【真珠】質疑応答
エルから渡された黒いジャケットを慌てて着込む。
わたしの身体には大き目のつくりのため足元がスースーして心許ないけれど、無いよりはマシだろう。
身につけていた『聖布』は、とりあえず腰に巻いておくことにした。
「エル、ジャケットを貸してくれてありがとう」
そう口にしながら、ゆっくりと顔を上げたわたしの目に入った光景は──
「へ!? あ……れ? 此処は?」
『太陽と月の間』はいつの間にか、ラシードと初謁見を遂げたあの特別室と同じ構造に変わっていたのだ。調度までもコピーしたように設てある。
驚いたわたしは茫然としながら、周囲を見まわした。
壁を覆う巨大な太陽神シェ・ラのタペストリーが視界に入る。
あの真下にはソファが設置され、その上にラシードが座っていた記憶が懐かしい。
視線をソファへ移すと、ふた粒の黒曜石と視線が交わった。
エルは背もたれに寄りかかりながら、こちらを眺めている。
彼の座るソファまでの距離が、少しだけ遠い。
まるで、「寄るな」と言われているような気がして、少しだけ寂しさを覚えてしまう。
──やはり、エルは怒っているのだろう。
わたしは気づかれないよう小さく溜め息を落としたあと、手を地につけて再び正座をし直した。
──あれ?
床に掌が触れて、初めて気づく──いつの間にか、わたしが座っていた地面の上には、毛足の長い絨毯が敷きつめられていたようだ。
これは──エルが敷いてくれたの?
相変わらず不機嫌そうな様子を見せる彼ではあるけれど、地べたに座り込んだわたしの足に負担がかからないよう、そっと気遣ってくれたのかもしれない。
…
「今宵、此処で話をしようと約束していたが、おそらくお前と会うことはないだろう。だから──」
エルの声が徐に部屋の中に響き、その顔を視界に入れる。
──「会うことはない」とは、どういうことなのだろう?
彼の科白に戸惑ったわたしの心を感知したのか、エルの声が途中で止まった。
会えない理由が気になりはしたが、不思議な力を持つエルのこと、何か予感があるのかもしれない。
そう判断したわたしは、すぐに気持ちを切り替える。
「ごめん。大丈夫だから、先を続けて?」
エルは首肯し、再び言葉を紡ぎ出す。
「──今日、博物館で会った時に言っていたな。何か訊きたいことがあるのだろう? 時間はあまり取れないが、まずはお前の質問に答えよう」
エルは感情をスッと隠し、わたしの話を聞くためなのか、足を組みかえた。
態度を改めた様子を鑑みるに、本当に時間がないようだ。
わたしの不躾な訪問については、不問に処す、ということなのだろうか。
エルが隠した感情の正体が気にはなったけれど、彼はその話題について、触れてほしくないようだ。その気持ちに対する疑問が生まれはしたが、わたしのために貴重な時間を割いてくれた彼の厚意も無駄にはできない。
──今夜、会えないというのであれば、尚のことだ。
わたしは頷いてから、口を開く。
「教えて欲しいことは幾つかあるの。エルが言っていた『小さな嵐』って、やっぱり──調部愛花のこと、なんだよね?」
質問というよりは、確認と言ったほうが正しいのかもしれない。
科博でエルと交わした言葉から察するに、愛花が『小さな嵐』であることは、ほぼ間違いない。
「調部愛花? それが、あの迷子の名前か。お前達は、あの後、あの子供に再び会ったのか?」
エルの出した訝しげな声音に対し、わたしは首を縦に振り、少し踏み込んだ話題を口にする。
「うん。エル達と別れたあとに二度、彼女とは会って話をしているの──あのね、その子の件で、ちょっとおかしなことがあったから、エルが何か知っているなら教えてほしいの」
「おかしなこと? 話してみろ」
エルは神妙な表情を見せ、わたしに先を促した。
「もしかして貴志から聞いているかもしれないんだけど……今日、貴志は二日酔いでね。科博でもお酒が完全に抜けていなかったの」
