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【幕間・真珠】ドナドナ!?


 夢現(ゆめうつつ)微睡(まどろ)みの中、わたしはモゾモゾと身体を動かす。


 背中の温もりに気づき、安心感を覚えてホッと息を吐く。

 人肌が恋しくて、枕がわりになっている腕にすり寄った。


 わたしは、貴志を待つ間に、眠ってしまったのだろうか。


 大きな腕の中で大切に抱きしめられる現状に幸せな気分になりつつも、少しの違和感を覚えるのはなぜなのか?


 いつも貴志と一緒にいる時のような、胸が高鳴る感覚がまったくないのだ。


 自宅だから、慣れ親しんだ匂いに包まれているのはわかる。

 でも、どうして、こんなにもホッとできるのだろう?


 ──と、疑問がわいた瞬間、唐突に覚醒し、目をパチッと開ける。



 あれ?

 ここは、客間じゃ……ない?



 大人との話し合いの終わりを待つと言って、貴志が泊まる予定の部屋で待機していた筈だったのに。


 ここは何処だろう?


 頭の上にクエスチョンマークを浮かべつつ寝返りを打ち、わたしの背後を覆うようにして包む、この腕の主を確認する。



「────っっっっっ!?」


 驚きのあまり、声さえ出なかった。



 わたしはザカザカとお尻を使って後退り、その腕の中から慌てて逃げ出す。



 わ……わたしは、もしや、寝相の悪さに、貴志の手によってドナドナされたのだろうか!?



 おのれ、貴志め!


 恨み言の一つや二つくらい言いたくもなる事態に遭遇だ。



 わたしは何故! どうして!

 こんなにも呑気に熟睡などできていたのだろう!



 ──誠一パパの腕の中で。




「ん……しぃちゃん……?」


 抱き枕になっていた娘の感触が無くなったからか、父の瞼が震え、目を覚ましそうになっているようだ。



 わたしは周囲を咄嗟に見回し、ベッドに一緒に持ち込まれた巨大ヌイグルミを発見するや否や、それを引っ(つか)んで手繰(たぐ)り寄せ、父の腕の中に人身御供のように送り込んだ。


 その途端、父の安心し切った寝息が耳に届く。



 父を寝かしつけるミッションはポッシブルだったと、安堵の吐息を洩らす。



 ギュムッと父に抱きしめられたヌイグルミ──国立科学博物館で父から買い与えられた青いフタバスズキリュウの『ピー助』の顔には、寝ぼけた父によるキッスの嵐が雨(あられ)と降り注ぐ。



 た……助かった。

 これをわたし本人にやられていとしたら、たまったものではない。



 デフォルメされたピー助のつぶらな瞳が、徐々に悲哀に満ちていくような気がするのはまやかしだ。

 うむ。錯覚だと思うことにしよう。



 『ピー助』恨まないでくれよ、と手を合わせ、ベッドから抜け出すことに成功する。



 隣のベッドを覗き込むと、美沙子ママも気持ち良さそうに寝息を立てていた。



 ──貴志も、既に就寝している頃だろうか?



 物音を立てないよう、注意を払いながら主寝室から廊下へと足を進め、階下の客間へと向かう。


 電気が消えていたら、水を飲んでそのまま自室に戻るつもりだった。

 けれど、ドアの隙間から微かに洩れ(いず)る光の筋に引き寄せられ、わたしは客間の唐紙(からかみ)を叩いた。


 返答があったので、(ふすま)を滑らせるようにして開けると、布団の上でうつ伏せに寝転がりながらタブレットを操る貴志の姿が目に入った。


 眠かったのだろうか、少し虚ろな目でこちらを向いた貴志は、わたしの姿を認めた途端、その顔を愕然とした表情へと変える。



「ちょっ……待て! 真珠!? お前、義兄さんと一緒に寝たんじゃなかったのか!?」



 貴志が化け物でも見たかのような表情を見せ、わたしの姿を食い入るように確認する。



 その科白から、大変な事実が判明してしまった。

 よって、わたしは恨みつらみを絞り出す。



「貴志、まさかお前から誠一パパに売り渡されるとは思いもよらなかった。この……裏切り者めっ」


 貴志が眉間に皺を寄せて、首を傾げる。


「売り渡す? 人聞きの悪いことを言うな。お前は、何を誤解をしているんだ?」


 ごかい?

