【真珠】父の本音と試金石
本日、4話目(昨日更新分とあわせると5話目)の更新です
「これは……若い貴志くんに対して、少し酷な言い方になるけれど──この程度のことを、自分ひとりでいなせない人間に、月ヶ瀬の中枢を任せるわけにはいかないし、何よりも──大切な娘を託すことはできない」
──父の思惑が他にもあるのかもしれないと感じたわたしの考えは、間違っていなかったということ?
それを確かめるために、わたしは父の語ろうとする内容に耳を傾ける。
「しぃちゃんが、貴志くんとの将来を真剣に考えているのであれば尚更だ。その想いに見合う価値を、彼自身に示してもらわないと、パパは納得しないよ」
父はこの件で、貴志が今後どんな対応をするのか、その手腕を測る一種の試金石にしたいと言っているのかもしれない。
勿論、貴志が祖父から勧められた『花嫁候補』を気に入り、その結果──祖父からの提案を受け入れるのであれば、話は別になる。
だがもしも、自分の望む相手との未来を欲するのであれば、人の手を借りることなく切り抜けろ、と突き放しているようにも見えた。
遠くない将来、月ヶ瀬グループを祖父に代わって率いていくのは父だ。
今後、そこに貴志が加わるのは決定事項。
少し悪い言い方をすれば、貴志を値踏みする思惑もあるのだろう。
でも、それだけではない。
父の言葉を聞いたわたしは、もう理解している。
表面だけでは見えなかった父の心の裏側に潜んでいた本音。
それは──わたしへの愛だった。
もしも将来、娘を欲しいと願うのなら、親子関係に女性関係、その他諸々の瑣末事までを、貴志が自分の力で何とかしない限り「絶対に渡さない」と決めているのだと──そう口にしたも同然だ。
これが、わたしからの懇願を断った、一番の理由。
父のその口ぶりからは、父が前に出ればこの問題は難なく解決する、と言っているようにも聞こえた。
おそらく父にとっては取るに足らない問題なのだろう。
あの場で、不平不満をぶつけなくて本当に良かった。
もしも堪えられずに感情を垂れ流していたとしたら、父はこの本音を語ることさえしなかったような気がする。
「……とは言っても──今のしぃちゃんは、まだまだ小さな子供だ。大人になって、貴志くんを振り向かせることができなければ、この話自体がはじまらない。それには、真珠が自分の価値を示さなければならないよ──月ヶ瀬幸造に」
──お祖父さまに。
自分の価値を。
今までの父の話を踏まえて予想すると、祖父の求める『花嫁』の価値とは、貴志を幸せにできる相手という意味のような気がする。
「もう少しだけ、話をつづけてもいいかい?」
父の問いに対して、わたしはコクリと頷いた。
「──権力や財力を持つ人間の周囲には、善い人間だけではなく、悪い人間も集まってくるものだ。貴志くんは、既にそれらを持ち合わせているし、それだけではなく芸術の分野でも秀で、更には容姿の端麗さだって兼ね備えている。彼は今後も、しぃちゃんの知らないところで様々な誘惑にあうだろう。それを跳ね除ける気概と、自分を律し、愛する人を悲しませることのない分別と責任──それを彼が備えられたなら、その時は──」
父はそこで言葉を止め、左手で口を覆った。
「──私は……何を言って……」
父は自分で口にした科白に、心底驚いているように見えた。
確かに、小さな子どもに伝える内容ではないのかもしれない。
けれど、わたしは嬉しかった。
娘の話に耳を傾けて、その本心を誤魔化すことなく語ってくれた父が、とても素敵な大人に見えたのだ。
わたしを抱え直した父は、空いたほうの手で、自分の顎をポリポリと掻いている。
「なんだか、今日のパパはおかしいな。しぃちゃんに、こんなことを伝えるなんて。形だけとは言え……結納をしたことで、感傷的になっているんだろうか?」
父は首を傾げ、わたしの瞳を覗き込んだ。
「でも……意志の宿った『その目』を見ていたら──きちんと伝えておくべきだと……思ってしまったんだ。驚くほど大人びて……その成長が嬉しいような……いや? やっぱりちょっと、淋しいかな。もう少し、子供のままでいてほしいと思うのは、親の我が儘なのかもしれないけどね」
大きな手がわたしの頭上に移動し、髪を梳くように優しく撫でる。
「パパの勇ましいお姫さま。貴志くんが、本当にしぃちゃんがそこまで入れ込む価値のある人間なのかどうか──お手並を拝見といこう。
まあ、そういうことで、パパは貴志くんのこの件に関しては、手出しをしないつもりなんだ」
すまないね──と、父は小さな声で謝り、今度は隣を歩いている兄と話をはじめる。
わたしは父の首に腕を回したまま、貴志の姿を再び視界に入れた。
彼は先ほどと同く、美沙子ママの隣を母の歩幅に合わせてゆっくりと歩いている。
過去の貴志については、理香の件もあるのでよくわからない。
けれど、現在の彼は、かなり自分を律している人間だと思う。
あのエルに「鋼の理性だ」と言わしめただけのことは、きっとあるはず。
そんな貴志であれば、祖父の仕掛けるハニートラップもどきも、きっと難なく躱してくれるような気もする。
それにしても、祖父は一体どんな花嫁候補を貴志の秘書として、送り込もうとしているのだろう?
