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うそつきオオカミと月影の華  作者: 遠野
本編

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13/14

四日目 夜

 『憧れ』は『理解』からもっとも遠い感情である。

 ――そんな言葉を聞いたのは、いつのことだったかしら。






   + + +






 ガタガタ震えるドアをサイドボードで押さえつけながら、すぅ、はぁ、と深呼吸を繰り返す。


 ……これからやろうとしていることへの緊張と、それから、覚悟。

 そのふたつのせいか自然と心臓が早鐘を打ち、比例して浅くなる呼吸を意識して落ち着かせながら、頭の中で計画を立てていく。


 こんな状況じゃ、自分ではどれだけ冷静なつもりでいても、私もきっと本当の意味で冷静じゃない。

 だから、綿密な計画を立てたと思っても、どこかしらに見落としている穴は空いているんだと思う。


 だからあとは、その時その時で臨機応変に対応するしかない。

 最重要な目的だけ見失わなければ、遂行できさえするならば、多少の怪我は必要経費だ。


 ハンスかノックスさん、せめてどちらかが駆けつけてバチルダを制圧してくれるならそれがベストではある。

 だけどこの喫緊の状況で、そんな楽観的すぎる希望的観測に縋る余裕はないし、あまりにも愚策だと思うから。



(他人任せになんてしてられない)



 両手の震えをぐしゃりと握り潰し、取り込んだ空気で声帯を震わせた。



「バチルダ」

「! ジゼルさんっ!!」



 ぱあ、と満面の笑顔が花開いたことが扉越しにも伝わる声。

 同時に、ドアの揺れもぴたりとおさまって、油断はできないものの一気に負担が楽になる。


 ……自分から逃げ出した瞬間を目の当たりにしたにもかかわらず、私が名前を呼んだだけでここまでの反応ができることには素直に感心する。もちろん皮肉だけど。



 つくづく正常な思考をしていないなと、私の部屋の窓に張り付いてきた時から思っていたし、その考えは今でも変わらない。

 でも、そのおかげでバチルダが自分にとって都合の悪い現実から目を逸らしてくれているのだとしたら、これほど私にとって有利に働く状況はないと思う。


 このチャンスを逃さずに活かすためにも、私は努めて冷静に、不自然になりすぎない程度の猫なで声を繕ってバチルダに話しかける。



「ねぇ、バチルダ。貴女、どうしてそんなに私にこだわるの?」

「そんなの決まっているじゃないですか! 私が貴女を、ジゼルさんを愛しているから以外の何物でもありません!」

「……でも、私にはわからないわ。私よりも綺麗な人や可愛い子、かっこいい人はたくさんいるもの。なのにどうして、そんなにもバチルダが私を好いてくれるのかがわからない。そんな風に好かれる自信がないわ」

「えええ? ふふ、あはは! ジゼルさんってば何を言ってるんです? ジゼルさん以外のブスのことなんて私は知りませんよぉ~。だって私にとっては貴女が世界で一番かわいくて、うつくしくて、かっこいい人なんだもの。それ以外の奴なんてゴミでしょ、ゴミ。ぶっちゃけ人間を名乗るのもおこがましくないくらいですかぁ? ……まあでも、ジゼルさんはとびきり優しくて慈悲深い女神さまだから! ほかのやつらがゴミ同然のブスなのも仕方ないですよねぇ――?」



 私との心の底から会話を楽しむように、ドアの向こうでバチルダはきゃらきゃらと笑っていた。


 ……この一日の監禁ですっかり壊れてしまったのか、バチルダは普段のオドオドした様子がすっかりなくなっていて、まるで無邪気な子供みたいにひたすらまっすぐ言葉をぶつけてくる。

 それでいて発する言葉は邪気と悪意に満ちたものばかりなものだから、その落差には正直、うすら寒ささえ感じるほどで。


 ぶつぶつと鳥肌が立つ両腕を擦りながら、どうやってバチルダをドアの前から引き剥がす方向へ話を持って行くか思案する。



(それにしても……)



 こちらが拒絶していたことも忘れて全肯定してくるところや、私を【女神】だなんて呼称するところからして、バチルダはどうやら崇拝型ヤンデレに突き抜けつつあるらしい。


 昨日の時点では――というか、つい先ほど私が声をかけるまではむしろ他者加害型のヤンデレの気が強かったような気がしたけれど、この一瞬でそこまで変わるものだろうか。

 それとも、元々はこっちが素で、許容外の事態が起こると他者加害型に一時的に変質するとか?


