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【真珠】絶対熱の『協奏曲』


 石のチャペル『天球館』──わたしは舞台袖から会場を見渡した。

 客席もだいぶ埋まり始めているようだ。


 貴志の姿をチャペル内に探す。

 彼の華やかさは人目を吸い寄せるのか、その居場所はすぐに発見できた。

 加山と咲也と並んで座っているようだ。

 よく見ると、貴志の隣には何故か紅子もいた。


 貴志は噂になっている『綾サマ』こと咲也と、愛人疑惑の柊紅子に挟まれて、かなり鬱陶しそうな表情だ。


 目立つグループなので、周囲の目が彼らに集まっているのがここからよく見える。珍しく加山が苦笑している様子も分かった。


 彼等の二列前の席に、涼葉と穂高兄さまがホテルスタッフの黛さんと共に座っていた。

 紅子が「今日は一日ベビーシッターサービスを活用する」と言っていたことを思い出す。


 涼葉は既に舞台に集中しているのか、あんなにべったりだった兄に対しても関心が薄れているようだ。


 兄は静かに目を閉じて、涼葉の隣に着席していた。


 わたしと晴夏の協奏曲は、本日最終日・午前の部で演奏予定が組まれている。


『クラシックの夕べ』と銘打ってあるが、最終日だけは終日演奏会が開かれるため、飛び込み参加者は午前中もしくは昼過ぎの時間帯に発表するのが殆どだ。


 最初の演目は、婦人合唱団のコーラス。

 わたしはその歌を舞台裏で聴きながら、バイオリンの確認を始める。


 晴夏は静謐を湛えた瞳で、ここではないどこか違う場所に意識を飛ばしているような気がした。


 集中力が途切れないようイメージトレーニングをしているのかもしれない。


 伏し目がちの眼差しが、どこか高貴な氷の花を思わせる。


 けれど、その氷の内側に見え隠れするものの正体が、わたしには未だ判別がつかずにいるのだ。


 わたしは彼の集中の邪魔をしないよう、できるだけ静かに順番を待った。


 紅子の部屋で衣装準備が終わった後、わたしの足を竦ませた彼の眼差しは何だったのだろう?

 彼の演奏は、昨日までのリハーサルと何が違うのか?


 あの後、一度室内楽室で軽く一曲を通した。

 本番に最高の演奏をするため、ウォーミングアップを兼ねて軽めに流すよう合奏したのだが、いつものリハーサル演奏とは違い晴夏の心が読めなかった。


 何かを秘めている──それだけは理解できた。けれど、それを顕在させるのはステージの上──本番の演奏でだ、と彼の眼差しがそう語ったような気がした。



          …



 チャペル内にアナウンスが流れ、晴夏を先頭にステージに上がる。次いでわたしが、そして最後に理香が舞台に登場する。


 多くの人たちから拍手で迎えられ、三人揃って深々と礼をとった。



 『ふたつのバイオリンの為の協奏曲』


 作曲家は『音楽の父』と呼ばれるヨハン・セバスティアン・バッハ──当時、音楽家としてはその子供達のほうが遥かに人気を博していたのだが、現在では多数の音楽家を排出したバッハ一族の中でも『大バッハ』と別称されるオルガニストでもある稀代の作曲家。


 彼の手によって生み出されたこの協奏曲は、荘厳かつ重厚な旋律を精緻なポリフォニーで表現し、第一及び第二バイオリンが語りかけるように旋律を作り上げていく。


 多重奏においてはファーストバイオリンが主軸を成す場合が多い中、この曲はお互いが対等に音色を紡ぎ出し、ひとつの荘厳なタペストリーを織り上げるべく神秘的な調べを生み出す。



 調弦を済ませた晴夏が目を閉じて深く息を吸い込み、それをゆっくりと吐き出した。


 彼はわたしに視線を合わせてから、次いで理香にアイコンタクトを送る。


 その瞳に息づく光が、静かに揺らめいているかのように見えた。


 バイオリンを顎と肩で固定し、弓を構える。


 彼の心の準備ができ次第、演奏開始だ。


 わたしも理香も、彼の一挙手一投足に全神経を集中させる。


 緊張感がチャペル内を支配した、その時──晴夏の鼻から短い吸引音が生まれ、初音が紡ぎだされた。


(──え!?)


 音が──彼の爪弾く音色にのせた心が、いつもの彼とはまるで違う。


 晴夏が常日頃奏でていた音色は、まるで天上の世界を描きだすかのように高潔で、どこか神秘を纏った幻想的な調べだったはず。


 けれど、これは──


 彼の独奏と理香の伴奏だけで織りなす最初の四小節。

 晴夏のかき鳴らす音を耳にした理香の伴奏が、歓喜でうち震えるのが分かった。


 こんなにも情感のこもった音を、彼は生み出すことができたのか。


 音楽に対する愛情を一音一音に込め、演奏していたのは勿論知っている。けれど、これはそれだけではない。


 奏者同士の心の繋がりを、より深く求める音色だ。


 今までの、どこか遠慮のあった演奏ではない。

 わたしの心の深淵を手繰り寄せるような、求めるような、そんな音の連なりだ。


 ゾワリとした高揚感が身体全体を駆け巡る。


 わたしは、晴夏が向けた心の結びつきを(こいねが)う演奏に、気持ちの昂りを感じた。


 取り込まれる?

