二日目 夜
「ジゼルちゃん、これからメシ作るんだろ? 俺も何か手伝うぜ~……って、ありゃ」
「定員オーバーだ」
「えと、ごめんなさい……?」
「いやいや、謝ることねーって! 俺もハンスもタッパある方だし、三人もいたら確かに狭くて動けないもんな。ほかに何か手伝えることあったら声かけてくれよ!」
「何もないからお前は大人しく座っていろ」
「もう、ハンス! ……本当にごめんなさい、ノックスさん。この子、ちょっと人見知りが強いというか、その……」
「確か、シモン? だっけ。そいつが刺されたばっかりで気が立ってるのもあるんだろ? ……いくら俺にはジゼルちゃんに助けてもらった恩があるとはいえ、余所者を警戒したくなる気持ちもわかるから、そう気に病むことはねーよ」
へらっと笑ってフォローを入れてくれるノックスさんの優しさ、プライスレス……! なんて、スマートな気遣いに感動する私の隣では、ハンスが胡散臭いものを見る目をノックスさんに向けながらじゃがいもの皮を剥いている。
『どうせ口だけだろ』とか『良いヤツぶりやがって』とか、いかにもそんなことを考えて良そうなハンスの表情に、この子はもうちょっと取り繕うことを覚えるべきじゃないかしら……と斜め上の感想を抱きながら、ハンスの脇腹を肘で軽く小突いておいた。
ハンスの不躾な反応に、本当なら『私たちは貴方のことを言っているのよ!』と注意すべきなんだと思う。
でも、ハンスのこれは筋金入りで、子どもの頃からどれだけ注意しても治らないもの。
口減らしのために家族から捨てられた、というハンスの過去に起因していることを知っている以上、あまりこちらから強く言うこともできなくて。
ポトフ用の玉ねぎや人参をざくざく切りながら、私はそっと人知れずため息をついた。
――話を終えてから一度は出て行ったハンスだけど、レナードと今夜の動きについて打ち合わせを済ませると、再び私の家に戻ってきた。
当人曰く『ノックスさんの牽制が目的』とのことで、バチルダが犯人だと確定するまで、警戒するに越したことはないと考えている様子。
そのためにも『今夜は私たちと夕食を一緒にとりたい』と頼まれたので、そういうことならと手伝いをお願いしたのがノックスさんに話しかけられるまでの簡単な事のあらましだ。
……とはいえ、正直に言って、ノックスさんが犯人の可能性は限りなく低いだろうなというのが私の印象。
状況証拠はもちろんのこと、本人の主張通り『怪我でボロボロになっているところを拾われ、治療してもらった』という恩が私たち相手にはあるし、同じ屋根の下にいる私ではなくシモンを狙って襲う必要があるのか? という疑問もある。
その点、バチルダは男の人を苦手に思っているというか、嫌っている素振りが多く見られたので、シモンを襲う理由がないとも言い切れなくて――
(……ああ、駄目だな)
あの子が怪しいと思う気持ちばかりが先行してしまって、バチルダが犯人である、という事実の裏付けになる要素ばかりがどうにも目につく。
あの子が犯人じゃない可能性だって、まだ、かろうじて残っているわけだから、本当ならバチルダの無実を証明する要素だって探すべきなのに。
たまたまノックスさんに客間を貸していることにより、人狼ゲームでお互いの無実を証明できる『共有』役職に近い状態なのも相まって、どうしてもバチルダに不利になる見方になってしまうというか……うーん。
「ジゼル、どうした?」
「ちょっと考えごとをね」
じゃっ、じゃっ、とポトフに使う野菜を炒める音が響く中、私の気がそぞろになっていることに気付いたのか、少し屈んだハンスが顔を寄せてきて、何か気になることでもあるのかと声をかけて来る。
……もしも私たち二人だけなら胸中を話しても良かったけれど、あいにくとこの場には今、ノックスさんもいる。
だから私は思考を胸に秘めたまま、あまり気にしないでと笑いかけた。
にしても――今まで気にしたことがなかったけれど、さすがは乙女ゲームの攻略対象。
ハンスって、実はけっこう顔が整っているのね?
