【真珠】対抗心と「攻め過ぎだ」! 中編
「あ……あははははは……えーと……、この中で一番の美人さんは、間違いなくスズちゃんだよ!」
美男美女カップルである紅子と克己氏の血を引く涼葉は、誰が見ても正真正銘──頗る美少女だ。
だから、わたしの言葉に嘘偽りはない。
「スズが?──わあ……っ 嬉しい!」
涼葉は頬を朱く染めた。
そこはかとなく漂う修羅場感のなかにあって、素直に喜べる彼女が羨ましくもあり、救われた気分にもなる。
いずれにせよ、涼葉が向けた笑顔は果てしなく可愛いらしく、彼女の頭を撫でくりまわしたい衝動に駆られる。
少年同士のイザコザにわたしが口を挟んだとしても、余計に拗れるだけのような気もするので──今は自分の欲求に従い、涼葉を愛でることに決める。
ただ、万が一、少年達が取っ組み合いの喧嘩をするような事態に突入した場合は、勿論「待った」をかける必要はある。けれど、それはおそらくわたしの役割ではなく、現在社交に勤しんでいる大人達の役目だろう。
瞬時に結論を下したわたしは、涼葉の頭頂に手を伸ばし「いいこ、いいこ。可愛い、可愛い」と口にしながら、彼女の髪を梳きながら、その頭を何度も撫でた。
涼葉はご満悦で、「シィちゃんは、スズのお姉さんだよ。大好き」と言って抱きついてくる。
だがその涼葉との時間に、突如として乱入する者が現れた。
「──なあっ パール! オレは? オ・レ!」
そう言って勢いよく割り込んできたのは、この諍いの当事者のひとりである──忍だった。
「へ?」
涼葉とわたしの間を裂くように身を滑らせてきた忍は、更にグイグイと攻め入ってくる。
「なあ、オレは? いいこ? 可愛い? そのチンマイのより」
忍は、可愛さを涼葉と競っているのか?
──何故に!?
「は? へ? 可愛いって……」
その言動に戸惑ったけれど、忍はただ単に、頭を撫でて欲しかっただけなのかもしれない。
だが、そんなことよりも、わたしには目下気になることが出来てしまったのだ。
その答えが知りたくて、忍の後ろに佇む三人の少年に、恐るおそる視線を向ける。
忍は先刻──睨み合いの先陣を、我先にと切って行ったはず。
穂高兄上サマと彼の間で起きた静かなる戦いは、どんな結末を迎えたのだろう。
まず最初に、この目に飛び込んできたのは──唖然とした顔で佇む、兄の姿だった。
そして出に至っては、「仕方がないな」との表情を見せている。
この二人の様子から、心理戦の真っ只中であったにも関わらず、忍はそれを放り投げてこちらにやって来たであろう事実が伝わった。
忍よ──勝負事を自己都合で勝手に降りるのは、いただけない行動なのだぞ。
まったく……お前と言う奴は!
そんな苦言を呈したくなったが、グッと飲み込む。
残念なものを見る眼差しを忍に送ったところ──今度は晴夏の肩が小刻みに震えはじめたことに気づく。
何事かと思って晴夏を視界に入れた瞬間、アハハッという小気味よい声が室内に広がった。
普段無口で、感情表現を得意としない晴夏。そんな彼から生み出されたのは、久方ぶりの笑い声。
瞠目したわたしの視線は、既に晴夏に釘付けだ。
なぜならば──彼の面を彩る笑顔には、凄まじい吸引力があったから。
どうやら、晴夏の笑いのツボは、忍の思いもよらない行動によって、刺激されてしまったらしい。
忍の行動の突飛さは、晴夏の予測の範疇を大きく超えていたのだろう。
わたしの胸に、晴夏との苦い思い出がよみがえる。
『天球』の『クラシックの夕べ』最終日──魂の溶け合うような二重奏の演奏直後の舞台にて、「予想外すぎる」との言い分により、晴夏から爆笑されてしまった過去を思い出したからだ。
あのときは、正直に言うと、ちょっぴり不服だった。のだが、今は「グッジョブ!」という言葉を晴夏に贈りたい。
なぜならば──『氷の王子』の破顔が、もたらしたのは転機──その笑顔が、この場の空気を変える良いきっかけとなったからだ。
晴夏の纏っていた凍てつく氷雪の風情が溶け、その雰囲気が一瞬にして常春の花園へと移り変わって行く。咲き誇る花のような晴夏の表情は、子供達の視線をあっという間に攫ってしまったのだ。
晴夏の笑顔に、皆が見惚れていく様は、傍目からもよく見えた。
よし!
いまだ。
この機に乗じて、事態の収拾をつけよう。
そう思ったわたしは、早速行動に移す。
少年たちの前に立ったわたしは背伸びをしながら、右腕を伸ばした。
この場の空気を一刻も早く、和やかなものに変えたくて、少年たちの頭を順番に撫で回すことにしたのだ。
先ほど、涼葉の頭を撫でたとき口にしていた、あの呪文を唱えることも忘れない。
「いいこ、いいこ。可愛い、可愛い」
まずは功労者の晴夏、そして身内の兄、出、忍の順に進む。
なぜか涼葉もわたしの真似をして、少年四人の頭に触れるという微笑ましい光景を垣間見ることができた。
全員の頭を撫で終わったところで、彼らの戦意が消失したことが伝わり、わたしは安堵の息を洩らした。
「なあ、パール。オレたち……また、会えるよな?」
ホッとしていたわたしの元に、忍の声が届いた。
別れの時間が近づいていることを察したのだろう。
いつの間にやら、しおらしい態度になった忍が、そんな言葉を洩らしたのだ。
その声音から──願いにも似た気持ちを込めて、忍がわたしに問いかけたことは伝わった。
久我山兄弟と再会する未来が、この先に待っていることを、伊佐子は知っている。
ゲーム本来のシナリオにおいては、月ヶ瀬真珠と久我山兄弟の三人の出会いは利根川・香坂夫妻の合同スタジオの予定だった。けれど、いまのわたしは早乙女功雄教授の門下生となることが既に決まっているのだ。
何も手を打たなければ、彼らとの再会はおそらく八年後──わたしが愛音学院中等部に入学し、オーケストラ部に入部したときだ。
だが、そんな具体的な内容を話すことはできないし、彼らと良好な関係を築き始めた今となっては、避け続ける必要性もない。
だから──
「また、そのうち会えるよ。忍が今よりも少しだけお兄さんになって、わたしもちょっぴりお姉さんになったときに……音楽を続けていれば──きっと」
敬称なしの呼び捨てで、わたしは「忍」と彼名前を口にした。
そのことに気づいた彼が「へへっ」と嬉しそうに笑う。
「それまでにオレも、パールみたいに、楽器を上手に弾けるようになるんだ。だから、その時は──色々な曲を一緒に弾いて、それでさ……二人でたくさん遊ぼう! 約束だぞ」
輝く笑顔を見せた忍の両手が、左右に大きく広がった。
「またな。パール」
まるで蔦のツルが絡むように──忍の腕はわたしの身体を包み込み、しっかりと巻きついたのだ。







