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第三十一話 神樹の化身

 押し寄せる瘴気の奔流の中で、俺は前に進もうとする。


 魔力結晶が枯渇し、俺自身の魔力で瘴気を防がなくてはならなくなる。すると、意識が刈り取られるように暗くなっていく――次第に、何も見えなくなる。


(だが……ここで諦めたら、この大樹は死んで、周辺の土地は枯れてしまう)


 巨大な樹――俺は、この樹がどんな種類であるのかも知らない。


 俺が生まれた大陸は、まだこんなにも未知の植物で溢れていた。


 いつか治すことのできない病が無くなるように、薬となる可能性のある植物を、一つでも多く見つけ、研究したかった。


 ――それは、この大樹も同じだ。


 俺は、この大樹を癒したい。かつてこの大樹を中心として広がっていただろう、緑豊かな楽園を、この目でもう一度見てみたい。


 学院の中庭で、静かに死を待っていたじっちゃんが、俺の呼びかけに応えて、治療を望んでくれたことを思い出す。


 治せない病などない。絶望が死に至る病なら、一縷の望みが全てを変える力になる――だから。


「――俺が……俺が絶対に治してみせる! 約束する……だから、俺の話を聞いてくれ! 俺の一生を、あなたを治すために使う……っ!」


 瘴気が、惑いを示す。


 荒れ狂う怒りと、そして俺を遠ざけようとする力が和らいで、一歩、また一歩と前に進む。


 ――それでも、視界は暗闇に閉ざされたままで。


 前のめりに倒れかけたとき、俺は後ろから、誰かの腕に抱きしめられた。


「グラス様……っ、貴方が前に進むのなら……私は、少しでも先に進むために、道を作る……っ、この身に変えてでも……!」


 レンドルさんの声が聞こえる。出会ったばかりの彼が、俺に付き合って命を賭ける必要などない。


 それでも、後ろから支えてくれる腕が、とても心強く感じたから。


 俺は倒れることなく踏みとどまり、前に進む。もうすぐで、伸ばした手が、大樹の幹に触れる――そして。


 全ての魔力を失った瞬間、俺の意識は現実から切り離された。


   ◆◇◆


 大樹に触れることができたのかも分からないまま、俺は意識を失ったはずだった。


 目を開けると、俺は地面にうつ伏せに倒れていて、眼前には緑の草が生えていた。


 灰色に変わった土の上を歩いていたことのほうが、夢だったのかと思った。緑の草に地面を覆われた光景が、これほど心安らぐものなのかと思う。


 身体を起こすと、現実の風景ではないと思っていた、あの日の幻と同じ森の広場が眼前に広がっていた。 


 小鳥が歌い、木々の葉擦れが聞こえ、空からは惜しみなく陽光が降り注ぐ。


 そして、眼前に立つ大樹――青々と葉を茂らせ、その葉からは朝露がこぼれて、澄み切った空気の中に光の軌跡を残す。


 そのひとしずくを、両手で受け止めるのは。


 光をそのまま糸にしたような髪を持つ、人の姿をしながら、人を超えた美しさを持つ少女だった。


「……君は……いや、貴方は……」


 その姿を見ているうちに、自ずと理解できた。


 植物の精霊の、上位存在――植物の神というべき存在。目の前にいる彼女こそが、神樹の化身そのものだった。


「……我が眷属と話し、通じる力を持つ者よ。なぜ死を恐れずに近づいたのか、それを問いたいがためにここへと呼んだ」


 大樹から聞こえていた声は、男でも女でもないように思えた。しかし、今目の前にいる神樹の化身は、弱々しくも聞こえるが、透き通るような女性らしい響きを俺の耳に届かせる。


 彼女は肌を隠すということに頓着していないのか、身にまとう薄絹は光を浴びると透明に近いほどに透けて、身体の輪郭を浮かび上がらせている。


「俺は……あなたはまだ生きていて、活力を取り戻せると思った。信仰が失われたのなら、もう一度人々が神樹を崇めるようになればいい。なぜ王国が、この庭園を、あなたを放棄したのかは知らない……ただひとつ言えるのは、当時と今は時代が変わっている。あなたのもたらす恵みを、俺たちを含めて、必要としている人が多くいるんです」

「……私は昔、神として崇められていた。王の血を引く者は、私の神託を受けて、周辺との戦に勝ち、支配を拡大させた。しかし……私とは違う系統の精霊たちを操る者が、私の存在を封じようとした。彼らは私が、これ以上神として力を持つことを恐れていた」


 それを聞いた瞬間、俺がずっと疑問に思い続け、それでも従うしかなかった慣習には、理由があったのだと悟った。


 王国に多大な貢献をした大樹の神霊。その影響力が大きくなることを嫌った者たちがいた――植物の神霊が力を持つことを嫌った、元素精霊使いたちだ。


 そして地水火風の精霊使いが台頭し、それ以外は不遇精霊として扱われるようになった。俺も、レスリーも、スヴェンも――元素精霊と契約できなかった生徒たちは、全員が『元素精霊使いより評価されてはならなかった』のだ。


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