 ……まあ、理由なんてどうでもいいか。

 肝心なのは、私がバチルダを手のひらでいかに上手く転がせるかなんだから。



「……女神、ね」

「ジゼルさん? どうしたの?」

「なんでもないわ」



 ただ――なんというか、バチルダが【女神】という言葉を引き合いに出したのは面白いなと思った。


 人狼ゲームにも登場する役職のひとつであり、村人陣営でも人狼陣営でもない第三陣営の【恋人】を作る仕掛け人という役どころ。

 【女神】によって無作為に選ばれた二人は晴れて恋人同士となり、『ゲームが終わるまで生き残る』という勝利条件を果たせば、村人陣営も人狼陣営も出し抜いて愛する二人が勝利となる。


 ……私とバチルダは別に恋人ではないけれど、私に恋い焦がれて狂っているバチルダがその恋人陣営の役職を、なんの気なしに口走ったのはちょっと面白い。



(……この世界は人狼ゲームがモチーフの世界だから、どこかに女神も存在するのかしら)



 ふと疑問に思ったけれど、そこについてはいったんポイッと思考の外に捨て置くことにした。


 気になることではあるものの、今この場においての優先順位としては低いから。

 全部終わったあとで、それでもまだ私がおぼえていたら、その時はまた考えればいい。



「バチルダが本当に私のことを好いてくれているんだなって、そう思っていただけなの。気にしないで」

「――ええ、ええ! そうなんです! うふふ、ようやく私の気持ちが伝わってとっても嬉しいです! 大好きなジゼルさん、私のジゼルさん! どうか早く出てきて、貴女のお顔を見せてください!」

「……、わかったわ。すぐに行くから、家の外で待っていてくれる?」

「えー? お部屋の前で待ってちゃいけないんですか? ……まあいいや、ほかならぬジゼルさんのお願いですからね! 私は良い子なので、ジゼルさんのお願いならなんだって聞きますよ! ジゼルさんをこの陰気な村に閉じ込めているようなあいつらと、私は違いますからね!!」

「――ふ、」



 バタバタと遠のいていく足音と、ドアの開け閉めの音が響いたのを聞き届け、私は思わず失笑した。


 だって、私があえて転がさなくても、自分からコロコロと転がってくれるバチルダのポンコツ具合が本当におかしくて仕方がないんだもの。

 逃げ出したはずの私が突然、自分と会話する気になったことにも、自分の要求を呑んでくれたことにもまるで違和感を抱かないだなんて、本当に馬鹿な子。


 まあ、人目を忍んでシモンを刺したことはともかく、レナードを刺した件についてはかなり短絡的な犯行だったし、私に自白したくらいだし、元々頭の出来はそこまでよくないのかもね。