アッシュブラウンの髪と瞳に、闇……というか、ちょっと陰の気を感じさせるビジュアル。
ちょっと伏せがちの目や表情の変化の乏しさがアンニュイな魅力を放っていて、身内贔屓を差し引いても文句なしの美形だと思う。
ノックスさんも、ハンスとはまた違った系統の美形なのよね。
ダークグレーの髪に、ちょっと釣り目がちの琥珀色の大きな瞳が特徴で……なんというか、アイドルにいそうなタイプ? の華やかな顔立ち。
この村に元から住んでいる子たちはどちらかというと大人しめだったり、可愛い感じの系統の顔の造形だから、ノックスさんの顔はかなり新鮮な印象を受ける。
こういうところも、ノックスさんはこの村の部外者であり住人とは一線を画している、という伏線だったのかしら? なんて、そんなことを考えていれば。
「……二人がそうして並んでると、仲の良い恋人とか夫婦みたいに見えるよな」
ハンスに台所から追い出され、テーブルについていたノックスさんがふと、そんなことを呟いた。
頬杖をつきながら、ちょっぴりぼんやりとした表情を浮かべているノックスさんを見るのはこれが初めてで、なんだか珍しいな……と考えてしまうくらい、彼は喜怒哀楽の表情の変化がハッキリしている人だった。
だからなおさら、どうしてそんな表情を浮かべているのかが気になるところだけど、それより先にまずはちゃんと訂正しておかなくちゃ。
「まさか。私たちはそんな関係じゃないですよ? ね、ハンス」
「ああ。とても心外だ」
「私にとってハンスは弟のようなものですし、ハンスにとってもそうでしょ?」
「否定はしない。それに、ジゼルにはシモンがいるからな」
「……んんん?」
私たちは相思相愛の仲良し家族なんですよ~とノックスさんに伝えるつもりが、何故かハンスがおかしなことを言い出した件について。
今の言い方だと、文脈的に私とシモンが付き合っているとか、結婚しているとか、そういう捉え方をされてしまうんだけどな?
なのにどうしてハンスはあんなことを言ったのかな?
頭上にポコポコとクエスチョンマークを浮かべながら首を傾げ、ハンスを見上げるものの、肝心のハンスはどこ吹く風。
むしろなんだか満足げな雰囲気をしていると言うか、『やりきった!』という達成感を感じる表情で、私はますます首を傾げる一方という有様だった。……あれー?
「ねぇ、ハンス。確かにシモンは大切なひとだけど、私たち、別にそういうのじゃないのよ……?」
「? ……『まだ』なだけだろう?」
「えっ」
「???」
(ハンスの無垢な視線が私を襲う――!?)
わたわた慌てる私の隣で、ハンスは心の底から不思議そうに首を傾げている。
……えっえっ、お願いだから待ってちょうだい。
私、あくまでもシモンとは家族の距離感でしか接していないはずよ?
ハンスやレナードやデリーとだって、シモンと同じ距離感で接しているつもりだし、そこに差なんてないのよ? 本当なのよ……?
(それがどうして、そんな誤解を生む事態になっているのかしら!?)
おめめぐるぐる、あたまもぐるぐる。
驚きすぎて、混乱しすぎて、今の私を表すならまさにそんな感じ。
「……少なくとも、ここにいるヤツらは皆その認識だと思うが」
「嘘!?」
そこへさらに追い打ちをかけられたものだから、愕然とした私が悲鳴のような声を上げてしまったのも致し方なし、というか……。
なんだろうこの、『親友に兄(ないし弟)と恋人や夫に間違われた』みたいな感覚。
実際には家族も同然の人で、それでも無理に別の言葉に当てはめるとしても『気の置けない男友達』と称するのが適切なんだろうけど、それがどうして恋人や夫婦と間違えられることに……???
「ふーん? つまり、ジゼルちゃんは誰かと交際してるわけでもなければ、特別誰か好きなヤツがいるってわけでもないんだ?」
「そう! そうです!!」
「『今は』な」
「だからなんでハンスはそう私たちをくっつけたがるのよ……!」
にこにこしながら正しく状況を読み取ってくれたノックスさんだけが私の味方です!!
そんな気持ちから食い気味に頷けば、すかさずハンスが口を挟んできて、あの、どうしてそうなっちゃうの……??
私たちは本当にそういう関係じゃないのに、本気で私は否定しているのに、がるがるとノックスさんを威嚇(?)しているハンスにはどうやら暖簾に腕押し、糠に釘。
つまりは何を言ってもなしのつぶてということで、こちらの言い分をハンスに聞き入れてもらうことができず、私はますます困惑を深める一方というわけだった。……なんでぇ!?
