【真珠】状況整理は大切です 後編
このまま、企業の利益と発展の礎となるべく──なし崩し的に、結婚の約束をさせられたらどうしよう──そんな不安が心を掠めた。
けれど、咄嗟に頭を振ることで、その悪い考えを頭の中から追い出すことにも成功する。
だって、今は、家族の在り方自体が変わり始めたところだから──。
少し前の──不仲のままの両親だったとしたら、子供の気持ちも考えずに、そうなる可能性はあったのかもしれない。
だが、最近の父母の言動を見ていれば、娘を身売りさせるような選択はしないはず。
両親──特に母の変化を念頭に置いて考えると、久我山兄弟とわたしにとって、そこまで大変な未来が待ち受けているわけではないような気がするのだ。
よく考えてみると、父も母も現状──久我山双子の人間性までは把握していない。
将来的に家族として付き合っていくからには、相手を知ることだって大切なポイントだ。
それを踏まえて、もう一度再考する。
わたしのことを気に入ってくれた久我山夫人からは、出と忍の『将来の伴侶候補』にどうか? と提案されはしたけれど、月ヶ瀬側からしたら──あくまでも単なる『候補のひとり』に過ぎないのだ。多分。
そもそも、出と忍の両親である葵衣と、その夫の意見すら聞いていないのだから、そこまで深刻な話ではないような……──そう思った瞬間、もうひとつ重大な理由があったことを思い出す。
驚きのあまりウッカリ失念していたが、美沙子ママにとって久我山双子は、現在進行形で『仲違いしている元友人の子』にあたる。
いくらなんでも、絶交した友人を娘の姑にしようなんて、普通の人間であれば考えないのではないか?
同じく葵衣にしても、互いの子を好き好んで添わせようなどとは夢にも思うまい。
──それが親心ってもの……だよね?
実際に親になったことはないので、正直言うと心許ない推理であるし、一般庶民だった伊佐子の常識と上流階級のそれが違うことも、今回のプレイデートの一件で理解したつもりだ。が──殊、親心に関してだけは、自分の予想が大きく外れていないことを祈るばかり。
これらのことから、今回のお見合いもどきの遊びの約束については久我山夫人の思惑がどうであれ──美沙子ママの第一の狙いは、やはり葵衣と再会することにあるのではないかと思う。
完全なる予想ではある。けれど、一筋の光明が射し込みはじめたような気がした。
兄の心配は、久我山夫人の様子を見ていたからだ。しかも彼は、母と葵衣の確執を知らない。
だから、妹の身を案じ、こうやって注意を促してくれたのだ。
一気に今ある手札を並べ、状況整理に勤しんだところ──わたしの心を占めていた不安要素は、徐々に濃度を薄めていった。
強張っていた表情筋を緩め、兄に自分の考えを明確に伝えるために向き直る。
心配そうな表情で見守っていた兄は、こちらの動きに合わせて首を傾げ、話を聞く体制を整えた。
「お兄さま──多分……大丈夫です」
わたしの声にも、落ち着きが戻っていた。
その様子に気づいた兄は、緊張していた表情を幾分和らげる。
「それならいいけど、顔色が悪くなったり良くなったりと忙しそうだったから……。それで? 何か僕に話したいことがあるんでしょう? 聞くよ」
頷いたわたしは、口を開いた。
「先ほどわたしは『久我山兄弟と懇意にしたい』と申し上げましたが、それは家族になりたいという意味ではありません。今後、親しい友人としてお付き合いをしたいと思っているだけです。理由としては──自分の将来を守るために」
「うん。真珠の気持ちはわかったつもりだよ。でもね、美沙子さんも、あちらも、今後の交流について、かなり乗り気に見えたのが……僕としては気がかりなんだ」
兄の言葉を受けたわたしは、逡巡した後、自分の識っている事実を伝えることにする。
「それについてはご心配なく。お母さまとあの双子の母親は、実は……仲があまりよろしくないんです。それが解消されない限り、わたしと彼らが結婚する未来なんて、絶対にありえません。だって仲の悪い人と家族になるなんて、穂高兄さまだったら考えられますか?」
わたしの発言に面食らったのか、兄は言葉に詰まったようだ。
自分の知らない母親同士の関係を、わたしが知っていたことに、驚いているのだろう。
「それは……勿論考えられないけど。でも、どうして美沙子さんの過去を知って──」
問い詰めようとした兄は、なぜかその後の科白を呑み込んだ。
「──いや、きみが不思議なのは、今に始まったことじゃないか……」
囁くような微かな声で呟くて、兄はそのまま沈黙する。
わたしと久我山双子の関係が、深まることはあり得ない理由に、多少なりとも納得してくれたのだろうか。
美沙子ママのトラウマは相当なもののようだから、葵衣に歩み寄ろうとしただけでも大きな一歩だ。
それを更に踏み込んで親族になるような性急すぎる選択を、母は望まない気がする。
──ん?
