【真珠】父茫然、赤裸々な告白!
父の変化に驚いたことが以前もあった。
だが、今回受けた衝撃はその時の比ではない。
『その音』の『月ヶ瀬誠一』と、目の前にいる父との差が、あまりにも大きすぎるのだ。
しかも、おねだりの返答は、わたしにとっては青天の霹靂。非常に好ましくないものであった。
それは父が、娘の機嫌に阿ることなく、受け答えをしたことを意味する。
──甘やかしの権化。
駄目娘製造人間だった誠一パパは、完全に消滅してしまったのだろうか。
娘への教育という観点から見ると、父親として立派になったことはわかる。
だけど、今回ばかりはもう少しだけ、寄り添ってほしかった。
自分の願いが叶えてもらえないとわかった途端、そんな思いが生まれてくるあたりが、いかにもわたしらしい。本当に、現金なものだ。
思わず父に対する不満が口を衝きそうになったが、なんとか呑み込み、我慢する。
最近の誠一パパの様子を鑑みると、建前上の断り文句の他にも、何か特別な事情があるのかもしれない──そんな勘が働いたのだ。
不服ではあったが、父を責める前に、彼の本当の考えを見極める必要があった。
とは言っても、この件を有耶無耶にして、諦めるという選択だけは無しだ。
このままでは貴志の手助けもできないし、わたしにとっては『花嫁候補』たちに掻き乱される未来が決まってしまうのだから、この件ばかりは、なんとか阻止したい。
これは謂わば防衛本能であって、単なる我が儘ではない。
正直に言えば、愛花のことだけでも心配なのに、同時にその他大勢の女性たちと貴志を巡る戦いを繰り広げるなんて、想像するだけで胃の腑のあたりに痛みの生じる案件だ。
しかも、彼の周りに送り込まれるのは、祖父のお眼鏡にかなった手練れの精鋭──そんなツワモノと戦う事態なんて、絶対に回避したいと思うのが普通の人間の感覚だろう。
ちなみに、貴志を信じていないのか? と問われたら、即答できる。
わたしは彼を──間違いなく信じている。
昨日の晩、貴志が吐露した本音を知っているからこそ、言える科白なのかもしれないが、彼の心変わりについては実はそれほど心配していない。
それでも、来たる嵐を未然に防ぐことができるのならば、可能な限り避けて通りたい。
勝負となったら絶対に負けるわけにはいかないが、無用な衝突を事前に回避し、戦わずして勝つのが最も賢い選択だと、わたしは思うのだ。
意を決し、諸々の想いをのせて、父に向かって必死に言葉を絞り出す。
声が震えてしまうのは、緊張ではなく、恥ずかしさで──だ。
「貴志兄さまは……わたしのことを『大切だ』……と仰ってくださいました。わたしも、貴志兄さまが大切です──だから、わたしが、責任を持って、貴志兄さまを、絶対に、幸せにします──本気で、貴志兄さまが好き……っ 貴志兄さま以外は考えられません。軽い気持ちではないんです。
パパ、お願いします。どうか……協力してください」
言葉を短く区切ることで、伝えたい内容を明確に強調し、滑舌にも注意を払ったつもりだ。
真剣な表情で口にしたものの、この内容は──めちゃくちゃ、恥ずかしい。
父親に対して、こんな赤裸々な科白を放つ幼女なんて、日本全国津々浦々、どこを探したってそうそうお目にかかれないだろう。
はっきり言ってもう、赤面どころではなく、耳まで朱色に染まっている。絶対に。
じっとりした汗が、毛穴という毛穴からブワッと滲みはじめ、身体全体がスチームアイロンになった気分になる。
気恥ずかしさと、いたたまれなさは──最高潮。
父親に対して、自らの好いた男性への熱い想いを打ち明けるなんて、伊佐子時代には考えたことすらなかった。
でも、もしも父に隠された本心があるのだとしたら──胸中にあるその考えを教えて欲しいのなら──わたしだって、嘘偽りのない気持ちを、包み隠さずに伝える必要があるはずだ。
娘からの真摯な願いを耳にしたあとで、父は瞼を何度も瞬かせた。
「……熱烈……だな……」
茫然自失の表情を見せた父は、ひと言だけ呟いた。
その後、父娘二人の間に流れたのは沈黙。
先ほどの大告白のあとは、待てど暮らせど、父からは何の応答もない。
怪訝に思ったわたしは、眉根を寄せ、父を呼んだ。
「パパ? わたしの話を聞いていらっしゃったんですよね。だったら、何か仰っていただけますか!?」
羞恥心に悶えながらも、これだけ恥ずかしい内容を父親に伝えたのだ。