 色々と私たちに隠しごとが多かったみたいだけど、その点だけは今までと変わらないようで安心した。


 この様子なら、私が思っている以上に簡単に事は片付くかもしれないなぁと、くつくつと喉を鳴らしながら笑って。

 サイドボードをドアの前から退け、部屋から出る直前、ベッドで眠る二人に向けて私はそっと囁いた。



「大丈夫よ。貴方たちのことも、ほかの子たちのことも、きっと私が守るからね」











 外に出れば、日はとうに森の向こうに消え、明るい月が煌々と夜を照らしていた。


 バチルダは私に言われた通り、そして本人が自信満々に宣言した通り、家の外で今か今かと私を待ち構えていて。

 ほとんど手ぶらの状態で外に出て来た私を満面の笑顔で出迎えた(……と言っても、顔中が腫れ上がっているので正直ホラーでしかないのだけど)。



「ジゼルさん!」

「こんばんは、バチルダ」



 断りもなく私に抱き着いたバチルダからは異臭がした。

 アンモニアの臭いと、血の臭いと、酸のような酸っぱい臭いの入り混じったえも言われぬ臭い。


 思わず顔をしかめそうになってしまったけれど、そこは根性で微笑みを浮かべたまま乗り切った。

 いつも通りの、バチルダ曰く『女神さま』である私らしい微笑みだ。


 そんな私の胸に嬉しそうに、幸せそうにバチルダがすり寄る姿はどこか猫を思わせるものがあったけれど、本物の猫の方が比べるまでもなく可愛いのですぐにその考えは棄却する。

 ネコチャンとこれを一緒にするのは、ネコチャンにあまりにも失礼だ。



「あのね、ジゼルさん」

「何、バチルダ?」

「私と一緒に外の世界に行きましょう!」

「……はい?」



 私が相当酷いことを考えていることなどつゆ知らず、もじもじしながらバチルダが切り出してきた提案にポカン、と(ほう)けてしまう。


 ……今度はどれだけ私の地雷を踏み抜いてくれるのかな? と思っていたところへの予想外の発言で、理解がちょっと追いつかなかった。

 何言ってんだコイツ、とちょっと――いやかなり冷めた目を向けてしまったのは、どうかお許し願いたいところ。


 仕方なしに話を聞いていれば、なんというか、私が魔女であることを知らないことを加味してもお門違いなことを考えてるなぁとほとほと(あき)れてしまった。

 なんせバチルダ、私は好きでこの村に留まり、山にこもって暮らしているのに、それをほかの子たちのせいだなんてしょーもない勘違いをしているのだ。


 なんでも、バチルダ曰く『村のヤツらはジゼルさんを誑かす悪魔』だの、『女神さまの優しさに寄生する害虫』だの、『私が外に出て行けないよう監視している』だの、うんぬんかんぬんかくかくしかじかまるまるうまうま……。


 途中から聞いているのも馬鹿らしくなる話を聞かされて、精神的に疲れて相槌がおざなりになってしまったのはご愛敬。

 でもまあ、自分の話に酔っているらしいバチルダは気付いた様子もなくおしゃべりを続けていたので問題なし(モーマンタイ)ってことで、ここはひとつ。



(とりあえず、ここは話に乗っておいた方が良さそうかな)



 そうしたら毒も盛りやすいし。うん、そうしよう。


 パチパチと具体的に組み上がっていく計画ににっこりしながら「それも悪くないわね」と頷けば、私の内心を知らないバチルダはもろ手を挙げて歓声を上げた。

 これ以上ないくらい有頂天にウッキウキで、なんなら今にも踊り出しそうな浮かれ具合にクスクスと笑みが漏れる。


 ――もちろん、私とバチルダの温度差があまりにも激しすぎて笑いがこらえきれないせいだ。



「ねぇねぇジゼルさん、私、ジゼルさんともっと広くて明るい場所に行きたいんです。海の綺麗な港町とか、流行りの集まる大きな街とか! ジゼルさん、きっと似合うと思うんです。こんな森の中にある小さな芋臭い村なんかより、明るいお日様の下で素敵なものに囲まれているジゼルさんが私は見たいの! うふふ、美味しいものを食べて、綺麗に着飾って、私とたくさん一緒に出掛けてくださいね! 嬉しいなぁ、楽しみだなぁ、これからは私だけのジゼルさんなんだもん! もう邪魔するブスもガキもケダモノもみーんないなくて、私たち二人でずーっと幸せに暮らすんですよ? えへへ、想像しただけで幸せですね」



 にっこにこで私にぎゅう、と抱き着いてくるバチルダが夢を語る。


 きらきらと目を輝かせるところなんてまさに夢見る乙女という感じで、元の美少女顔、かつ身なりも綺麗だったら、そこいらのオトコノコならイチコロだったんじゃないかなと思う。