一向に勘違いをやめてくれる素振りの見えないハンスに私が頭を抱え、半ば躍起になって否定する……というトラブルを時々挟みつつも、三人での夕食はそれなりにつつがなく終えることができたのではないかな、と思う。
ちなみに夕食のメニューはデリーが今朝、村を出る前に仕込んでおいてくれたバターロールにコケモモのジャム、大きめに切った野菜とブロックベーコンがごろごろ入ったポトフという一見すればとても簡素な献立だ。
とはいえ、これでも一応、お客さんがいるからと思ってかなり奮発した(当社比)豪勢なメニューなんだけどね……。
私一人なら適当にパンとミルクだけで済ませてしまうこともしょっちゅうだし、ちゃんと作るにしても量が少ないし、ブロックベーコンなんてなるべく薄く削ぐようにして使っているところなのでね。
ベーコンを分厚く切って使っているだけで、私としてはとても豪華な食卓な気がしています。
私の料理を食べ慣れているハンスは当然、文句ひとつなくペロリと平らげてくれたし、ノックスさんもパクパクとものすごい勢いで――胃がブラックホールなんじゃないかと思うほどモリモリ食べた。そりゃあもうよく食べた。
明日の朝の分も少し残るかな、と思うくらいにはたくさん作っていたポトフが綺麗さっぱりなくなったし(最後の方なんて寸胴鍋を抱えて食べていた……)、それだけ食べてもまだ物足りなさそうにしていたので作り置きのザワークラウトを出したところ、それすらもペロッと全部食べてしまった。
これには私もハンスも本当にびっくりして、あの細い身体のどこに吸い込まれていったんだろう……と真面目に考え込んでしまった。
……行き倒れているところを拾ってから数日、ノックスさんは熱を出して寝込んでいた期間があったので、昨日までの食事はなるべく消化に良いものを提供していた。
それも、体調を崩しているんだからと思い、用意した食事はあまり量は多くなかったんだけど……実はノックスさん、私が提供していた食事では全然足りていなかったのでは……?
ノックスさんを拾ってから一週間、ようやく知った事実に申し訳なさで打ち震えた私は、明日の食事も頑張って用意しようと一人決意した。
いやだって本当、今日の食事量に比べたら昨日までの食事量なんて雀の涙過ぎて土下座レベルなんだもの……。
なんなら五体投地しろって言われても仕方ないくらいだし、ノックスさんには平身低頭、謝罪と誠意を示すしかない……。
「明日の朝は、パンの付け合せにカリカリベーコンと目玉焼きを用意しますね」
「マジ? やりぃ!」
「……ジゼル、卵は足りるか? 足りなければうちにある分も持ってくるが」
「大丈夫よ、シモンとデリーの家にある分を使うから。……二人がすぐに戻ってこられるかわからないし、腐りやすい食材は早めに使っておかないとね」
自然とそんな会話が出てくるくらいには、ハンスにとってもノックスさんの脅威の食べっぷりが衝撃だったみたい。
おかげさまでハンスもいい感じに肩の力が抜けたらしく、ピリピリとした肌を刺すような警戒心がほんのり緩んで、刺々しい雰囲気もだいぶ緩和されたように思う。
ハンスが後片付けをノックスさんに任せて、シモンとデリーの家まで卵の回収がてら食材の在庫確認に行ってくれたのが何よりの証拠だった。
「なぁ、ジゼルちゃん」
「どうしました、ノックスさん?」
「言うのがすっかり遅くなっちまったんだけど……俺のこと、助けてくれてありがとな」
カチャカチャと音を立てながら私が食器を洗い、ノックスさんが洗い終わった食器の水気を布巾で拭いて、最後に戸棚に片付けるのは二人で。
最初にそう役割分担を決めた私たちは、好きな食べ物の話とか、得意料理の話とか、なんてことない雑談をしながらせっせと手分けして片付けを進めていた。
そのさなか、感謝の言葉と共に照れくさそうに笑ったノックスさんに、思わずドキリと私の心臓が跳ねる。
……いやその、別にときめいたとか、そういうのじゃなくてね?
