたから……『興奮させて、お腹の子供に何かあったらどうするんだ』って、さっき私がお叱りを受けたところなんだ」


 すると突然、貴志くんが「意外だ」とでも言いたげな表情を見せた。


 目を瞠った彼の表情から、やっと人間らしい感情が伝わってきたことが分かり、なんだか久々にくすぐったい気持ちになる。


「小さい頃……なぜか紫織さんにだけ、アオの当たりがキツかった記憶を思い出したんですが、彼女の擁護をするってことは……」


「まあ……色々とあってね。とりあえず、いがみ合うことのない姉弟には……なれたかな」


 その言葉を耳にした途端、貴志くんがフワリと微笑んだ。



 いや──それは、反則だろう!



 私を警戒していたのかずっと無表情で、先ほど作り物の笑顔で線引きされたはずなのに──急に感情を灯した艶やかな笑顔を向けられるとは思いもよらず、私はうっかり赤面しそうになった。


 もともと苦手だった腹芸が、今はできそうもない──けれど、近年やっと手に入れた心の内を隠す技術を発揮するのは、今この時のような気がする。


 なんとか年上としての矜持が勝り、この相好を、情けないほど崩すことだけは……踏みとどまれた──はずだ。



          …



 紅子さんとのランチデートを終えた姉は、現在、両親が取っていたホテルの部屋に戻ってきたところだ。


 少し遅れると連絡が入ったので、どうしたのかと心配していたけれど、なんのことはない──ホテル内の美容室に寄って、髪をバッサリと切ってきただけだった。


「思い切ったね。ずっと長かったのに──でも似合うよ。なんと言うか……姉さんらしい」


 そう伝えると、姉は嬉しそうに笑った。



 部屋に備え付けられたティーセットを使用し、紅茶を淹れた私は、姉の前にカップを置いた。


「子供たちのこと、見ていてくれて助かった。紅茶もありがとう。良い香りね。どこのメーカーなの?」


 姉はティーカップを口元に運び、まずはその芳香を堪能しているようだ。


「これ? さっき修さんから貰ったんだけど。いつも自宅で飲んでるのと同じだって言っていたけど?」


「…………雲泥の差。色も違う。しかも何だ……この味は」


 眉間に皺を寄せてボソリと呟いた姉は、現在ティーカップの中に注がれた紅茶の水色(すいしょく)を確認している。


「お湯の温度とか、蒸らす時間とか、美味しく淹れるコツが缶に書いてあるから、その通りにしただけだよ。ああ……でも、そうか。それだけじゃなくて日本とアメリカじゃ水質も違うから、そういった細かな差が味に出るのかもしれない?」


 味の差について考えている間に、最後は独り言のようになってしまった。


「水質の差は細かな差じゃなくて大きな差よ。一時帰国すると髪に艶が出るし、お肌も五歳は若返るから。馬鹿にできないのよ」


 姉は人差し指で頬を触った後、再び紅茶を口に運ぶ。


「この味……水質だけじゃなくて、紫織の淹れ方が上手なのね──美味しい。そういえば、あの子たち良い子にしていた?」


 他愛も無い話を交えながら、今日の午前中にあった出来事を、ひと通り姉に伝える。主に甥っ子二人の行動についてだ。


「そうだ、姉さん。言い忘れていた──『女帝』が、美沙子さんにプライベート番号を渡していたよ。修さんの時と同じ轍は踏まないって言っていたから……真珠ちゃん──美沙子さんのお嬢さんに以前から目をつけていたみたいで、出と忍のために今から親交を深めておくつもりなんだろうね。

 まあ、蝶子さんからしたら、月ヶ瀬とのコネクションを築きたいっていう下心もあると思うけど……」


 彼女がひと息ついたところで、まだ姉に報告していなかった情報を口にしたのだ。

 あくまでも伝え忘れていた風を装って。


 さあ──この話に、姉はどんな食い付き方をするのだろう?


 懐かしい人々と再会できたことで、昔の自分を思い出した私は、あの頃姉にした悪戯を、今の姉に対しても仕掛けてみたくなったのだ。


 私から齎された情報に驚いたのか、姉がその動きを止めた。


「なん……ですって!?──どうしてそれを最初に伝えないの! その顔……忘れていたんじゃなくてワザと大切なことを最後に言ったのね。昔の陰険さが戻ってきたみたいで……可愛くない!」


 姉は無造作に置かれていたバッグを掴み、そのまま部屋から飛び出そうとする。


 普段冷静な姉が見せた、その行動は少し想定外。


 祖母に啖呵を切って家を出奔した、あの日の姉と重なり──久々に狼狽える。


「ちょっ どこ行くの!? 葵衣ちゃん!?」


 姉の行き先を知らぬまま放り出したら、後で誰に何を言われるかわからない。

 自らの保身も兼ねて、向かう先を確認する。


「紫織! 車よ! 車を回しておきなさい!」


「は!? 何? オレが!? どう言うことだよ?」


 姉の不可解な行動に思わず地が出て、声を荒げてしまう。


「腹芸! 口調も乱れて慌てているのが丸わかり。『オレ』じゃなくて『私』、『葵衣ちゃん』じゃなくて『姉さん』でしょう? 減点!──意地悪をしたんだから、その罪滅ぼしに、今から運転手になってもらうから!」


 ものすごい早口で捲し立てられ、姉自身も相当冷静さを欠いているのがわかる。

 いつもの様子と全く違うのだ。


「葵衣ちゃ……姉さんっ 待ってくれ! 今からって、どこに行くんだよ? 会食は!?」


 矢継ぎ早に繰り出したこちらからの質問には一切答えることなく、姉は扉の向こうへと消えてしまった。





【余聞・藤ノ宮紫織】での紫織視点の話はこれにて終了。


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