表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

325/391

【真珠】貴志の選ぶ道


 滞在するスイートルームに戻ったわたしは、扉を閉めたばかりの貴志に向かって唐突に話しかけた。


「貴志……わたしに話しておかないといけないことが、あるんじゃない?」


 腕組みをして、体を斜に構え、壁によりかかりながら彼を見上げる。悪い態度だと、自覚はしている。


 この件がなければ、もう少しだけエルとラシードとの別れの感傷に浸りたかった。

 そして、明日に備えて就寝したかった。貴志と一緒のベッドで。


 だが、早急に確認しなくてはいけない事案が、先ほど発生してしまったのだ。


 明朝は早起きしなくてはいけないのに、今詳細を話してもらわなければ、気になって眠れない。


 その上、万が一にも貴志の口から何も語ってもらえないなんて事になったら、わたしは間違いなく泣く。それも駄々っ子のように地団駄を踏み、泣き喚く自信がある。

 因みにこれは、幼い『真珠』の心が実行しようとしていることで、今回ばかりは止められそうもない。


 ──『真珠』も、貴志が大好きだ。


 かなり本気で、彼のお嫁さんになりたいと思っている。

 求めていた愛情を最初に注いでくれたのは、両親ではなく貴志だったのだから、この心の動きには納得だ。


 だから『真珠』も、先ほど貴志がエルと語った内容が気になって仕方がないのだ。

 そして幼い心は、癇癪を起こす寸前──今わたしは必死になって、自分に『待て!』をさせている状況だったりもする。


「本来ならば今日、月ヶ瀬の家で話すつもりだった。お前は科博に行くのを楽しみにしていたし、その前に水をさす必要もないと判断して、今まで伝えずにきた。だが──」


 そこで言葉を止めた貴志は、わたしを視界に入れると溜め息を落とし、再び口を開く。


「──月ヶ瀬では、その時間が取れなかっただろう? お前の機嫌が直った後は、美沙から急遽ホテルに行くように頼まれて今に至る。ついでに言うなら、エルとラシードに会う直前に話す内容でもなかった」


 ──そうだった。

 今日のわたしは貴志を避けまくり、何度も寝落ちをしたせいで、彼と殆ど言葉を交わしていない。


「じゃあ、エルと話していた内容は、わたしの聞き間違いじゃあ……ないんだね」


 貴志は、迷いを見せることなく頷いた。


 貴志の瞳が、尊のそれと重なる。

 日本の大学院への交換留学を正式に決めた──そう伊佐子に告げたときに弟が見せた眼差しと、貴志の双眸に宿る光は酷似しているのだ。


「この夏、お前と出会ったことで俺の人生の選択が大きく変わった。恥ずべきことだが、月ヶ瀬から逃げていた俺は、企業経営についての知識がない。自分なりに学んだ気になっていたが、独学では足りないことは承知している。かと言って、音楽を手放すこともできない。ふたつの専門分野を同時に学ぶには、今の日本の大学院では現状難しい──」


「……だから、アメリカに?」


 わたしの責めるような口調に臆することなく、貴志は頷いた。


「──そうだ」


 貴志の心は既に決まっているようだ。


 彼は真っ直ぐに前を──未来を見据えている。


 今後のことを念頭に置き、今の自分に足りない物を補おうと模索した結果、貴志はその道を選んだのだろう。


 彼の実の父である月ヶ瀬正幸が歩んだ道を、その息子である貴志が進もうとしている。


 ふと、祖父の顔が脳裏を過ぎった。


 昔の貴志ならいざ知らず、今の彼は祖父に無断で大きな決断を下すことはない。

 おそらく祖父も合意の上での進路選択なのだろう。


 貴志の希望と、祖父の思惑が絡み合い、裏では月ヶ瀬のコネクションも動いていることが予想された。


 おそらく、貴志が学業を修めた後、祖父は彼に月ヶ瀬の海外支社で、下積みを命じるのだろう。

 それは将来的に、貴志を鳴り物入りで本社の重要ポストに就かせるため──祖父が貴志のために敷いた、月ヶ瀬復帰計画の一端だと思われる。


 既に始動しているのだ──大人たちの、年月をかけた目論見は。



 わたしは軽く息を吐いてから、寝室へ向かった。

 貴志はわたしの背中を無言で見送っているようだ。


 拗ねている訳ではないとの意思表示をするために、寝室から玄関口を振り返り、こちらに来て欲しいと貴志を手招きする。


 わたしが向かった先は、ベッドの横に設置されたコーヒーテーブル。

 その台に置かれた卓上カレンダーを手にして日付を確認する。


「真珠?」


 寝室にやってきた貴志は、わたしのこの行動を訝しんでいるようだ。


 カレンダーをめくりながら、わたしは貴志に質問をする。


「希望大学側には、コンタクトを始めている?」


「ああ、何校か問い合わせをして、来週は専攻の教授とのミーティングも組んでいる──俺の状況は、かなり特殊だからな」


 それを聞いて、わたしはひとまず安心する。


 アメリカの大学選考は夏以降に開始され、アドミッションオフィスのカウンセラーと遣り取りをし、問い合わせ履歴を残しておくのも重要なプロセスのひとつだ。

 貴志は既にそれを行い、教授とのミーティングも取り付けている。


 伊佐子が高校のシニアだった頃の記憶を頼りに、カレンダーを眺めた。


「うん……よし、間に合う」



 今週末に、貴志は日本への一時帰国を終え、欧州へ戻ることになっている。

 今までの予定では、来春から指導教授について日本の大学院に進むことが決まっていたのだが、その計画に狂いが生じた──それは、わたしと出会い、彼の運命が変わってしまったから。



 貴志と離れて過ごす時間は数ヶ月間だと思っていたけれど、今日のこの話を聞き、数年に渡って頻繁に会えなくなる事実が分かった。


 衝撃を受けていないと言ったら嘘になる。


 落ち着いて会話をしているように見えるかもしれないが、この心は相当動揺しているし、気持ちも麻痺状態だ。

 正直言って、自分のこの心の有り様を、どう表現したらいいのか、まだよく分かっていない。


 最適解を導き出さねばならない時に、動揺してはいけない。非常時こそ、取り乱すのではなく、冷静な分析をした上での状況判断が必要──それは、伊佐子が培った平常心を保つための対処方法。それが今、働いている。



 ──離れるのは、つらい。


 けれど、貴志が──大切な人が、本気になって未来を拓こうとしている。



 だから──



「行かないで、なんて言って困らせないから安心して。協力するよ。わたしができる事を」


 気づくとわたしは、そんな科白を、口にしていた。





幼少期が終了後、時間軸を巻いて中学生編に突入しますが、中学生編第一話目から貴志は登場予定です。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

『くれなゐの初花染めの色深く』
克己&紅子


↑ 二十余年に渡る純愛の軌跡を描いた
音楽と青春の物語


『氷の花がとけるまで』
志茂塚ゆり様作画


↑ 少年の心の成長を描くヒューマンドラマ
志茂塚ゆり様作画



『その悪役令嬢、音楽家をめざす!』
hakeさま作画


↑評価5桁、500万PV突破
筆者の処女作&代表作
ラブコメ✕恋愛✕音楽
=禁断の恋!?
hake様作画

小説家になろう 勝手にランキング
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