 なんせこの子、曲がりなりにも乙女ゲームのヒロインだったはずなので。


 ……いや本当、何がどうしてこうなってしまったのかは心底謎。

 どんな化学反応が起きたら乙女ゲームのヒロインがクレイジーなヤンデレサイコ百合女になるのか、本当に謎だなぁ……。



「ねぇ、バチルダ」

「なんですか、ジゼルさん?」

「これからこの村の外に行くのでしょう? ……きっと長旅になるもの、村を出る前に貴女の怪我を治さなくちゃいけないわ」



 ――さて、そろそろいい加減、お片付けに入らないとね。


 さわさわと嫌な手つきで腰を撫でてくるバチルダに心の中では侮蔑の目を、表面上はお優しい笑顔を向けて話しかけ、ポケットから色付きの瓶を取り出した。



「……お薬、ですか?」

「そうよ。効果はてきめんだから、……はい。どうぞ」



 手首に縄の痕が残るバチルダの手を私の腰から外し、手のひらに瓶をころんと転がしてやる。

 すると、彼女は受け取ったばかりの色付きの瓶をじっと見つめていたかと思えば、両手で包んで宝物のように抱きしめた。


 ……話の文脈からして、彼女がこれを治療薬の類だと勘違いしているのは明白。

 それでいい、と微笑みを口元にたたえる私の不穏さに気付かないこの素直さだけは、こちらに都合が良いので今でも好ましいと思う。



「……」

「? どうしたの?」

「あの、飲ませてもらえたら嬉しいな、なんて……」

「……ごめんなさいね。この薬、即効性があるぶん、口移しには向かないの」

「……そ、ですか」

「またの機会があれば、その時にね」

「! 約束ですよ!」



 ちらちらと私を窺う視線に首を傾げれば、これまたしょーもないことを言い出して呆れてしまった。


 もしかして、バチルダは私がレナードに薬を飲ませた時の様子を見ていて、それでこんなことを言い出したのだろうか?

 だとしたら、瀕死のあの子と自分を比べることもおこがましいのだとどうしてわからないんだろう。


 それに、あの時は緊急を要したからこそ私が飲ませただけで、レナードにきちんと意識と気力が残っていたらちゃんと自分で飲ませていたし。

 救命行為と同じ扱いを望むこと自体、図々しいと言うかなんというか。


 本当のことにリップサービスを付けつつ、バチルダの要求は当然ながらお断りだ。

 ……真実すべてを語っているわけではないけれど、嘘はついていないから別に良いわよね。


 そもそも私、これが治療薬だなんて一言も言っていないし。

 この子が勝手に勘違いしたことを、こちらにとって都合がいいからと言う理由で、そのまま勘違いさせているだけ。


 きゅぽん、とコルク栓を抜いて瓶を揺らし、とろとろと滑らかに動く液体をうっとり見つめたバチルダが瓶に口を付ける。

 そのまま勢いよく中身を煽り、ごく、ごくと喉が上下するのを私は静かに見守って。



「――ごほっ、」

「……」

「え……? え、え? げほっ、……な、んで、血が、ゴフッ」



 吐血に驚いた顔をするバチルダが、へなへなとその場に座り込んだ。

 その様子に、薬がさっそく効き始めていることがわかって、私の顔にうっそりとした笑みが浮かぶ。


 ――身体のあらゆる機能をめちゃくちゃに壊し、人間はもちろん、人ならざるものでさえ必ず殺す魔女の毒。


 ただの人間であるバチルダがそれに打ち勝つことなんて、当然ながらできるはずもない。

 口だけでなく鼻や目からも血を流す異常事態に、「ジゼルさんどうしよう!」とパニックに陥る様子は見ていて胸のすく思いだった。


 私を出汁にしてシモンに、レナードに手を出した馬鹿な小娘。

 この村に強引に居座るだけなら、私も目こぼしできる範囲だったから許してあげていたのにね?

 私たちの優しさにつけ上がって、胡坐をかいて、図に乗る真似をしたからこうなっているんだよ? 


