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【真珠】鷹司邸へ

本日、5話目の更新です。(昨日の更新をあわせると6話目になります)


 遠くから、声が聞こえた。


「……な……よ。で……──あ……よね……」


 これは、美沙子ママの声?


 途切れ途切れに届くので、意味をなす言葉ではない。

 だから、彼女が何を語っているのか、その内容まではわからない。


 遠く──意識の外から流れ込んだ母の声は、耳の中なのか、頭の中なのか──どことは言えない部分で反響を繰り返し、波紋のように広がっていく。


 まるで子守唄だ。

 母の声というのは、それだけで安らぎを運んでくれるのだろう。

 聞いているだけで心地良さが増していくのが、本当に不思議だった。


 ──泥のように……眠い。

 お腹も膨れているので、身体も重たい。

 両の瞼に至っては、睦まじく寄り添いあい「絶対に離れるものか」との強固な意志でもって貼りついたままだ。


 両親の声を運ぶ風は適温で、このまま微睡んでいたいと思わせることにも一役買っていた。


 ──ああ、どうやらわたしは今、昼寝から現実に戻る狭間にいるのだろう。


 自分の状態にうっすらと気づき、意識が急浮上をはじめる。

 だが、あまりの疲労具合に足をとられ、夢現のなかを彷徨っている状態だ。


 ──まだ眠っていたい。


 朝から何度も訪れた窮地により、心身共に疲れが蓄積しているのがわかる。

 だから、もう少しだけ休んでいたかった。



 現在、時計の針は、おそらくお昼を回ったところ。

 起床してから数時間しか経っていないというのに、色々なことがあり過ぎた。


 仲人夫妻が葵衣の両親だったことに驚き。

 紫織(ゆかり)情報で、母と葵衣が電話で接触した事実を知り。

 お次は、久我山兄弟との予期せぬ邂逅……からの、まさかの未来の婚約話が勃発。

 加えて、悪役令嬢ブラグの急浮上に焦った末に、父との会話中に起きた意識の混乱で、気疲れもものすごかった。


 心の乱高下が甚だ激しい、かなり濃密な時間を駆け抜けたのだから、疲れないほうがどうかしている。


         …



 兄に手を引かれ、藤ノ宮夫妻との会食に突入したのは、今からニ時間ほど前のことになる。


 今朝ほど貴志が教えてくれたように、結納の祝い膳は本当に豪華で、どれもこれも実に美味しかったことを報告させていただこう。


 赤飯の餅米はツヤリと輝き。噛めば噛むほど自然な甘さが生まれてきたし、尾頭付きの鯛も立派だった。その上に振りかけられた塩が特別な物だったらしく、身の旨味を一層引き立ててくれた──ああ、あの味を思い出しただけで、口内に唾液が溢れてくる。


 その美味なる宴席の締めは、桜湯と呼ばれる風情ある飲み物が振る舞われた。

 薄紅色の湯の中に漂うのは、塩漬けされた桜の花で、祝いの席にはつきものなのだという。


 食事の最後は緑茶を飲みたいのが正直な気持ちであったが、日本茶は弔事に使用されることが多いために「結納のような慶事には適さないのだ」と、教えてくれたのは祖母だった。