もっとこう、なんというか、色々な反応があってもいいと思うのだが……それって求めすぎなのだろうか。
娘の声で我に返ったのか、誠一パパは慌てたように言葉を紡いだ。
「ああ……すまない。しぃちゃんが、あまりに頼もしく成長していたから、驚いてしまったんだ。真剣な『目』に、魅入られてしまったというか……まるで大人顔負けの熱烈な告白に、感動していたんだよ」
「へ……?」
まさか「感動した」との返しがくるとは思いもよらず、おかしな声が洩れてしまう。
「しぃちゃんが本気で貴志くんと結婚したいと思っていることにも驚いたけど……ちゃんとパパには伝わったから、そこは安心してほしい。それに──白馬に乗った王子様を待つのではなく、自ら幸せを手に入れようと行動する姿勢は、子供ながらに畏れ入った。まるで、出会った当時のママみたいで、とても格好良くて素敵だ」
しれっと美沙子ママに対する惚気を口にして、誠一パパは眦を下げた。
母との思い出がよみがえったのか、はたまた愛娘の態度をいじらしく感じているのか?──そのどちらともとれる反応だ。
「しぃちゃんの話を聞いて……君が貴志くんを好きになった理由も少し……わかったよ──貴志くんから大切に扱ってもらえたことが、とても嬉しかったんだね」
この『好き』という気持ちに至るまでには、様々な理由が積み重なっている。だが、それを伝えるには、大きな秘密を打ち明ける必要があるので、それだけはどうあっても口にすることができない。
「嘘偽りなく」と言ったそばから、最大の隠し事のある自分の身の上に気づき、わたしは息を呑んだ。
父の目を真っ直ぐ見ていられず、思わず俯いてしまう。
目を背けたわたしの態度を、照れ隠しと解釈したのだろう。父は「自分の意見を伝えられるのは、立派なことだ。堂々としていなさい」と言い、わたしの頭を撫でた。
「貴志くんにとって、しぃちゃんは月ヶ瀬に戻るきっかけを与えてくれた特別な人間だ。だから間違いなく、彼にとっても君は大切な存在なんだろう。それに、血の繋がり自体が薄いとは言え、名目上は姪っ子だからね。きっと可愛いと思ってはいるんだろう──まあ実際に、しぃちゃんは、控えめに言っても宇宙一可愛いから、貴志くんに限ったことじゃないけどね」
親の贔屓目作用で、父にとってわたしは『宇宙一可愛い』く見える娘らしい。
控えめに言わなかったら、どこまで突き抜けてしまうのだろうという疑問が生まれたけれど、ここは深く考えてはいけない。
まともな父親に成長したとはいえ、元々が溺愛属性な誠一パパだ。そこに、血を分けた娘という事情を加味すると、実物の十割増しくらいに高い評価であってもおかしくはない。
相好を崩す父の眼差しから、娘への愛情が伝わってくる。
以前のような、美沙子ママの身代わりとしての『偽物の愛情』ではない──正真正銘、わたしへと向けた、本物の『家族愛』だ。
そういえば、「父からの愛が重い」と感じたことは、これまでにも何度かあったし、辟易していた時期もあった。
だが、意外や意外──今日に限っては、父のその言葉を、素直に受け止めて、喜ぶ自分がいるのだから不思議だ。
幸福感に包まれたわたしの心のなかを、突風のような歓喜が煌めきを伴って駆け抜ける。
どうしよう。
──嬉しい!
嬉しくて仕方がない。
身体もウズウズとしてしまう。
……ん?
嬉し……い!?
……………………。
ちょっと、待て。
わたしは現在、父への抗議を胸に秘め、大切な懇願の真っ只中だったはず。
しかも、隠し事をしている後めたさに、打ちのめされてもいたのだ。
あ……れ?
──駄目だ。
引き摺られている。
父に褒められ、愛情を素直に受け止めたことが原因なのか──幼い『真珠』の心がソワソワと浮きたちはじめてしまったようだ。
過去に、父親から「可愛い」と言ってもらったことは数えきれないほどあった。
その度に感じたのは、身代わりの自分に対する、漠然とした淋しさだ。
だから、こんなにも気持ちが明るく澄み渡った記憶は、どこを探しても見つからない。
これは……どうしたことなのだろう?
不可思議な高揚感が生まれ、胸の隅々にまで浸透していくのを感じた。
膨れ上がった感情が喜びの波に姿を変え、輝きを宿しながら、噴出するように広がっていくのだ。
昏い水底から上へ上へと向かった喜びは、突如として光を帯び、弾けるようにして飛び散った。
その感情は、留まることを知らず──
わたしは胸の真ん中に手を当て、『真珠』を見守るだけで精一杯だった。