でも、美沙子ママと葵衣が、その関係を修復したらどうなるのだ!?
葵衣が学生時代の友人との仲違いを後悔していることは、『この音』の情報で知っている。
おそらくではあるが、母が過去を水に流すことで、葵衣もそれを受け入れるだろう。
あれ?
そうなると……わたしと久我山兄弟の関係は、今後変わっていくってこと?
再び心配になったけれど、「いやいや、ここで弱気になってどうする!」と自分を叱咤し、ウッカリ折れそうになった気持ちを速攻で立て直す。
──いや、どうにもならない!
保身のためにも、出と忍と適度に仲良くする必要はあるが、わたしの心は貴志にあるのだ。
周囲に何と言われようと、自分の気持ちは絶対に曲げない。
それに──久我山兄弟と愛花は、既に運命の出会いを果たしているではないか!
考えてみると、攻略対象・久我山出だけは『この音』の出会いの場面を踏襲する形で、正しい時期に『主人公』と運命の出会いを果たしたことになっているのだ。
まあ……ちょっとばかり? わたしが良いところを掻っ攫ってしまった感はあるけれど、きっとあんなものは誤差にすぎないだろう。
なんと言っても彼らは、『攻略対象』と『ヒロイン』という特別な間柄なのだから。
よって、出に関する恋愛方面アレコレは、主人公に向かって迷いなくニョキニョキと伸びていくはずだ!
わたしの出番は、そこから始まる。
ブラコン且つヤキモチ焼きの忍の気を逸らすことに尽力し、愛花に降りかかる忍の魔の手を退ける役目を謹んで引き受けてしんぜよう。
そして将来、愛花が出を選ぶのであれば、わたしはその恋愛成就を全力で応援するのだ。
うむ。
不安になって動けなくなる前にこうやって熟考すれば、悩む時間も少なくて済むのだから、やはり情報の整理は大切だな。
安堵したことで、思わずフフッという笑い声が口からこぼれ落ちる。
「真珠? 何を考えているのか分からないけど、呑気に笑っている場合じゃないんだから……これからは本当に、本当に、本当にっ 注意してよ?」
呆れ顔をした兄から、何度も念押しされる。
きっと兄は、わたしが想像しているよりもずっと、妹の将来を心配し──大切に想ってくれているのだ。
これはもう、間違いようのない真実と言ってもいい。
近くにある兄の双眸を見つめ、その腕に自分の両手をギュッと絡めて抱きついた。
「はい、お兄さま。心得ました! それから心配していただき、本当にありがとうございます。それと、あの……──大好き──です!」
妹からの突然の『大好き宣言』に息を呑んだ兄は、ピタリと動きを止め、茫然とした表情を見せる。
そんな兄の腕にしがみついたまま、わたしは彼に向かって満面の笑みを送る。
我に返った兄が、わたしの頭を撫でてくれた。
「僕も……、僕も、君が大好きだよ。ありがとう。真珠」
兄が見せた笑顔は、心が安らぐほど優しくて、まるで──暖かい春の陽だまりのようだった。
…
エレベーターホールの大理石の床に、複数の足音が響いたのは、ちょうどその時──わたしが兄の身体に鬱陶しく纏わりつき『ひっつき虫、はっつき虫』と化した瞬間だった。
兄妹揃って、反射的にそちらを振り返る。
どうやら両親が、貴志と一緒に戻ってきたようだ。
貴志は相変わらずの仏頂面で、その様子から読み取るに、美沙子ママとの姉弟喧嘩は目下継続中の気配。
夕飯のメニューで喧嘩をしているものと当初思っていたけれど、兄の『ミートソース発言』によって、別の話題で険悪になっていることはナントカ理解できている。
もしかして、わたしと久我山兄弟とのお見合いもどきプレイデートの約束で怒っているの?──と、お花畑妄想を働かせてみたものの、なんだかしっくりこない。
次いで、美沙子ママに視線を移す。
貴志に対する母親の態度は、弟を宥めようとしつつも「申し訳ない」という雰囲気が前面に押し出されていた。
彼らの背後から、その様子を見つめているのは、誠一パパだ。
父はなぜか、珍しく難しい表情をしているような──
けれど、そう見えたのは一瞬のこと。
わたしと兄に気づいた父は、こちらにやって来ると「二人で待っていてくれてありがとう。助かったよ」と労いの言葉をかけてくれた。
それ以降、父は普段の様子に戻ったので、もしかしたら、光の角度による──目の錯覚……だったのかもしれない。