 クスクス笑いながらそんなことを考えて、私はそっと、座り込むバチルダの耳に悪魔の囁きをした。



「ありがとう、バチルダ」

「ジ、ジゼルさ……?」






「自分から毒を飲んでくれて、私、とっても嬉しいわ」






「――え」



 私の囁きに、一瞬、バチルダの時間が止まった。

 それからぐるぐると忙しなく目が動き、地面に転がる空き瓶と、両手にべっとりついた自分の血と、笑っている私の顔を見比べて――ようやく、私の告げた言葉の意味を飲み込むことができたのだろう。


 血の涙はその勢いを増し、ぱんぱんに腫れあがった顔をぐしゃりと歪めてバチルダは絶叫した。



「ぃ゛、と゛い゛ぃ゛っ……! な゛、て゛……な゛ん゛て゛ぇ゛、ひっく゛、う゛う゛ぅ゛う゛……」

「……」

「わ゛た゛――わ゛た゛し゛っ、え゛ほ゛っ! あ゛、な゛た゛、こ゛ん゛な゛に゛、あ゛い゛し゛て゛、う゛ぇ゛、え゛え゛え゛……」

「そう。私は貴女のこと、かけらも愛したことなんてなかったわ」

「ッ――!!」

「正直なところ、私たちにとっては貴女の存在自体が迷惑もいいところで――ッ、ぐ……!」



 血の涙を流して泣きじゃくりながら、血を吐きながら、それでも私への愛を訴えるバチルダに優しく微笑んだ。


 彼女が言うところの女神さまの微笑み。

 その顔で千尋の絶望に丁寧に突き落とせば、目を血走らせたバチルダはなんと、私の首に手をかけてきた。


 即効性の毒を飲んでなお反撃に――否、死に際の悪足掻きに出るだけの余力が残っていたのは完全に予想外で、無防備だった私は呆気なくバチルダの凶手に囚われる。

 体当たりする勢いに負けた私の身体には、バチルダが馬乗りになった。



「フーッ……フーッ……」

「……ッ、ゥ……ッッ」

「う゛う゛う゛、う゛あ゛、あ゛ぁ゛あ゛、あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛あ゛ぁ゛あ゛あ゛――ッッ!!」



 ぼたぼたと絶え間なく血を流し、息を荒くしたバチルダが私の首に体重をかけて来る。

 ぐぐぐ、と気管が締まり、酸素が脳に届かなくなって、頭の中がぼんやりとし始めた。


 頭に血が上っているのか、血液の循環が滞っているせいか、顔がかーっと熱くなってなんだかそのうちパチンと爆ぜてしまいそう。なんて、思考のどこか冷静なところがそんなことを考えている。


 ……正直、苦しくてたまらない。

 毒の影響で全身が痺れて、手足の感覚も五感もほとんど残っていないだろうに、まさかバチルダがここまでできるとは思わなかった。


 私が首を絞められて死ぬのが先か、バチルダが魔女の毒で死ぬのが先か。

 文字通りのデスレースだけど、……まあ、先に私が死んでもバチルダが死ぬことに変わりはないしね。


 どちらにしたって、今さら私の勝ちは揺るがない。

 あの子たちに、シモンに、これ以上の手出しはさせない。



(その目的が果たされるなら、私は別に、死んだっていい)



 ……ああ、でも。

 叶うことならもう一度だけ、ノックスさんの笑った顔が見たかったかも、なぁ……。






「――ジゼルちゃん!!」






「あ゛」

「かひゅっ――」



 バキ、と何かが割れるような砕けるような音がして、首にかかる圧迫感がフッとなくなった。


 酸素の通り道を塞ぐものが消えたことにより、一気に肺に取り込んだ酸素が急激に全身に回りだす。

 ただ――大量の酸素をいきなり取り込んだせいなのか妙に喉の奥が苦しくて、同時に喘息のような激しい咳が止まらなくなった。


 ……胃の中身さえ吐き出してしまいそうなその勢いに自然と涙が滲み、ぎゅっと目をつぶって咳の波がおさまるのを待つしかない。



「……?」



 地面にうずくまり、背中を丸めて咳き込んでいると、背中に触れる熱があった。

 それは私の背中をゆっくりと上下して、まるで、擦ってくれているみたいだと思う。


 のろのろと顔を上げれば、ふと、私を覆う影が不思議な形をしていることに気付いた。


 大まかに見れば、ひとのかたちをしているのだと思う。でも、その影は明確に人間とは異なるところがあった。

 頭に、あるいは腰から下の影に、人間にはないモノが加わっていたからだ。



(ノックス、さん……?)



