【真珠】疚しさの行方 前編
「シィ、まだ眠いのか? 穂高は、君の昼食の準備を頼みにいっている。午前中からずっと眠っていたと貴志さんから聞いた。体調が悪いなら、横になっていたほうがいい」
晴夏はそう言いながら、わたしの隣のソファーに腰かけた。
「ううん。大丈夫。寝惚けていただけ。心配してくれてありがとう」
ぎこちない笑顔で答えると、彼は自然な動きでこの手をとり、いつものごとく優しく包む。
『天球』では、ずっと手を繋いでいたことを思い出し、わたしもその手を握り返した。
晴夏は、妹・涼葉の世話をするときに、いつも手を繋いでいるのかもしれない。
わたしのことも妹のように感じ、こうやって手を繋いで守ろうとしてくれるのだろう。
晴夏は初夏の生まれ。
わたしは初冬生まれ。
同学年ではあるが、この年齢だと半年の成長の差は大きく、わたしのことをとても幼く感じているのかもしれない。
「君は昨日一日で、また雰囲気を変えたようで……少し──驚いた」
微笑をその顔に浮かべると、凛とした氷の王子が百花繚乱の趣に変わる。
高潔さを湛える晴夏の美人顔に、心の澱を濯がれたような気がしてホッとする。
年相応の穢れなき笑顔に癒され安堵の息をついたところ、兄がキッチンから戻ってきた。
「真珠? いま木嶋さんにお昼の準備をしてもらっているから、顔を洗ってきたら? きっと眠気も覚めるよ」
兄が目の前で跪き、わたしの頭を撫でる。
彼の双眸を覗き込むと、子供の姿のわたしが映っていた。
兄の天使の微笑みを間近で拝むことになり、少し気恥ずかしくなる。
晴夏によって洗われた心に兄の笑顔が加わり、完全な清らかさを取り戻したような気分になった。
「お兄さまは、もう召し上がったのですか?」
「君以外は皆、お昼を済ませているよ。貴志さんから睡眠不足かもしれないと聞いて──よく寝ていたから、そのまま起こさずにいたんだ。先に食べてしまってごめんね」
わたしは首を左右に振る。
兄は相変わらず優しい。
先ほど、避けられたと思ったのは、やはり気のせいだったのかもしれない。
晴夏はつい先ほど、我が家に到着したそうだ。
紅子は母と二階で話をしているようで、まだ階下には降りてこない。
涼葉も紅子と一緒に二階にいるのだろうか?
わたしは兄の勧めもあり、顔を洗うため居間を出て洗面所へ向かった。
廊下に足を踏み出すと、貴志はエルと未だに会話中。
神妙な面持ちで、何事かを真剣に話している。
一瞬彼と視線が合ったけれど、わたしは咄嗟に目を逸らしてしまう。
顔を背けてしまったことに罪悪感を覚えながら、トボトボと洗面所へ向かう。
この重い気持ちを洗い流すよう、わたしは勢いよく冷たい水で顔を洗った。
何度も流し、気持ちが少し落ち着いたところで、蛇口を締める。
タオルを取ろうと手を伸ばすと、後からやって来た貴志が手渡してくれた。
「……ありがとう」
お礼を口にするが、その後の言葉が続かない。
貴志の目を見ることができないのだ。
何故か、エルとの時間が脳裏を過り、疚しさが生まれ、視線を合わせられない。
「エルから、突然連絡が入って何事かと思ったが──電話で状況は聞いた。事の詳細は、お前が話してよいと判断したのならば訊け──と」
わたしは俯いたまま、静かに頷く。
「どうした?──何があったのか、特に訊くつもりはない。お前が傷つくようなことがなかったのなら……それでいい」
わたしは首を振った。
話は、しておいたほうが良い気がする。
「貴志、ごめんなさい。今は自分でも状況が分かっていないから話せないけど、そのうち話すから。その時は聞いてくれる?」
貴志は頭を撫でてくれた。
「無理をする必要はない。俺もお前にすべてを話しているわけじゃないからな……お互い様だ。ましてや、お前は夢の中でのこと──」
彼の言葉が気になり、質問する。
「すべてを話しているわけじゃないって……どういうこと?」
意味が分からなかった。
わたしの問いに答えるように、貴志の落ち着いた声が頭上から降ってくる。
「例えば……理香との間に……あったこと」
読んでいただきありがとうございます。
長くなってしまったので前後編に分けました。
後編は、推敲中(^o^)
貴志は、真珠の感じる罪悪感をどう受け止めるのでしょうか。







