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第八十九話 投降勧告

 大砲がジルコニア軍の砦を囲む壁に着弾し、轟音が響く。


 降り注ぐ雨の中、炎は燃え広がりはしないが、黒煙が曇天の空へと上り、敵兵たちの混乱する声が聞こえてくる。


 俺は砦の南側を迂回して東に向かい、敵の見張りからの視線を遮ることができる場所までやってきた。砦を作るときに森をある程度切り開いたようだが、一部がそのまま残っていたことが幸いした――途中で木材の切り出しが必要なくなり、放置されたのかもしれない。


 事前に話していた通りに、もうすぐ軍船に乗り込んでいたプレシャさんが馬を走らせ、レスリーとノインを乗せて到着するはずだ。


 プレシャさんの馬が、雨の中を走って近づいてくる――ノインの水精霊魔法で姿を隠しているが、俺は植物の声を聞くことができるので、草原を駆けて近づいてくる彼女たちのことも分かり、何者かと警戒することはなかった。


「っ……先生、無事で良かった。あたしたちもやれるだけのことはやったよ。今もディーテさんが、船に乗り移られないように距離を取って水の上から攻撃を続けてる。レスリーの魔法が持つ限りは、火薬の武器が使えるから」

「空気を乾燥させる魔法は、私がその場を離れても持続させられる」

「さすがね……グラス様の第一の従者として、目覚ましい働きをしてくれたわ」


 ノインはこの作戦において一番大きな貢献をしているが、それでも彼女の表情は明るくはない。


 水魔法で軍船の姿を隠し、奇襲を行った。それでアレハンドロは、ノインがこちら側についたことを察知しただろう。


 戦術の要だっただろうノインを失ったことを知れば、彼が考えることは、ノインを是が非でも連れ戻そうとするか、もしくは――ノインを憎悪の対象と見るかのどちらかだ。


「ノインがいなかったら、この作戦は成り立たなかった。殿下たちの本隊が、完全に雨に紛れてる……ノインの幻術で、全軍が伏兵になってるようなものだね」


 プレシャさんの言葉に、ノインは頷きを返す――その顔色が、いつもより青ざめて見える。理由は一つ、広範囲に及ぶ幻術の維持で失われる魔力が大きすぎるからだ。


「ノイン、魔力の消耗が大きすぎる。魔力結晶を使った方がいい」

「いえ……もうすぐ本隊から合図が出るはず。それまで持たせることができれば、それで私の役目は……」

「……無理しないで、使って。ここで倒れたりさせるわけにはいかない」


 レスリーがポーチから魔力結晶を取り出そうとする。彼女の魔力を溜めたものでも、ためらいなく人のために差し出せる――そんなところを、俺は率直に言って尊敬している。


 昔から素っ気ない態度で淡々とした人だと誤解されやすいが、レスリーは心根から優しい性格だ。


 だから、心配にもなる。レスリーは俺がはずれの精霊を引くと言ったことを、まだ引きずってしまっている節があるから。


「……今結晶を使ったら、そちらの魔力が優先して使われてしまう。だから、私の魔力が枯渇するまでは……」

「――ノイン、本隊からの合図だ! 敵の砦の門を破ったら、幻術を解くようにと知らせてきてる!」


 この作戦の要諦は、正面からの衝突を避け、いかに敵軍を降伏に導くかにある。


 幻術を解いたとき、砦がすでに包囲されていることに気づいたら――敵の動揺は大きく、戦意も大きく失われるはずだ。


 そして敵を揺るがすための鍵となるのが、正門を打ち破る破城槌。普通なら移動に時間がかかるそれを可能な限り高速で移動させるために、破城槌を運ぶ木の車の部分に精霊魔法で干渉し、馬が引く戦車のような速度で走らせてきた。それがたった今、敵の砦の正門に撃ちつけられ、数度の激突で押し破った――悲鳴にも似た敵兵の声が聞こえてくる。


「……アプサラスよ。幻の霧は晴れ、汝の舞いは……終わり……」

「っ……危ない。魔力結晶っていうのを使いなよ、あんたがここで動けないと背負ってくことになるよ? あたしはそれでもいいけど」


 ノインが幻術を解いた瞬間に脱力し、プレシャさんに支えられる。魔戦士であるプレシャさんの力ならノインを運ぶくらいはわけもないのだろうが、魔力が枯渇した状態ではさまざまな不調が生じるので、回復する以外の選択はない。


「……少しだけ分けてもらうわ、レスリー」


 レスリーが頷くと、ノインはこともあろうに、服の襟を緩めて、胸元に魔力結晶を差し入れる――確かに心臓に近い部位の方が吸収されやすいのだが、何となしに見ていた俺は不意を突かれて、下を向くしかなくなってしまう。


「……ありがとう、これで十分よ。ごめんなさい、グラス様、見苦しいところを見せてしまって」

「いや、そんなことは……」

「ノインはちょっと狙ってる感じがするから、グラス先生は謝らなくていいよ」

「狙っているというよりは、グラス様には何も隠したくないと思うだけよ」


 そう言われてもどう反応すればいいのかと思うが、レスリーがじっと見ているので、少年のようにこういう事柄に反応するのは卒業しようと心に誓う。


 レスリーは俺を牽制したあと、ノインから返された魔力結晶を見て目を見開く。思った以上に、蓄積した魔力が減っていない。


「もっと使って。また魔法が必要になるかもしれないから」

「……生き残れたら、私に魔力結晶の蓄積を任せてくれる?」


 ノインはもう一度魔力結晶を受け取り、さらに魔力を吸収する――残量はもう多くはないが、レスリーが貯めておいてくれたおかげで本当に助かった。魔法士が三人になったので、魔力枯渇については早いうちに対策を打たなくてはいけない。