 ああ、つい……食いしん坊ゆえに食べ物の話を熱く語ってしまったが、祝い膳の間の出来事を軽くまとめておこう。


 この会食。

 私的には、非常に落ち着かなかった。


 その原因は──貴志だ。

 だが、彼が何か大きな問題を起こしたわけではない。


 彼は表面上の苛立ちを隠し、そつなく会食の場に溶け込んでいた。

 政治やら経済やらの、わたしにはよくわからない話にも貴志は加わり、藤ノ宮夫妻との親交も深めていたように思う。


 貴志のなかでは既に美沙子ママへの怒りも消えていたので、時々母を気遣う仕草も見せていた。


 だが、親心という名で勝手をする祖父に対しては、相変わらず怒り心頭なのだろう。

 会食中の貴志は、違和感を抱かせないよう周囲に配慮しつつも、祖父とは必要最低限の会話しかしていなかった。

 おそらくそのことに気づいたのは、わたしだけではないかと思う。

 それくらい彼は、自然体を装っていたのだ。


 不満を抱きながらも貴志は大人の対応を見せ、この席での自分の役割を全うしてくれた。

 その姿には、ひたすら頭が下がるばかり。


 だからこそ、彼の置かれた現状が不憫でならなくて、何も手助けのできない自分が歯痒かったのだ。



 一見和やかな雰囲気で饗された祝い膳がお開きになると、祖父は榊原さんの運転で一足先に自宅に戻り、祖母は貴志と共にホテルに残った。


 両親に連れられたわたしと兄は、父が運転する車に乗り込み、チャイルドシートに括り付けられたのだった。


 ──そこまでは覚えている。


 父の愛車は、滑るような走りを見せる高級車。

 振動もエンジン音もなく、一定の間隔で届く空調のリズムは最高に快適で、おそらくわたしはそのまま眠りの世界に誘われてしまったようだ。


 うっすら瞼を開けると、わたしの隣の席で、穂高兄さまもグッスリお眠りあそばされていた。

 その寝顔は紛うことなき、天使。長い睫毛とスッと通った鼻筋が美しく、これぞ眼福の極みだ。


 しばらくの間、兄の寝顔をうっとり堪能したわたしは、もうひと眠りしておこうと、再び目を閉じた。


 これから、あのコンクールの演奏動画を家族で鑑賞するという、いわば公開処刑に近い催しが待ち構えているのだ。その場で取り乱さないよう、少しでも英気を養い、疲れを吹き飛ばしておきたいのだ。




 ちなみに、現在、月ヶ瀬家一行が向かっているのは──鷹司家本邸。

 晴夏の自宅だ。


 約束していた元々の時間よりもかなり早い訪問になるのだが、両親の話によると克己氏は既に自宅に戻っているとのことだった。


 そこで気になったのは、紅子だ。

 確か克己氏は、紅子の送迎も兼ねて、彼女を待つ時間の暇つぶしにと、晴夏と涼葉と共にホテル探検を楽しんでいたはず。


 ──紅子は、どうやって帰るのだろう?

 タクシー? それとも電車?


 不思議に思っていたところ、彼女の足の役目を仰せつかった人物がいたことが判明する──貴志だ。


 なんでも、わたしが自宅に遊びに来ることを喜んだ涼葉が「早くおうちに帰って、シィちゃんのお迎えの準備をしたい」と、克己氏にせがんだらしい。


 普段、滅多なことで我が儘を言わない涼葉が、珍しくおねだりをしたということもあって、克己氏が紅子に連絡を入れたのだという。


 紅子の返答は、こうだ。


「真珠の演奏鑑賞ってことは、どうせ貴志も来るんだろう? あいつに送ってもらうから、克己くんは先に帰って準備をしてもらえると助かる。ああ、茶請けはホテル内のパティスリーで、貴志に適当に見繕ってもらうように言ってもらえるか? 人気のスイーツをドーンと持ってきてもらおう! 支払いは克己くんから先に小切手(チェック)を渡しておいてくれ。あと、動画鑑賞はわたしもするからな、くれぐれも、勝手に、はじめないでくれよ? 頼んだぞ」