そんな疑問が湧いたところで、ふいに加奈ちゃんの穏やかな笑顔が浮かんだ。
彼女なら、貴志を困らせることなくサポートに徹し、真面目に仕事をこなしてくれそうな気がする。
もしも加奈ちゃんが貴志の側にいてくれたら、貴志自身も癒されるのではないかと思うのだ。
そこまで考えたところで、わたしは慌てて頭を振った。
それでは──駄目だ!
貴志を癒やす役目を加奈ちゃんに任せてしまうようでは、わたしの存在価値を示すことはできない。
『嫁候補』に勝手に祭り上げられてしまった彼女に関しての対応も、貴志と相談しなければ。
そこにプラスして、お恥ずかしながら、わたしのお手手が加奈ちゃんにおいたをしてしまった『お胸揉み揉み事件』についても白状し、そちらの謝罪方法についても同じく検討しなければ……。
自分の痴女っぷりを、愛する貴志にご披露するのは、かなりの抵抗がある。
でも、わたしは加奈ちゃんとこれからも仲良くしていきたい。
だから、ちょっぴり気が重いけれど、貴志の知恵も拝借させていただこう。
今度は、誠一パパに視線を移す。
兄と楽しげに会話をする様子を、そっと眺める。
父との一連の会話から、ひとつの心配事が消えたのは大収穫だったな──と、もうひとつの問題の解決について、わたしは胸を撫で下ろした。
父は断言していた。わたしが将来──望んだ相手と幸せになることを願っている──と。
つまり、わたしが希望しない限り、久我山兄弟と無理矢理婚約させるような暴挙に出ることはないということだ。
貴志の『花嫁探し阻止』の協力を取り付けることはできなかったけれど、久我山兄弟との今後の関係に対する懸念事項は、これで八割方クリアだ。
双子──特に『出』との婚約フラグを是が非でも避けたかったわたしにとって、父の言葉は最大限の安心材料となった。
とは言え、『攻略対象』と仲良くなりすぎたと焦った気持ちは、いまだ心のなかに残っている。
それでも『攻略対象』と険悪な雰囲気で敵対関係になってしまうよりは、今の状況が何倍もマシなことはわかっているつもりだ。
だから、今までの行動のすべてが全て、悪手ではなかったと思いたい。
真珠の中で目覚めて以降、破滅フラグ回避に奮闘した時間を無駄にしないために、あと十年──幼馴染としての立場を弁え、節度を持って付き合っていこう。
きっとそれが、愛花のため、ひいては自分のためになるはずだ。
さあ、そうと決まれば乙女ゲームに関する問題については、愛花と再会するまでの間は、しばらく棚上げだ。
今の段階で何かを不安に思ったとしても、あまりにも不確定要素が多すぎるのだから、不毛な悩みで貴重な時間を費やすのはよくない。もっと有意義に使おうではないか。
いまの自分にできることは、為すべきことを成すのみ──。
わたしは、自分の両手に視線を移した。
見つめるのは、小さな丸い指先だ。
──とても、興味があるのだ。
真珠として成長した先、この全身で奏でる音楽に。
恋を知らずにいた『伊佐子』と、恋を知った『真珠』。
今は小さな差であっても、長い目で見れば情緒面での大きな違いが生まれていくような気がする。
人を愛する気持ちを知ったわたしは、『伊佐子』が出せなかった音色を──奏でられるかもしれない。
新たな感情を宿した心が紡ぐ、音の世界。
その中で芽吹いた想いは、将来どんな音色の花を咲かせていくのだろう。
その答えを知るためにも、今のわたしには乗り越えなくてはいけない課題がある。
それは、本日──鷹司邸で行われる鑑賞会だ。
わたしは気持ちを引き締めるべく、拳をぎゅっと握り締めた。
父の歩みが止まる。
身を捩ると、木枠の格子扉が現れた。
祝い膳が準備された部屋の前に、いつの間にやら到着していたようだ。
「さあ着いたよ。しぃちゃん、ここからは穂高と手を繋いで部屋に入ろうか」
床に降ろされたわたしは、差し出された兄の手を取って、一歩前へと踏み出した。
次話
【真珠】鷹司邸へ
を予定しております。