「その結晶って、ノインは持ってないの? 宮廷魔法士なら必須のものなんじゃないかなって思うんだけど……素人考えだけどね」

「私が持っていた結晶は、没収されてしまったのよ。魔法士を戦術に組み入れようっていうのに、ジルコニアでは手に入らないからといって、彼らは私の忠誠の証として求めてきた……『白い鴉』なんて言っても、勝つことに執着するだけが能の男よ」

「……それだけ、魔法士のことが良く分かってなくて、利用価値があるとだけ思ってるんだと思う。今回は、そこがつけ目になった」


 レスリーは冷静に状況を分析する。俺もその通りだと思う――戦場においての冷静さという点では、俺が言うのもなんだが、彼女はとても頼りになる。


 だからこそ、俺が守らなくてはと思う――『レンドルさん』としてのレスリーの振る舞いは護衛そのものだったので、彼女が俺を守るという気持ちでいるのだと思うが、その気持ちに甘え続けるわけにもいかない。


「レスリーの言うとおり、魔法を使った作戦に相手は翻弄されてる……この戦いは、もうあたしたちの勝ちだよ。三人は、後方に退避した方がいい」

「まだ敵が何かを仕掛けてくるかもしれません。可能な限り状況を見させてください……魔法で打開できる局面になったときに動けなければ、ここに来た意味がありません」


 プレシャさんは言葉に詰まるが、即座に否定することはしなかった。


「……これから、包囲に対して相手がどう反応してくるか。もし降伏するようなら、あたしたちは動く必要がない」

「徹底抗戦ということであれば、激しい衝突が起きることになるわね……」


 ノインが口にするような可能性も、十分にありうる。そうなったとしたら、殿下は砦の中に攻め入ることになる。敵将を捕らえる、あるいは討つことまでが目標となるだろう。


(……そうなれば多くの兵が死ぬ。完全に包囲され、壁も破壊された。この状態でもなお、戦おうとするものなのか)


 プレシャさんが馬に騎乗し、先行する――俺たちはその後に続いて林から出ると、砦の正面側を伺う。聞こえてくるのは、砦一帯を揺るがすようなラクエルさんの大喝だった。


「ジルコニア帝国軍に告ぐ! この砦はすでに包囲されている! 無益な死者を出したくなければ、速やかに武器を捨て投降せよ! さもなくば貴君らの退路を断ち、破壊した正門より侵入、制圧を行う!」


 ラクエルさんの勇姿を、馬に乗ったプレシャさんが見ている。その横顔には憧れではなく、同じ武人に対して抱く畏敬があった。


「アスティナ将軍は、貴君らとの対話を望んでいる! 応じるならば降伏旗を掲揚するか、その旨を我が軍に知らせよ! 繰り返す!」


 ――二度目の宣告を終える前に、兵たちの空気が変わる。


「……旗が……上がった……」


 プレシャさんが呟く――その視線の先で起きたことが、信じられないというように。


 ジルコニアの砦に、白い旗が上がる。櫓の上の兵士が、命を受けて柱を立て、こちらに見えるように掲揚したのだ。


 しかし砦を囲う壁の上にいる敵の射手たちは、まだ武器を捨てたと確認されていない。

いつでもこちらに矢を射掛けられる状態だ。


 ――まだ、予断を許さない状況。俺は万一の可能性を断つため、本隊にいるアスティナ殿下の指示を仰ぐことを考える。


 神樹との契約を介して、俺は離れていてもアスティナ殿下と意志の疎通を行うことができる。彼女は俺が呼びかけると、答えを返してくれた。


『敵は白旗を上げ、私達を油断させようとしているのでしょう。グラス、あなたには弓封じの魔法がありますから、もしもの時に備えてもらえますか。プレシャと共に遊撃隊として動いてください』

『殿下、弓封じは敵の弓が木製である場合しか有効ではありません。もし敵が金属の弓矢を使っているなら、精霊魔法での干渉はできなくなります』

『わかりました。では、あなたたち魔法士については前線に出ず、魔法が有効な局面と判断したら、適宜使用してください。範囲が大きいものについては、事前に知らせてくれると助かります。兵たちが混乱する恐れもありますから』

『はい、承知しました。殿下、くれぐれもお気をつけください』

『あなたたちも決して無謀をしてはいけません。ここまで無傷で来たのですから』 


 殿下はアレハンドロが何かを企んでいることは予測できても、その内容までは断定できていない様子だった。神樹の神託は、常に未来を確定して予測できるものではないということだ。


 破城槌で破壊された砦の正門から、敵兵たちが手を上げて出てくる――彼らが戦意のないことを示すと、まずブリジットさんの騎兵隊と歩兵たちが砦へと入っていく。


 敵将アレハンドロが直接対話に応じるとの返答があったのは、それから間もなくのことだった。

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