【真珠】誠一、現る!
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「うわっ このトライティップ、最高!」
ルームサービスでオーダーした牛肉のサンドイッチを頬張った瞬間、あまりの美味しさに言葉がこぼれた。
肉のジューシーさ、野菜とのバランスに味付け。すべてにおいて本当に絶品だったのだ。
遡ること十分ほど前──貴志と合奏をして調整完了した段階で、丁度よくルームサービスの昼食が届き、現在二人で腹ごしらえの最中だ。
「こっちの蟹もかなりイケるぞ。試してみるか?」
貴志の言葉に頷いて、彼の目の前の皿に載る、四等分されたサンドイッチのひとつを譲ってもらう。
蟹の爪がふんだんに挟まれた贅沢サンドだ。旬は冬だと思っていたが、渡り蟹は一年中食べられるらしい。
トライティップサンド二切れを、彼のお皿に移動することも忘れない。胃袋のサイズがお子様なので、食べたくとも全てを平らげることができないのだ。
さすが『インペリアル・スター・ホテル』のレストランから届けられたルームサービスだ。パン生地も美味しくて最高だ。
わたしの心の不安は何処へやら──サンドイッチにご満悦となり、先程からモシャモシャと食べ続けている。
「ふおおおぉぉぉ~! この蟹も素晴らしい!」
わたしは興奮のあまり、雄叫びをあげてしまった。
「だろ? これは美沙の好物だ。一時帰国中、俺はいつもこの部屋に滞在していたから、美沙が時々ここに顔を出してくれたんだ。実際は俺がいない時にも勝手に来て、この蟹サンドだけ食べて帰っていったこともあったな」
なんと!?
誠一パパが、美沙子ママと『若い男』の密会を目撃したホテルがここだったとは、かなり驚きだ。
結局、父の勘違いで、母が会っていた若い男とは、勘当中の弟分である貴志だったのだが、その疑惑の現場がこの部屋だったとは、なんとも不思議な感覚である。
…
食べながらではあるが、わたしとラシードが遊ぶことになった経緯を知っているのか、と貴志に質問してみた。
彼も気になっていたので、誠一パパに確認していたらしい。
すると、祖父の月ヶ瀬幸造が、旧知の仲の国王陛下との無礼講の席で約束してきたものだということが発覚した。
「お祖父さま……」
なんということだ!?
獅子身中の虫──まさか身内に敵がいたとは!
祖父の姿が脳裏をかすめる。
月ヶ瀬家の和室にて、祖母に土下座をしている残念な姿しか思い浮かばないのは何故なのか。
祖父とアルサラーム国王陛下の関係は、元ご学友──国王陛下が若かりし頃、日本に遊学に来た際、祖父と国王陛下は竹馬の友となっていたそうだ。
実際には、貴志の亡き実父──祖父の弟の級友だったらしいが、共に時間を過ごすうちに月ヶ瀬兄弟と仲良くなり、現在も気の置けない友人関係が続いているのだとか。
そんな繋がりがあったのか!? と驚きもしたが、そう言えば月ヶ瀬は日本を背負って立つ経済界の雄だったことを思い出す。
日本国内だけではなく、海外要人との代を重ねた絆というものも存在するのだろう。
しかも、今朝まで滞在していた星川リゾート『天球』の名物──石のチャペル『天球館』は、祖父母が結婚する際、式に参列することのできない国王陛下から、お詫びを兼ねて贈られたプレゼントだったと言うではないか。
もう、プレゼントの規模が大きすぎて激しく困惑だ。
そして今回、誠一パパが珍しく義父である月ヶ瀬グループ会長に歯向かい、わたしとラシードのプレイデートに「諾」と言わなかったという零れ話も聞いた。
そこは素直に父に感謝したい。
開示された情報を整理していると、貴志が冷蔵庫に保管していたデザートのプリンを出してくれた。
ホッペが落ちそうな美味しさのプリンを餌付けされていたところ、玄関口のチャイムが唐突に鳴った。
誰だろう? と二人で顔を見合わせる。
わたしは椅子に座ったまま、貴志がモニターで応答すると男性の声が室内に響いた。
『貴志くんか? わたしだ。先程は電話連絡をありがとう。『祝福』の件、教えてくれて助かったよ』
