五日目 朝 - ■■陣営の勝利です。
「ジゼルちゃん、二人の移動は終わったぜ」
「ありがとうございます、ノックスさん」
「そっちはどうだ?」
「たぶん、なんとかなると思います。――焼けた死体が魔女のものかどうかの判別なんて、どうせ誰にもできないでしょうから」
ノックスさんの手を借り、レナードとクリセルダはそれぞれの家のベッドに戻してもらった。
その間、私はバチルダの死体は私の家の中に運び込んで適当な場所に転がし、最低限必要なものだけを麻袋の中に詰め込んで簡単な荷づくりを済ませている。
あの子たちが持っていてもおかしくない、普通の薬師も調合できるレベルの薬はそれぞれの家の薬箱へ。
それ以外の魔女の秘薬と、魔女の秘薬を調合するために使われる材料だけは、タオルにくるんで麻袋の中へ。
麻袋の中にはそのほか、数日分の携帯食など放浪生活に慣れているノックスさんから勧められたものと、母が残してくれた手記、それから私がどうしても手放せない思い出をいくつか入れておいた。
……それ以外のものは、すべてここに置いていく。
「本当にいいのか?」
「ええ」
荷づくりが終わったら私の家には油をまき、みんなの家には不自然にならない程度に火除けのおまじないを仕掛けておいた。
それらが済んだら、ノックスさんに荷物を預け、マッチを擦って火をつける。
火をつけたマッチは客間、調合室、私室、ダイニングそれぞれに放り込んで、私自身は家の外へ。
おまじないを仕掛ける傍ら、村中から油をかき集め、念入りにまいたおかげだろう。
火の手は一気に回って、長年私が過ごしてきた家は、あっという間に炎に包まれる。
おまじないのおかげでほかの家に火の手が回ることはないので、このまま放って置けば私の家が綺麗に燃えるきり。
そうして魔女の根城が焼け落ちたあと、焼け跡から出てくるのは女と思しき焼死体がひとつ。
それで麓の町の人間たちは魔女が焼身自殺を図ったと勘違いしてくれる、……はずだ。たぶん。
「……ノックスさんこそ、本当にいいんですか?」
「うん?」
「私、きっとお荷物ですよ」
バチバチと我が家を包む炎が大きくなっていくのを見守りながら、今度は私がノックスさんに問いかけた。
一緒に逃げて欲しいという私の図々しいお願いに、一も二もなく頷いてくれたノックスさん。
今もこうして私の偽装工作を手伝い、共犯者としての罪を重ねている彼の人の良さには、本当に感謝してもしきれない。
……でも、同時に、本当にこれでいいのかという思いもあった。
優しいこのひとを、私の事情に巻き込んでも良いのかと不安だった。
私というお荷物がいる限り、彼が今まで通りの生活を続けるのはきっと難しい。
もしかしたらそのせいで、訪れた先の集落で人狼であることがバレる機会も多くなるかもしれない。
今さらそんな当たり前の可能性に思い当たって、私はきっと、日和っているのだと思う。
まだ、シモンやあの子たちほど大きな存在ではなくとも、ノックスさんも私にとっては大切な人だから。
……死に際にもう一度逢えたらいいな、なんて思うくらいには、焦がれた人だから。
(お荷物になって貴方に嫌われることが怖い、なんて)
本当に人殺しが考えることじゃないなと、心の中で自嘲の笑みを浮かべた。
「――はは。馬鹿だなぁ、ジゼルちゃんは」
「え……」
でも、そんな私に向けて降ってきたのは、思っていたよりずっと優しい声だった。
馬鹿だな、なんて言いながらも、私を見つめる顔は柔らかく微笑んでいて。
その声は呆れている感じでもなければ、言葉の額面通りに馬鹿にしている感じでもない、まるで『仕方ないなぁ』と――親が子を諭す時のようなあたたかい響きを孕んでいる。
まさか今のやり取りでそんな顔を、声を向けられることになるなんて夢にも思わず、率直に戸惑いが私の口をついた。
そして……無意識にじり、と後ずされば、ノックスさんはそれを引き止めるようにやんわりと私の手を取ってくる。
きゅ、と繋がった手に目を白黒させてノックスさんを見れば、彼はこの数日間ですっかり見慣れた笑みをニッと浮かべて――
「俺にとっての恩人で、恋焦がれてる女の子からのお願いなんだぜ? 男だったら叶えてナンボだろ?」
「……ノックスさん、」
「それに、これは俺が一番ベストな役回りだと思うんだよなー。元々根無し草で変なしがらみもないから、逃避行のパートナーとしては持ってこいだし、こう見えて体力も力も結構あるし? 特に今夜なんて人狼の力が一番強くなる満月の夜なんだ、魔女狩りごときからジゼルちゃんを守るくらいわけないって!」
指折り数えて言いながら、「ほら、俺って実はめちゃくちゃ優良物件じゃね?」なんておちゃらけるノックスさんに、私は泣きそうになった。
……ああ、このひとは、本当に私のことを好いてくれているんだなって。
こちらの負い目を優しくそっと取り除くように、明るく自分を売り込んでくるノックスさんのその言動に、月の明かりに照らされた向日葵のような笑顔に、私は今さら彼の想いを実感して。
目の奥がじわりと熱を持つのも、鼻の奥がツンとするのも、奥歯をぐっと噛んで堪えていた。
「じゃあ、」
「?」
「私も頑張りますね。……私の手を取ってくれた貴方を、一生をかけて幸せにできるように」
ノックスさんの手を握り、へらりと笑いかけた。
こういうセリフは記憶にある限り、前世でも今世でもとんと無縁というか、言ったことがなかったからさすがに気恥ずかしくて。
真面目な顔でなんてとてもじゃないけど言えず、羞恥心を誤魔化す目的で笑ったんだけど――
「……あら?」
「~~~~!?」
まるでぼふん! と効果音が聞こえてきそうなくらい、ノックスさんの顔が赤くなっていた。
頭の上の耳はぴくぴく震え、大きく見開かれた琥珀色の瞳はうろうろと所在なさげに揺れている、というか――むしろ恥ずかしがっている、ような?