 貴志よ。

 おぬしは、相変わらず紅子に使われまくる宿命なのだな。哀れなり。


 その紅子の返事に対して、克己氏は慌てていたようだ。


「紅ちゃん、僕が買っていくから、貴志くんに迷惑をかけたらダメだよ」


 ──と、細君を窘めたものの、その返答を待たずして、お次は美沙子ママが登場する。


「あら? お邪魔するんだから、うちが手土産を用意するわよ。そうね……紅子の言うように、貴志に人気商品を確認してもらって、持ってきてもらいましょう」


 鷹司家の大黒柱・克己氏にも有無を言わせぬ勢いで、母が一気に話をまとめ上げたらしい。


 克己氏……、紅子の尻に敷かれ、美沙子ママにも話の主導権を握られ、ちょっぴり立つ瀬がない。

 幼馴染だったという彼ら三人の学生時代の様子が垣間見え、()()()()のことを気に毒に思ってしまったのは、内緒だ。


 この一連のやり取りは、わたしが美容室にて久我山兄弟と過ごしていたその裏であったこと。

 情報提供者は、我が愛しの穂高兄さまだ。


「貴志さんの了解も取らず、晴夏くんのお父さんの言葉も跳ね除けて、一方的に話を進められてしまって……ちょっと怖かった」


 と、兄は神妙な表情を見せていた。



 面倒な役回りを仰せつかることになった貴志は、話の最中にいったい何をしていたのだ?

 そんな疑問が浮かんだが、彼は美容室の前でスマートフォンを片手に誰かと話し込んでいたようだ。


 そういえば、そんなことを貴志本人も言っていたなと思い出す。彼が話をしていた相手が気になったまま、既に数時間が経過している。これも後ほど要確認、と心のメモに記しておく。


 まあ、そんなこんなで、本人不在のまま、紅子の送迎担当及びに菓子折り持参係を任されてしまった貴志は、現在ホテルに居残っているのだ。

 きっと今頃はお祖母さまと、『三国一の花嫁』についての話をしている最中だと思われる。


 貴志は鷹司邸に訪問する前に、祖父に時間を割いてもらう事を望んでいたけれど、残念ながらお祖父さまは既に出来上がっていた。案の定というか、いかにも酒好きのお祖父さまらしい。


 「こんなにお酒にダラシがなくて、よく大企業の会長職が務まるな」という意の言葉を祖母にサラッと伝えたけれど、「自宅にいる時と気心を許した友人の前だけだから、心配しなくて大丈夫よ」とのことだった。


 本当か? と疑ってしまう。



 ……ああ、もう駄目だ。これ以上は皆さまに、詳細を説明できそうもない。

 もう、兎に角、眠くて眠くてたまらないのだ。


 身体的及び心理的疲労の諸々を一刻も早く回復するために、到着するまでは寝つづけさせていただこう。

 気力体力を温存しておかねば、身体がもたない。

 そろそろ本気寝の態勢に移行しなければ。


 体力残存数はかなりの限界値に到達しているので、今わたしがすべきことナンバーワンは、昼寝以外に思いつかない。


 段々と周囲の音に靄がかかり、ああ、これで入眠! と寝落ちる寸前のフワフワ感に包まれた。


 だがここで、わたしの両目がパチリと開く事態が待ちうけていたなど、お釈迦様でも気づくまい。



「誠一さん──会食前に克己くんにも打ち明けた、葵衣とのトラブルの経緯……そんなことで、って思ったでしょう? ……呆れたわよね」


「いや……当時、美沙子は中学生だったんだろう? 複雑な思春期だ。本当に些細なことで、人の生き死にに関わる深刻な事態を引き起こすことだってある。呆れたりはしていないよ」


 ──ふぉ!?


 我が両親は、なんだかものすごく重要な話をしているのではないか!?


 疲れを癒やそうとしたけれど、それどころではない!

 わたしのお耳は即座にダンボと化し、お目目に至っては皿のようだ。


 って言うか、美沙子ママは、克己氏と誠一パパに、葵衣とのトラブルの全容を語ったのか!?



二日間で全6話更新となりました。

頭がまだ完全に働いていないのを痛感しました(泣)

修行が必要みたいです。【←7/19 2amで加筆しております】


うまく伝えられたのかどうか不安は残りますが、また、ゆるゆると更新していきますので、お付き合いいただけると嬉しく思います。


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