 五階も六階もない!

 わたしは──


「危うくキッスの嵐の洗礼を受けるところだったのだぞ!?」


 先ほど『ピー助』を身代わりにして事なきを得たが、二度目がないとも限らない。



 わたしが上目遣いで貴志に詰め寄ろうとしたところ、こやつめは大慌てて後退り「近寄るな!」と言って、手をこちらに突き出し、わたしを制して動きを止めた。



 そしてあろう事か、エルからもらった『聖水』と呼ばれる液体入りのスプレー瓶を素早く手に取ると、わたしに向けて印籠のようにかざしおったのだ。



 わたしは虫か!?

 それも、あろうことか、殺虫剤で退治される害虫扱い?



 いや、『聖水』と彼らは呼んでいたから魔除けか何かなのだろう。


 害虫どころか、わたしは魔物か!?



 眠っている間にわたしの意思に反して父に売られた腹立たしさも加わり、貴志の制止も聞かず、彼目掛けてタックルするように勢いよく飛び付いた。


 アトマイザーの蓋を取り外すことに気を取られていた貴志は、不意をつかれてあっという間にわたしの下敷きにされる。



 どうだ!

 参ったか!

 わたしの勝ちだぞ!



 少しだけ溜飲が下がり、ちょっとした悪戯心がわたしの中で芽生える。



 貴志の上に馬乗りになって、彼の服の襟元に手をかけて顔を引き寄せる。


「うわっ 待て! 真珠! 何を怒っているのか分からないが、ストップだ!」


 貴志が真っ赤な顔になりながら、口元に右手の甲を当ててたじろいでいる。

 その様子に、完全なる勝利を感じ、己の勇姿を誇るべく、彼の耳元にフーッと息を吹きかけた。


 貴志が身悶えるような仕草を見せたと思った瞬間、唐突にわたしの腰に手をかける。それと同時に、視界がグルリと回転した。


 わたしと貴志の上下の位置が逆転し、組み敷かれるような体勢になっていることに気づく。


 してやられた気分が再燃し、わたしは上目遣いで貴志を睨み付けて、プゥッと頬を膨らませた。



「真珠──」



 貴志の掌がわたしの頬に触れたかと思った瞬間、指先が首筋を滑り降り、身体がビクリと跳ね上がった。



 いつもの貴志の眼差しとは違い、熱を帯びた潤んだ視線で見つめられる。



「へ? あれ?」



 貴志から洩れる吐息は、少しだけお酒の匂いがした。


 

 今まで目に入らなかった紫檀の座卓上に、空になった缶ビールが数本置かれていることに気づく。



 え?

 結構、飲んでいる……のか?



 そこで、わたしはハッと息を呑んだ。


 そうだった!

 今日は貴志と祖父の完全なる和解記念日のようなものだ。


 お酒好きの祖父が、貴志と飲まない訳がなかったのだ。



 もしかしたら、親子の時間を作るために、わたしは両親の手によって彼等の寝室へと引き取られたのかもしれない。




 このビールの空き缶の本数から言って、祖父と二人でかなりの量を飲んでいたのは間違いない。


 わたしは茫然としながらも、現状把握に尽力した。


 エルから受けた『酒精についての忠告』を思い出し、あれ? これって結構マズイ状況なのでは?


 と、今更ながらに焦りが生まれる。





 こ……これは──


 ちょっと、いや、真剣に貞操の危機なのやもしれん!?



 半ばパニックに陥りながら、わたしはギュッと目を閉じた。












読んでいただきありがとうございます。


真珠は、美沙子ママの説明で魔除けと聞いているだけで、『聖水』の効能&作用を知りませんからね(;´Д`)

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