 頭の上にピンと伸びた三角の耳と、ゆらりと揺れる尻尾に思わず目を見張る。


 ……満月を背負うノックスさんは、見慣れない半人半獣の姿をしていた。






   + + +






「コホッ。……ノックスさん、ありがとうございます。本当に、いろいろと」

「どーいたしまして」



 私の咳が止まるまで、ノックスさんはずっと背中をさすっていてくれた。


 ……本当に優しくて、いたわるような柔らかい手つき。

 それに加えて、鋭く伸びた爪が間違っても私に刺さらないよう、始終気を付けていてくれた彼はやっぱり良いひとだなと思う。


 咳のしすぎで痛む胸を手でおさえ、微笑みを繕って感謝を告げれば、ノックスさんはニカッと笑って機嫌良さげに尻尾を揺らした。


 ……。

 ……、……。


 ……。



「あの、」

「?」

「……ノックスさんのその姿は人狼? なんですか?」

「――ん、ああ。そうそう。俺は普通の人狼よりもちょっとだけ力が強いから、こーやって中間の姿も取れるってわけ。驚いた?」

「はい。初めて見ました」

「……そのわりには、あんま驚いて見えねぇけど」

「私も長く生きてますからねぇ、人狼を目にする機会がまったくなかったわけではないので」



 普通の人狼よりも力が強いってなんだろう? と思いつつ、改めてまじまじとノックスさんの姿を見つめる。


 こんな風に見るのは失礼なことだとわかっているんだけど、満月の光を浴びた人狼が強制的に姿を変える時は、普通ならもっと狼の要素が強く表れるもの……というか。

 シモンのように全身が毛に覆われて地肌が見えなくなるものだし、顔の造形だって狼のそれに変わってしまうのが常らしいので、ノックスさんのようにほとんど人の要素を残したまま変化(へんげ)っていうのはかなりのレアケースだった。