理香からも、酒臭いと文句を言われていたことを思い出す。
お昼過ぎまで、酒気も相当残っていたことだろう。
わたしの意識が今日の貴志の様子に引きずられたところ、エルが割り込むように口を開いた。
「あの子供の姿が、貴志の目には少女に見えていなかったという件についてか?──その話は既に聞いている。『聖水』を使う許可を求めて、あいつは私に電話を寄越したんだ」
なるほど──それでエルは案内係の人と共に、貴志のもとへ向かったのか。
貴志とエルの二人はその時、愛花について話し合う時間を持ったのだろう。
わたしが知る貴志と愛花の出会いの話は、加奈ちゃんから聞いた情報のみ。
迷子の愛花を貴志に引き合わせたとき、彼が口にした『成人女性が迷子?』という言葉を加奈ちゃんは不思議に思い、わたしに教えてくれたのだ。
「あれは、お前と同じ『理の違う魂』を持つ存在だ。それは貴志にも伝えてある。だが、私は直接あの子供と会話を交わすことはなかった。だから、分かるのはそれだけだ」
「それって……」
わたしは胸元に手を置き、エルの双眸を見つめた。
早鐘を打つように脈打つ心臓は、鎮まりそうもない。
エルは「お前の考えている通りだ」と前置いてから、言葉を続ける。
「あの子供は、お前の魂の輝きと酷似した『光』を身に宿す者──この世界とは異なる『理』を持った場所から入り込んだ魂。言っている意味は、分かるな?」
自分が日中予測した考えが的中した事実に、鼓動が更に加速する。
やはり愛花は──『転生者』なのだ。
彼女はもしかしたら、わたしの心を理解してくれる、この世界で唯一の存在なのかもしれない。
そんな期待が生まれると同時に、疑問も湧く。
果たして彼女は、『真珠』と同じように前世の記憶を持ち、それを取り戻しているのだろうか?
──彼女の幼い言動を思い出し、それはないだろうという仮説が早々に立つ。
いや。
それとも、演技をしていた?
──今度は愛花の純真な笑顔が脳裏に浮かび、その筋も却下する。
あの子供らしさは本物だ。
演技で出せるような代物ではない。
わたしの思考は愛花についての可能性をひとつひとつ選別し、熟考を重ねる。
どのくらいの時間そうしていたのかは分からないが、わたしは彼女の現状について、ひとつの結論を導き出した。
彼女は転生者ではあるけれど、真珠のように伊佐子が混じった状態とは異なるのだろう。
現在の愛花は、彼女単体としての精神を保っているようだ。
思考や言動に、別の記憶の混ざり物はない。
ただ、注釈をつけるとするならば──現在のところは──だが。
愛花に対する考えをまとめたわたしは、視線を上げた。
この空間にいる限り、わたしの思考はエルにも筒抜けの筈。
おそらく彼にも、この推測は伝わっているのだろう。
視線を向けたその先には、エルの黒い瞳。
彼は、静かにわたしの動きを見つめていた。
エルが何も言わないということは、わたしの判断はあながち間違ってはいないのだろう。
彼の沈黙を肯定と受け取ったわたしは、次の質疑に移ることにする。
けれど、わたしが問いかけるよりも早く、エルの言葉がその部屋に響いた。
「真珠、お前なりに色々と判断しているようだが、私も一点だけ確認したいことがある」
「確認? わたしが答えられることであれば話せるよ。なんだろう?」
エルは、僅かに身を乗り出した。
「お前が会ったということは、貴志もあの子供に会っているのだろう? 地球館へ戻る途中で、貴志本人の口から『聖水』を使う前後共に『惑わされることはなかった』とハッキリ聞いている。だが、お前がどう感じたのか──わたしはそれを訊きたい。貴志があの子供を見た時の反応は、どうだった?」
愛花と会った時、貴志が見せた行動を思い出そうと、わたしは自分の記憶を探った。







