第五十三話 大義
運河を渡って国境を越え、ジルコニアの拠点を攻撃するという殿下の指針は示された。
しかし幾つか気になる点はある。この要塞の状況を知っていて、本当に王都の軍本部は、有効な手を打とうとしなかったのだろうか。
「我が国には、ジルコニアを攻める大義があります。アイルローズ要塞が造られてから、一度もこちらから領地を侵したことはありません。ジルコニアからの侵入がどれだけ繰り返されてきたかは、皆も知っての通りです」
「……しかし……守るよりも、攻める方が危険は大きい。運河を渡って水を背負った我が軍を、敵が大軍で迎撃してきたら……」
攻撃隊長のうち一人は、無礼であると知りつつも、殿下に意見せずにはいられないようだった。隣りにいるもう一人が制しようとしているが、行動には移せていない。
「本来なら、王都とこのアイルローズ要塞の間に中継点を作り、そこに二千から三千の兵を駐留させてもらうべきでしょう。しかし、私がこの要塞に赴任してから中央に出した要請は、ほぼ認められていません」
「っ……そ、それでは……すでに、現在の状況として、この要塞は……」
「……使いに出した者が、王都から帰らなくなっています。私の発言が国王陛下に届く前に、握りつぶしている者がいる。しかしそれを声高に言えば、それこそ反逆だと指摘して、より状況は悪くなったでしょう」
王位継承権の問題で第二王妃から不遇の扱いを受けても、何も言わずに国を守る――そんなアスティナ殿下を、騎士団員たちは尊敬して従い、命をかけてきた。
しかし、それにも限度がある。国の中枢に、この騎士団に敵する者がいる――それをいつまでも放置していれば、犠牲が生まれる。
「ブリジット、あなたは元々近衛騎士を目指していましたね。陛下に仕えることが夢だったあなたにとって、今回の私の判断は受け入れがたいことかもしれません。しかし、信じてほしいのです。私に陛下を裏切るつもりはありません。西方領がこれからもレーゼンネイア王国の一部であり続けるために、騎士団の務めを果たそうとしているのです」
「……アスティナ殿下……いえ。アスティナ将軍……大変失礼いたしました。一介の剣兵にすぎない私を見出してくださった恩を忘れ、簡単に心を乱し……この度の生き恥は、然るべき戦いののちに、私自らの剣で……っ」
「それが、考えが足りないって言うんでしょ。あたしに言われてたら世話ないよ」
「くっ……わ、分かっている。しかし、他に責任の取りかたが思いつかない……」
「思いつかないなら教えてあげますわ。殿下に改めて忠誠を誓う、それができないというなら、飾りの剣を置いて田舎に帰りなさいな」
ブリジットと呼ばれた攻撃隊長に、ディーテさんが痛烈な言葉を浴びせる。ラクエルさんが手を上げ、それ以上の言葉を制した。
「ブリジット、おまえにはクロエ、ソルファと共にこの要塞を守ってもらう。今回の作戦においては、一部の選抜者のみが河を渡り、敵地に潜入する」
「っ……わ、私どもに、この要塞の守備を……ラクエル騎士長自ら、河を渡られるというのですか……!?」
「そうだ。私とプレシャ、そしてディーテは、グラスに教えてもらったことだが、戦いに魔力を使えるという。殿下も同じだ……これは、殿下が望まれたことなのだ。多くの兵がぶつかり合って死者を出すより、少数で戦局を変えることができるのなら、そうするべきだと」
「敵が拠点に置いている兵力によっては、私たちだけで拠点の機能を停止させることは難しくなります。最初は敵に悟られず、河を渡る術を模索するつもりです。向こう側に密偵を送るにしても、必ず生き残れる者がその役目を務めるべきでしょう」
それができるのは、ラクエルさん、プレシャさん、ディーテさんということになるが――騎士長、攻撃隊長が自らというのはリスクが大きい。
危険を感じたとき離脱の一手に徹すれば、一般兵と比べた生存率の高さは比較にならないのだろうが、万一であっても危険を冒すべきではない。
そのために必要なものは、ジルコニア軍の情報だ。それを俺たちは、現段階で得ることができる。
「アスティナ殿下、発言してもよろしいでしょうか」
俺が挙手すると、その場にいる全員の注目が集まる。ここで臆していても何もならないので、俺は殿下の顔だけを見て許可を待った。
「……グラス、敵地に少数で潜入する以外に、情報を得る手段があるのですか?」
「はい。ディーテさんの部隊が、昨夜工作を仕掛けてきた敵兵の生き残りを捕虜にしています。矢を受けて失血が大きかったため、昨夜は尋問をしませんでしたが、彼が敵の拠点について情報を持っている可能性は高いと思います」
俺の発言に最も反応したのはプレシャさんだった。俺を見る目は輝いて、まるで宝物でも見つけたかのようだ――軍議の場なので、そんな顔をしてはいけないと思うが。
「そ、そうです、殿下……! グラス先生なら、どんなに口が堅い捕虜でも、絶対に情報を引き出せる。そうすれば、きっと打つ手も見つかります!」
「……そ、それほどに、拷問が上手いというのか……優しそうな顔をしているわりに、人は見た目によらないものだな……」
「ブリジット殿、勘違いしてるみたいだけどそれは違うから。先生は相手を苦しめたりしないで情報を引き出せるんだよ」
プレシャさんは我がことのように誇らしそうだった。その様子を見てブリジットさんもそうだが、もう一人の攻撃隊長のクロエさん、射手長のソルファさんも、俺に対して認識を改めてくれたようだ。
アルラウネの花粉による催眠も、加減を間違うと相手に後遺症を残してしまうので、万能というわけではない。しかし苦痛を与えて情報を吐かせるよりは、ずっと確実だ。
「……グラス、私も捕虜の尋問に立ち会って良いでしょうか。先日同席せず、こんなことを今さら言うのも、良くないとは思うのですが」
「い、いえ……殿下がご希望されるのであれば」
「では、私たちは要塞近辺を巡回してまいります。ブリジット、クロエ。おまえたちに今後指揮を預けることも考えられるゆえ、心得を説く。同行せよ」
「「はっ!!」」
「私たちは一度城壁に上がります。ソルファ、行きますわよ」
「は、はい……ディーテお姉さま……」
ラクエルさん、そして隊長たち四人が退出していく。円卓の間に残ったアスティナ殿下は側近に言付けをしてから、プレシャさんと一緒に俺のところにやってきた。
「尋問を終えたら、あなたに相談したいことがあります」
「それは……殿下、神樹のことを覚えていてくださったんですか」
「勿論です。本来なら、今要塞を離れるべきではないと思います……しかし、先送りにもできない。ならば今、神樹のもとを訪れるべきだと考えました。戦いの中で意識を失う可能性も、否定できませんから」
殿下は、もう心を決められている。今日、神樹のもとに赴くのだと。
ラクエルさんたちが、きっと留守を守ってくれる。そんな俺の思いを感じ取ってくれたのか、プレシャさんも力強く頷いてくれた。