見慣れない美形の笑顔――それもかなりのレア枠と思しき照れ笑いを至近距離で直視したせいで、心臓が過剰反応してしまったというか、うん、ただそれだけなの。
前世は悲しいかな恋愛経験が皆無だし、今世も今世でこの村の住人以外との関わりをほとんど断っているばかりに、私の恋愛偏差値が底辺を這っているせいで過剰反応しているだけなの……本当よ……。
「そんな、気にしないでください。私がノックスさんを見つけたのはまったくの偶然ですし、貴方を介抱したのも私がやりたくてやっただけ。言うなれば善意の押し売りみたいなものなんですから、お礼を言われるようなことは、何も」
「うーん……ジゼルちゃんにとってはそうかもしれないけど、俺にとってはそうじゃなかったからさ。あの時は本気で死ぬかもって思ってたし、……俺が誰かに助けてもらえる日が来るなんて、考えてもみなかったんだよ」
ぽりぽりと頬を掻きながら、へら、とノックスさんが笑う。
……その笑顔はほんのりと陰がかかっていて、どこか元気がないように見える、なんとも力のない笑みで。
ほのかに不穏さを感じさせる弱気な発言も相まって、『やっぱりこの人も俗世で傷ついてここに辿り着いたんだな』と、そんな感想を抱いた。
【月影に花は咲く】というゲームでは、攻略対象のルートによって登場人物の配役が変わるため、必然的に登場人物の過去の経歴も変動するという特殊性があった。
ただでさえ原作がそういった仕様なのに、私が今生きているこの世界では『ヒロインが襲撃者である』というイレギュラーが発生しているため、ノックスさんがどういった過去を背負ってこの村に辿り着いたのか私には想像がつかない。
故郷が人狼に襲われて命からがら逃げだしてきたのかもしれないし、狂人として――村人陣営の裏切り者として人狼に与したことで故郷を追い出されたのかもしれないし、人狼を恐れて各地を放浪するうちに、あるいは別の村を同胞たちと滅ぼして次の標的を探すうちにこの村に辿り着いたのかもしれない。
はたまた、今までに並べ連ねた世界線とはさらに別の可能性を経てこの村にやって来たのかもしれないけれど、ノックスさんが語らない以上、それを私が知る術はない。
(でも――)
ノックスさんが浮かべた、寂しそうな笑顔。
それがいつかのシモンと重なって、この人も優しい彼のように傷ついているのかもしれない、なんて思えて仕方がなかった。
だって、私が見つけた時の彼は、本当に傷だらけのぼろぼろで。
虫の息にも等しいくらい、弱り切っていたことを私はおぼえている。
……ノックスさんの年齢はきっとハンスたちと同じか、それより少し上くらいだから、本当ならこんな感想を抱くのは失礼なんだろうけど。
弱々しい彼の姿を忘れられずにいる私は、ノックスさんをここで庇護してあげなくちゃ、とか、そんな風に考えたりもして。
「……ノックスさんは、これからどうするんですか?」
「ん? ……そうだなー。俺には行く当てもないから、まずはこの山の麓にあるっていう町にでも行ってみようかと思ってる。そのあとのことは、まあ、その時にでも考えるよ」
「そう……」
ここに留まってはどうか。そう尋ねようとする私を引き止めたのは、バチルダの存在だった。
ノックスさんは悪い人じゃないと思うし、ハンスや、アドリアーヌとクリセルダだって、ノックスさんに気を許しつつあることには気付いている。
この村で一番警戒心が強いのはハンスだから、あの子がノックスさんへの警戒を解いた以上、彼がこの村に残ることを拒む人はきっといないだろう。
……でも、シモンが刺されたばかりだし、シモンを刺したのはおそらく新参者のバチルダで間違いない。
そう考えると、この村に新しい住人が増えることに対して、抵抗を覚える子がいないとも限らないはず。
だから、そう、この質問をするのはバチルダを除く仲間たちに確認を取ってから。
麓の町にいるデリーとシモンにすぐ確認を取るのが難しいけれど、レナードはこの村にいるから、まずはあの子にそれとなく訊いてみよう。
頷いてくれるならいいし、嫌だと首を振るようであれば、その時は……そうね、シモンとデリーが戻ってくるまでの間にじっくり見極めてもらえばいい。
それでもやっぱり嫌だ、駄目だと気持ちが変わらないようであれば、その時は私が折れるしかない。
この村に住んでいるのは私だけではないのだから、みんなが安心して暮らせるよう、誰しも何かを妥協する時が必ず来るのだから。
……心の中で算段をつけていた私は、ノックスさんがじっとこちらを見下ろしていることを知らなかった。
だから当然、私はその琥珀色の瞳が何を考えているのかも、一体どんな感情を浮かべて私を見つめていたのかも――知らず知らずのうちに、気付く機会を失っていたことさえ、気付かなかったのだ。




