魔王(仮)、甦る
「……教えて欲しいんだけど」
「なんだ?」
「あなたは何を蘇らせようとしているの?」
「はっはっはっはっはっはっは! もちろん、偉大なる魔王様だ!」
……?
……あなたの足元に転がっているのが、その偉大なる魔王様なんだけど?
「ええと、その、500年前の魔王とは別の、魔王?」
「同じに決まっているだろう!? 魔王様は魔王様! 唯一無二だ!」
う、ううん……。
なんなんだろう、この絶妙に噛み合わない会話は……?
「早く魔王様を宝珠からお出ししたいのだ! 早くしろ! でなければ、このクソ猫の首をかっきってやるぞ!?」
ええ、いや、その猫が魔王なんだが――
もう、我慢できなくなったわたしはこう言った。
「その猫が、もし……魔王だったりしたら……?」
ぽかんとした顔をした後、ルペンは大爆笑した。
「あははははははははははは! 詐術としても不出来だな! こんな短足のダサい猫を魔王様呼ばわりするとは不敬だぞ!」
アンゴルモアが目を見開いていた。
ぴくぴくと顔の筋肉が動いている。そうか、猫って怒るとあんな顔になるんだ……。
「早くしろ、魔術師!」
ぴたぴたと刃の腹でアンゴルモアの頬を叩く。
「魔王様の復活のためなら、容赦はしない。こいつの腕を切り落とすぞ!」
魔王の腕を切り落とすとは、恐ろしく不敬なやつだ。
「わかったわ」
ため息まじりにわたしは答える。
宝珠の中身が気になって尋ねているのだが、どうやらルペンに聞いても埒があかないのはわかった。
「じゃあ、――決裂!」
言うなり、わたしは線から走り出した。
だが、身体能力強化しているとはいえ、10メートルの距離を一瞬で走破できるわけがない。
ルペンが反応した。
「貴様!」
激怒したルペンがアンゴルモアの腕にナイフを押し付けようとする。
わたしは一息で言った。
「『断絶されし世界の沈黙』!」
突入する前に唱えていた詠唱に紐づく魔術が、今ここで発現する。
その瞬間、ルペンのナイフはガツッと鈍い音を立てて弾かれた。
ルペンが目を見開く。
アンゴルモアが結界に包まれていた。
……残念だけど、わたしに人質(猫だけど)は通用しないのだ。
動揺するルペンの両腕からアンゴルモアを奪い返し、
「えい!」
思いっきりルペンの顔面に回し蹴りを食らわせた。
ああ! とうとう人を蹴り飛ばしてしまうなんて……! だんだん貴族の令嬢として問題があるようになっている気がしてならない。
「おごおおおおおおおおお!?」
ルペンは絶叫を上げながら吹っ飛んでき、ゴロゴロと地面を転がった。
「大丈夫、アンゴルモア?」
『……ふん。偉大なる我の禁術が優秀で良かったな!』
「はいはい、それでいいよ」
『一応、礼は言っておいてやるぞ、ふん、感謝してやる!』
そうですかそうですか。
わたしはアンゴルモアから縛っている布を引き剥がし、地面に下ろした。
「さて、衛兵に突き出しますか」
……わたしの名前は知られてないし、顔は帽子と眼鏡でガチガチだし、ルペンの証言から『ミリア・アインズハート』まではたどり着けないだろう。
ルペンに近づこうとすると――
「も、申し訳ござい、ません……魔王様」
折れた鼻から鼻血を出しながらルペンが言う。
……うう、あれ、わたしが蹴ったからだよね? ごめんね……。
「かくなる上は――」
『ミリア、油断するな! 早く抑えろ!』
『え?』
「強制顕現でお許しください!」
言うなり、ルペンが己の胸を持っていた短剣で突いた。
「なっ――!?」
わたしは思わず息を呑む。
短剣を抜くなり、ドバドバドバ! と血が溢れて赤い宝珠に降り注ぐ。
そのとき――
どくりと。
宝珠が、宝珠を取りまく空気が震えた。ビリビリとした圧迫がわたしの身体を刺激する。
わたしは床を蹴った。
もう遅いかもしれないけれど……!
ルペンに肉薄。
その眉間に短剣を叩き込もうとしたが――
今度はルペン側に結界が出現した。盛大な金属音が響き渡り、わたしの繰り出した短剣はルペンの少し手前で止まっている。
短剣を押し込むが、本当に、ピクリとも先に進まない。
こ、これは……。
「はは、はははは! お前だけは――地獄に送ってやるぞ、女!」
ルペンが血だらけの顔で呪詛めいた言葉を口にする。
わたしは言い返した。
「強制顕現ってなんなの!? 封印はしているのに!?」
「封印を無視して甦るのだよ。ただ、完全ではないがな……。時間にも能力にも制限がかかる。おお、魔王様、申し訳ありません! このような形での顕現となってしまい……!」
宝珠から漂う『何かの気配』は圧倒的だった。
「お詫びにこの身を捧げましょう! ご随意にお暴れください! 束の間の自由を!」
男が宝珠を大切そうに抱えて、ナイフで切り裂いた傷口に押し込む。
嫌な予感しかしない。
わたしは短剣を振りかぶり、もう一度、障壁に叩きつけたが――
ばきん!
大きな音ともに、わたしの短剣の刃がへし折れた。
「邪魔をするな! 必ず殺してやるから!」
「うわっ!?」
障壁が爆ぜた。空気のかたまりがわたしの身体を後ろへと吹っ飛ばす。アンゴルモアのいる場所までわたしは戻ってしまった。
ルペンの口から奇声が漏れる。
「ぐごおおおおおおおえええええええ!?」
その身体は肉塊になりつつあった。伸びて縮んて、何か新しいものに生まれ変わろうとしている。
何が甦るかわからないけれど、とんでもないことが起こりつつある予感はした。
「失敗した!」
わたしは地面を手で叩いた。
ルペンを蹴り飛ばすんじゃなかった。あのとき、首を切るべきだった。
……もちろん、人を殺すことにためらいがあったからだが……。殺さずにすめば殺さなくていいようにしようと思ったのだ。無力化して衛兵の詰所に置く――
その考えは甘かった。
『まあ、こういう展開が予想できなかった以上、仕方があるまい』
アンゴルモアは変容を遂げるルペンをじっと見つめている。
『それより、あれをどうするかだ――今のうちに逃げるか?』
「まさか」
時間制限があるとルペンが言っていたから、放置していても勝手に消えるのだろう。だけど、それだと周辺の被害を防げない。
わたしは決めたのだ。
人のために禁術を使うと。
ならば、ここで逃げる選択肢はない。
『よかろう』
わたしの背中にアンゴルモアがしがみついた。
『さて、では互いに頑張ってあれを倒すか』
「手伝ってくれるの?」
『偽魔王を倒す――偉大なる我にはその権利くらいあるだろう。さんざん侮辱もされたしな!』
同時――
ルペンの肉体が急速に膨張した。
屋根を突き破り、何か――そう、まるで巨大な肉の壁のようなものが出現する。
それは大きな人間――巨人の上半身だった。それだけで10メートルくらいはありそうだ。
巨大な単眼がわたしたちを見下ろしている。
『ふん』
アンゴルモアがつまらなそうに鼻を鳴らした。
『魔王を騙るのはお前か、単眼の巨人グリアノス』