 ……また、落ち着いた時にでも詳しい話を聞かせてもらえたらいいなぁなんて思うけれど、さすがにそれは難しいかしらね。


 ノックスさんにとってもデリケートな話だろうし、こんなことにでもならなければ、きっと彼は自分が人狼であることを明かそうとはしなかったはず。

 だったらそこをむやみやたらに突くべきではない、と思うし――理由はどうあれ人を殺した私は、この村に留まり続けることができないから。

 これ以上、ノックスさんの秘密を知るべきではないだろう。


 あの子たちはきっと、私がバチルダを殺したことなんて気にしないし、シモンも『災難だったね』と私を慰めてくれるに違いない。


 でも、()()『人殺しになった私』を許さないし、人殺しの癖にあの子たちと今まで通り一緒に平和に暮らす日々を続けることを許せない。

 バチルダを殺したら、その時は必ずこの村から出て行く――それが、私が『人殺しになった私』に課せる最大の罰だと思う。


 たとえ狂っていようが、村人を殺した人外には正義の鉄槌を。


 ……それは人狼ゲームにおいても、【月影に花は咲く】においても、この現実においても変わらない大原則。

 だから、ほかに誰も罰してくれる人がいないのなら、私が自分で罰を下すしかないんだ。



「ところで、アドリアーヌとハンスは?」

「――っと、そうだった。あいつらは遅れてくるぜ。なんでも町で問題があったらしくてさ、その対処してたらこんな時間になっちまったんだ」

「そうだったんですね」

「……ごめん」

「? 謝ることは、何も――」

「俺がもっと早く戻って来てたら、ジゼルちゃんにこんなことさせなかった」



 こんなこと、と悔しげに言いながら、ノックスさんが視線を向けたのはバチルダの死体だ。


 元の容姿の面影をなくした顔を血だらけにして、苦悶の表情を浮かべ、目を見開いて仰向けに倒れている。

 私を助けようとするノックスさんに殴り飛ばされた彼女は、二度と起き上がることもできずにそのままとうとう死んでしまった。


 ……これが私の仕業だ、と断定するということは、どうやらノックスさんには毒を盛ったこともお見通しらしい。


 ならば今さら下手に隠し立てをする必要もないので、肩を竦めてゆるゆると首を振る。

 ノックスさんが気負う必要もなければ、罪悪感を背負う必要もないのだと伝えるために。



「いいんです。私がやりたくてやったことですから」

「ジゼルちゃん、」

「あの子たちを殺そうとしたんだもの、こうされても文句は言えない――いいえ、言わせないわ。そんな口は私が塞ぎます。……まあ、もうしゃべる口もないんですけどね?」

「――」



 ふ、と微笑みながら言う私に、ノックスさんが口をつぐんだ。


 人を殺しておきながらまったく悪びれる様子のない私に呆れているのか、それとも別のことを考えているのか。

 何を考えていても別にいいけれど、せめて貴方に嫌われなければいいなぁ……なんて、のんきなことを考える自分に気付いて自嘲する。


 人を殺すと決めた時はあんなにも恐ろしかったのに、いざ殺してしまえば『ああ、こんなものなのか』と思っている私がいる。

 『人殺しという悪いことをしてしまった』と思うのに、これでもうあの子たちも安全に暮らせるよねと罪を犯した自覚の薄い私がいる。


 ……自分では人間と同じ価値観、倫理観を持っているつもりでも、やっぱり私はどこかおかしくなっていたらしい。


 長い時間を生きていたせいか、人間社会と離れて生きてきたせいか、その理由まではわからないけど。

 でも、自分でも知らず知らずのうちに前世で培っていた人間性……のようなものが、変質してしまったことだけは間違いない。


 よくもまあ、この異常さが今の今まで露呈しなかったものだと思う。

 きっとこんなことでもなければ日の目をみることもなかったに違いない。


 本当にバチルダは余計なことしかしなかったなと、血も涙もないことを考えた。



「……ノックスさん? 何か気になることでもありますか?」



 その時、ふと、ノックスさんがひどく思いつめた顔をしていることに気が付いた。


 苦しげな、あるいは悲痛な面持ち。

 ノックスさんのそんな顔を私は見たことがなくて、胸の奥がざわりと騒めく。


 ……このひとにそんな顔をさせる『何か』があるのだ、という事実に嫌な予感がして、自然と背筋がピンと伸びる。



「悪い、ジゼルちゃん」

「?」

「こんな時に言いたくなかったんだけど、実は、町の連中がジゼルちゃんを探してるらしいんだ」

「――え?」



 苦虫を噛み潰したような顔をして、重い口を開いたノックスさんの言葉に思考が止まった。



(麓の町の人間が、私を探している……?)