……え、え、なんで? どうして?
あれだけ明け透けに『好き』なんて言っちゃえるひとなのに、『好き』って言われただけで照れてる? 恥ずかしがっている?
……やだ、そんなことってある?
「ノックスさん、かわいい」
「俺は別にかわいくねーし顔が赤くなんてなってねーし家を燃やしてる火のせいで顔が熱いだけだからホントそれだけだからッッッ!!」
「ふ、ふふ……っ」
「ジゼルちゃんッ!!」
「うふふ、あは、そうね? ……っふふふ、確かに熱いわ、ふふ」
どこをどう聞いても照れ隠しでしかないし、誤魔化せてもいない。
真っ赤な顔をしたノックスさんの子どもみたいな言い訳がおかしくて、かわいらしくて、私は笑いが止まらなくなってしまった。
ムキになっているところもとってもキュートで頬が緩むけど、そろそろご機嫌取りをしないといけないかしら?
そう思って、くすくす笑いながら彼の言い分に頷けば、いかにも納得していませんって顔でノックスさんは唇を引き結んでいる。
でも、これ以上口を開いたらどんどんドツボにハマっていくことも、自爆(もしくは自滅?)していく一方なこともわかっているから、頑張って口をつぐんでいるって感じかしらね?
……ふふ、ノックスさんのそういうところもまた可愛いわ。
この数日間、彼のことはとっても頼りになるひとだと思っていたけれど、こんな風に子どもっぽくて可愛らしいところもあるだなんて知らなかったなぁ。
「……ほら、そろそろ行こうぜ。あんまりもたもたしてると、火事に気付いて町のヤツらが来るかもしれねーし」
「ええ。……あの、ノックスさん」
「なんだ?」
「改めて、よろしくお願いします」
「おう。……こちらこそ、末永くよろしくしてもらえたら嬉しいわ」
ノックスさんに預けていた荷物を私が抱え、そんな私をノックスさんが抱える。
いわゆる横抱き、もといプリンセスホールドには少しどきどきするけれど、私の背中を、膝裏をしっかり支えてくれる腕のたくましさだとか、包み込むような心地よいぬくもりにはすごく安心するものがあった。
先行きの見えない不安な日々も、ノックスさんとならきっと大丈夫――なんて。
そんな根拠のない自信が、感じられるほどに。
「んじゃ、行くか」
「はい」
トントン、と爪先で軽く地面を蹴ったノックスさんが、ぐ、と姿勢を低くする。
その次の瞬間には、ビュンッと夜明けの肌寒い空気を切って森の中――道なき道を走り出していて、飛ぶように周囲の景色が後ろに流れていた。
ちら、とノックスさんの肩越しに、火事で照らされる村に視線を向ける。
瞬く間にどんどん遠のいて、豆粒のように小さくなっていく赤に確かな寂寥感を感じながら、私はゆっくりひとつまばたきをした。
……目元に浮かんだ雫がひとつ、風に攫われて村の方へと飛んで行くのが、見えたような気がした。
深呼吸をして、震える唇をぎゅっと引き結び、ノックスさんの胸板にそっとすり寄る。
寂しくはある。
悲しくもある。
それでも、今この胸を満たす感情が悲嘆ばかりではないのは、彼が私の傍にいてくれるからだろう。
トクトクと優しい鼓動を奏でる心音に耳をすませながら、戻れない過去を振り切るように、ノックスさんの腕の中で私は静かに目を閉じた。
――魔女と人狼。
人ならざる私たちはそうして手を取り合い、誰に知られることもなく、夜の闇が残る森の奥へと消えていった。
本編はこれにて完結です。
二週間という短い期間でしたが、お付き合いいただきありがとうございました!
今後は後日談をゆっくり投稿していくつもりです。
詳細はのちほど活動報告に残しておきますので、よろしければご確認くださいね。
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