 足が竦む?

 奪われる?


 そんな些末なことに、わたしは何を怯えていたのだろう。


 ──それならば、こちらが喰らいつくせばいいのだ!



 彼の音色を、この手で搦めとろう。

 彼の心を奪い、本気の音色をぶつけよう。



 奪われるのではない。


 奪うのは──わたしだ!



 ああ、なんという好機。


 ひとりの音楽家が『化ける』──その瞬間を、今、目の当たりにしているのだ。


 理香の音色も変わる。


 わたしも彼の心を手繰り寄せなければ。

 ──彼は、今まで出し得なかった本気の音色で、わたしに向かってきたのだ。


 心の深い場所に繋がることに遠慮のあった彼が、今、それを克服し、更に奥深くへと渇望するかの如く手を伸ばしている。



 音楽を愛する者として、彼の果敢なる挑戦を受けて立たねばならない。



 この沸き立つ思いに、知らず口角が上がるのを感じた。


 わたしの本気の音色が──いや、わたしの心が欲しいのならば、もっと丸裸になってかかってこい!



 晴夏の渾身のソロを受け、わたしは五小節目トゥッティを全身全霊で迎え撃つ。



 初音をはじき出した瞬間、晴夏はほんの少しだけ、驚きと戸惑いの感情を見せた。


 彼は今まで見せたことのない表情で苦笑いし、複雑な光をその双眸に表した。


 ──が、次の瞬間には苛烈なまでの輝きへと、その惑いの光は完全にすり替えられていた。



 お互いの音色を求め、心を手に入れるため──まるで攻防にも似た共鳴が教会内を渡る。


 晴夏と見つめ合い、お互いの心を重ねていく。


 第一バイオリンのソロに流れ着き、わたしは更に彼の本気を呼び覚ますべく情熱の音色を響かせる。


 心をよこせと訴え、高らかな調べで晴夏を誘う。



 本来の高潔で荘厳な協奏曲ではなく、もっと人間味を帯びた本能を呼び覚ます旋律をぶつけ合う。

 


 彼はわたしの本気の音色を真摯に願い、わたしは彼の最上の音色を熱望する。



 厳粛な旋律のこの曲だからこそ、否応なく分かる。

 聴く者の耳に、お互いの真実の音色を求める様子が伝わるのだ。


 演奏に没頭し、晴夏の息遣いを近くに感じる。


 二人の心がいつしか溶け合い、一対の眩い輝きに変わる。


 お互いを重ね、もう求める必要もない程ひとつになった魂が、この音色を生み出しているのだ。


 晴夏は既に無心だ。ただ只管、己の最上の音色を求めて爪弾いている。




 晴夏の瞳に青白い陽炎(かげろう)揺蕩(たゆた)う。




 ああ、誰が彼を絶対零度の『氷の王子』などと例えたのだろう。




 そんなもの、彼の本質の訳がない──


 彼はそんな生易しい存在なんかじゃない。


 氷の花のように見える静謐さは、彼の上辺の姿でしかない。




 透明度を増したグレイシャーブルーの内に、まごうことなき炎が揺らめく。




 彼は、碧き氷に擬態した──火焔だ。




 絶対熱の情熱をその身に秘めた、灼熱の蒼き劫火。




 おそらくそれが──



   『鷹司晴夏』の本質だ。














『ふたつのバイオリンの為の協奏曲』


普段は、Julia FischerのCDを聴いています。

彼女のBach Doubleは、スピード感と情熱を感じます。

https://youtu.be/1qy1UWNX6xc


大御所Itzhak Perlman氏とIssac Stern氏のBach Double、とっても素敵です。こちらは悠然とした雰囲気です。

https://youtu.be/vesrqFeq9rU



https://youtu.be/ILKJcsET-NM

現在一般的に使用されているモダン弓とは違うバロック弓を使用した演奏です。持ち方もバロックスタイルで、珍しい動画なのでリンクをつけます。この協奏曲も美しく余韻が残ります。



グレイシャーブルーは、ロス・グラシアレス国立公園 スペガッツィーニ氷河のイメージです。





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『くれなゐの初花染めの色深く』
克己&紅子


↑ 二十余年に渡る純愛の軌跡を描いた
音楽と青春の物語


『氷の花がとけるまで』
志茂塚ゆり様作画


↑ 少年の心の成長を描くヒューマンドラマ
志茂塚ゆり様作画



『その悪役令嬢、音楽家をめざす!』
hakeさま作画


↑評価5桁、500万PV突破
筆者の処女作&代表作
ラブコメ✕恋愛✕音楽
=禁断の恋!?
hake様作画

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