 数秒遅れて咀嚼し、飲み込んで、理解した言葉を頭の中で反芻する。

 バチルダを殺した時でさえ動揺しなかった心臓がドクッと大きく跳ねて、同時にぶわりと全身から冷や汗が噴き出した。


 焦げ付いた匂い。

 燃え盛る我が家。

 炎に巻かれながら優しく微笑む母の姿。

 そんな母の死を狂喜する、たくさんの人間たち――。


 目の前が真っ白になってふらりとよろめいた身体を、ノックスさんが慌てて支えてくれる。

 ……人狼の鋭い爪がほんの少しシャツ越しに身体に食い込む感覚に、私は遠のきかけた意識をどうにか繋ぎとめ、両足にぐっと力を込めて自力で身体を支え直した。



「すみません、大丈夫です」

「無理はするなよ?」

「はい。……それで、あの、どうして私が……」

「……ジゼルちゃん、シモンを助けるための金策として薬を売るように持たせたんだよな?」

「あ、うん……」



 ノックスさんの問いかけに戸惑いながら頷く。


 確かに、シモンの治療費を賄うためにも高く買ってもらえるように、今回は即効性と効能の強い傷薬をデリーに持たせた。

 瀕死の人間をも蘇らせる蘇生薬(アムリタ)ほどの効果はないけれど、それでもただの治療薬としてはとびきり優秀な、魔女だけが作ることのできる薬、を……。



「!」

「どうも事情通のヤツがいたらしくて、売った薬が魔女の秘薬の一種だとバレちまったらしい」

「……そ、か。普段からあの子たちが町に行く時は薬を卸しているから……」

「芋づる式にって感じみたいだな」



 今更ながら、自分の迂闊さに気付いて頭が痛かった。


 確かにあの時も私はかなり取り乱していて、冷静とはほど遠い状態だった自覚がある。

 そんな有様だから、いつもなら絶対にやらないミスをしたし、大きなミスをしたことにも気付かなかったのだ。


 金策なら普段使いの薬を大量に持ち込んでもらうでも、ここで作っている作物や森で採取した蜂蜜、薬草などを持って行って卸すでも、色々やりようはあっただろうに。

 よりにもよって自分の首を絞めるミスを、ひいてはここに住んでいるほかの子たちをも危険にさらすような真似をしてしまった自分への自己嫌悪でグッと拳を握る。


 ……プツリ、と肌の切れた感覚がしたけれど、そこに気を割く余裕はない。



「だから、町の連中が来る前に早く隠れてくれ。ジゼルちゃんたちが使ってる氷室が近くにあるんだろ? ひとまずそこに――」

「あの、ノックスさん」

「っ、どうした?」

「……ひとつ、貴方にお願いがあるんです」



 氷室の存在は、ハンスとアドリアーヌ、どちらに聞いたんだろう。

 頭のどこかでそんなことをぼんやりと考えながら、私は、ノックスさんの腕に触れて顔を見上げた。


 私から彼に触れるのは初めてだったからか、ノックスさんは驚いた顔で私を見つめている。


 ……魔女狩りの執念がすさまじいことは、既知の同胞を一人残らず殺された母から聞いている。

 どれだけ逃げても、隠れても、人間たちは魔女の行動の痕跡を必ず見つけてどこまでも追いかけてくるのだと。


 そして、だからこそ二人きりで暮らしていた頃、母は徹底して私の存在を尋ねてくる客から隠し通していたのだろう。

 知らない限り、それは存在しないのと同じことだから。


 いないものを追いかけるなんて、捕まえるなんて、そんなことは誰にもできやしない。

 そう考えた母の行動のおかげで、私はあの夜を超えて今もなお生きていられたのだ。


 ……なんて、所詮は私の憶測にすぎないのだけど。



(でも、だからきっと、ノックスさんが言うように私が氷室に隠れたところで意味はない)



 脳裏に蘇る赤に身体が震える。

 しゃべろうとして(ひら)いた口からはかすれた声にすらならない空気が漏れて、『それ』を口に出すことに歯止めをかけられているようだと思った。


 ――けれど私には、これ以外の方法がもう思いつかない。



(魔女狩りは、人間は恐ろしい)



 だって、あいつらは私の大切なものをすべて燃やして、奪い去ったから。

 きっとこの村も、あの子たちも、また私から奪おうとするに違いない。


 それは嫌だ。

 それだけは嫌だ。


 人間だけど、それ以前に私の可愛い子どもたちだから。

 何もかも失くした私がようやく手に入れた家族で世界だから。


 それを取られないために、奪われないために、私ができることなんて結局のところひとつだけ。

 ――取られる前に、奪われる前に、私がそれらを手放すことだけだから。



「……こんなこと、頼むべきじゃないのはわかっているんです」



 でも、今の私に、貴方以外に頼れる人はいないから。






「どうか、私と逃げてくれませんか」






 ――貴方の好意に漬け込むあさましい私を、どうか許さないで。

明日の更新で()()()完結になります。

お付き合いのほど、どうぞよろしくお願いいたします。

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