──父の声だ。
様子をうががうと、小さめの封筒を手にした父が、モニター越しに写っていた。
誠一パパは仕事仕様で、上質なグレーのスーツをピシッと着込んでいる。
夏だと言うのに涼やかな様は、我が父ながら惚れ惚れする。
中身を知らなければ、わたしも『誠一サマ倶楽部』に入会してしまったかもしれない美丈夫ぶりだ。
──が。
面倒くさいのがやって来た──申し訳ないが、そう思ってしまったわたしを許してほしい。
貴志が部屋に招き入れると、わたしを探し出した父がそそくさと近寄ってくる。
顔をデレデレさせながら歩み寄る様は、絶対に他人様にお見せすることはできない。
美沙子ママと不仲だった五年間。その愛情の隙間を埋めようとした父に、真珠はこれでもかというほど甘やかされていた。
そして、わたしはそれを当たり前のこととして享受し、悪役令嬢街道を着々と進んでいたのだ。
「しぃちゃん、久しぶりだね。パパと会えなくて寂しかっただろう? 今日はお家に帰ったら、一緒にお風呂に入って、同じベッドで寝んねしよう! 腕枕もしてあげるから、楽しみに待っているんだよ」
わたしは首を左右に振り、嫌々のポーズをしたのだが、父の目には全く映っていない。
一緒のお風呂も、腕枕も、敷居が高すぎる。
血を分けた父親だと分かっていても、まだ伊佐子としての恥じらいもあるのだ──が、残念なことに父の中では既に決定事項のようだ。
お風呂で一緒に遊ぶ玩具を大量に入手し、更にはベッドに持ち込む抱き枕兼ヌイグルミの準備も万端とのこと。
帰宅後は父の計画阻止に向けて、脳内会議を開かなくてはいけなくなった。
ただでさえ、これから大変な思いをするというのに、余計な負担をかけないでもらいたいと思うが、致し方ない。
回避方法については『祝福』辞退後に検討しようと、心のメモ帳に記しておく。こちらも骨が折れそうだ。
誠一パパは満面の笑みを浮かべ、両腕をわたしに向かって差し出した。
これは抱っこするよ、という意思表示のポーズなのだろうか。
『誠一サマ倶楽部』の面々であれば、男性女性の関係なく、この腕に飛び込んだのであろうか? などと、どうでもよいことが頭に浮かんでしまった。
どうしよう──と、伸ばされた腕をジーッと見つめていると、父は有無を言わさずわたしを抱き上げ、この極上やわらかホッペにチュッと口を付けた。
一週間以上会えなかった愛娘との久々の再会に、とても喜んでいるのだろう。
愛されていることはありがたい。だが、程度を弁えて欲しい。
頬の次には、額に、鼻に、瞼にと父の唇が降ってくる。
白目をむいて倒れそうになるが、これは血を分けた父親だ。
駄目だ。
このままではわたしの口に、ごっつんこの危機到来やもしれん──と焦り、父の唇を両手で覆った。
本当にされるとは思わないが、万が一の為、予防線を張らせていただいたのだ。
「しぃちゃん、これは消毒だ」
父は訳の分からないことを言って、阻止したわたしを悲しそうな表情で見つめた。
チュウはもう嫌だという意思表示に、首をフルフルと左右に振り、ひたすら彼の口を塞ぎ続ける。
諦めた父は、今度はわたしの頭の匂いを嗅いだ後、更にぎゅーぎゅー抱きしめてくる。
濃い抱擁が鬱陶しくなり、誠一パパから逃れようと身体をジタバタさせたが離してくれない。
父から受ける激しいスキンシップを止めてくれないだろうか、と貴志を盗み見るが、彼は微笑ましそうにこちらを見て、何故か頷いている。
駄目だ。貴志は助ける気は全くないようだ。
どちらかというと、この状況を愛で、あまつさえ推奨している気がする。
娘、大好き過ぎるだろう──と辟易するが、程度の違いはあれど伊佐子の父親もこんな感じだったことを思い出し、半ば諦めの境地に至った。
暫くの間、父はわたしを縦抱きにしながら、貴志と話をしていた。
『祝福』の場所と状況、ラシードが触れた部位の確認をされた後、父はわたしの右頬を何度も手で拭っていた。
頬が摩擦で赤くなっている気がする。
──父の愛が……重い。







