【余聞・『紅葉』手塚実】『貴志くん』と『彼女』について
そもそも、何故俺が都内で葛城と会っているのか──
長野の老舗旅館『紅葉』の君島総支配人から、同じく星川系列『インペリアル・スター・ホテル』への一泊出張を指示されたのはつい先日のこと。
急遽前倒しで開催されることになった定例会議へ参加するためだ。
通常の報告会とは異なり、重要な発表があるらしい。
おそらく、それは葛城が月ヶ瀬会長と和解したことが理由のひとつではないかと噂されている。
月ヶ瀬傘下へと段階的に経営が譲渡されることになっている星川リゾート。
節目となる今回の定例会は、次代を牽引する若手代表として俺が参加することになったのだ。
今回『紅葉』から、この定例会議に出席するのは、俺と佐藤フロントマネージャーの二人。
夕方の会議に出席し、一泊。
月曜日に長野に戻ることになっている。
奥日光の『天球』からは、総支配人である俺の父と星川リゾートオーナーの葛城千景氏が参加するとのこと。
『紅葉』オーナーの葛城貴志も、勿論この会議に出席。
メインは彼の今後についての大切な発表と噂されているので、当然と言えば当然だろう。
東京駅までは佐藤マネージャーと移動し、そこからは『天球』代表として参加する父も加わる。
千景オーナーは、月ヶ瀬会長との事前打ち合わせもあり、既にホテル入りしているようだ。
父と合流後、東京駅からホテルまでの移動中、今回の会議の主要目的についての内容書類が父から手渡された。
一通り目を通した佐藤マネージャーが、呑気に呟く。
「あらあら……まあ。対外的には貴志くんをパイプ役にして、星川系列と月ヶ瀬グループを反発なく繋ぐための一時的な契約──と判断されるでしょうが……これは案外、良い選択かもしれませんね。『あのお嬢さん』は、やはり普通ではないですから」
父から手渡された資料を読み進めた俺は、最後の一文──手書きで記された内容に手を止めた。
誰か、褒めてくれ。
俺が大声で叫ばなかったことを。
何かの間違いないではないかと、何度も読み返している間に、佐藤マネージャーと父が和やかに会話を始める。
何故、彼らはこんなにも落ち着いていられるのだろう。
まったく意味が分からない。
「佐藤くん、そういえば今年は彼女も『紅葉』に立ち寄ったんだろう? 『天球』には毎年いらしているんだが……今年の彼女は去年とは打って変わって、別人のように大人びて……、子供に言う科白ではないが、とても美しくなっていたよ。
千景オーナーにとってはお孫さんのようなものだから、オーナーも彼女のことを褒めちぎっていた。それに……」
少し含みのある言葉尻で止めると、父は嬉しそうに笑った。
その様子を見て、佐藤マネージャーもフフフと笑う。
「あの貴志くんが」
「貴志くんのことですね?」
二人で同時に葛城の名を口にする。
「いやはや、『紅葉』では、二人の様子はどうだったんだい? 『天球』では常に彼女と一緒で、従業員達も貴志くんの心からの笑顔を初めて見たと、皆一様に驚いていたよ。
あぁ、そうだ。実は真珠さんがいなくなったことがあったんだけどね。その時は貴志くんがキッチンに指示出しをしたり、警備室に直接訪れたりと、なかなか手際よく動いていたよ」
「まあ、そんなことが。あら? 手塚さん、その顔は他にも何か知っていそうですね」
佐藤マネージャーが興味深そうな目で、父に知っていることがあるならば教えてほしいと催促する。
「佐藤くんは流石鋭いね。実は、前オーナーの墓参後から、千景オーナーが『運命の廻り合わせだ』と言い始めてね。
月ヶ瀬会長から打診されていたこの無茶な件を、かなり前向きに検討して協力することにしたようだ。
それと、先ほど千景オーナーから連絡が入ったんだが、この契約は完全に遂行されることになった」
「この手書きの一文の件ですね。突然でしたよね。何かあったのですか?」
「彼女が何故かアルサラーム王族からの『祝福』を受けてしまったらしくてね」
「あら……アルサラームの……それは月ヶ瀬会長も千景オーナーも必死なのでしょうね。真珠さんを庇護する為にも貴志くんとの件を確定させて、早く安心したいところ──それにしても、彼女の周りは本当に騒ぎが尽きませんね」
二人の会話を耳にしながら、俺は葛城にメッセージを打つ。
会議前に会いたい──と。
お前と真珠さんは一体どうなっているんだ!?──と。
手書きで加えられた最後の一文。
『葛城貴志と月ヶ瀬真珠の一時的な婚約をとり結び、月ヶ瀬傘下へ加わる布石とする。』







