魔王、交渉条件にされる
休日、わたしは街に買い物に出かけた。
もちろん、服装は宮廷魔術師のローブではなくて、シャツの上に上着を羽織り、ロングスカートという普通の服だ。
お出かけお出かけ!
『偉大なる我も連れていけ!』
……口うるさい猫と一緒に。
街を散策して、わたしはお気に入りの洋服店にたどり着いた。
『ここで待ってて』
アンゴルモアを入り口で待たせて、わたしは店に入る。
残念ながら、猫はもふもふして毛が飛ぶため、多くの店で入店できないのだ。
ふふーん。あー、この服いいなー。この色いいなー。
陳列されている服を眺めながら、妄想タイムを楽しむわたし。
そんな感じで平和な時間を過ごしていると――
「ミリヤァァァァァアアアアアアアアアアア!?」
店の出入り口から猫の絶叫が響き渡った。
へ?
なんだか聞き覚えがあるんだけど?
直後、アンゴルモアの思考が流れてくる。
『おい、前人類! なんか知らんが、拉致されておるぞ!? 助けろ!』
え!? 拉致!?
とんでもない言葉に、わたしは持っていたカーディガンのかかったハンガーを戻し、慌てて店を出た。
出入り口の横を見ると――
いない。
そこにいたいはずのアンゴルモアが、いない!?
左右に伸びている通りを見るが、それらしき影はどこにもない。おそらく、すでに曲がり角を曲がったのだろう。
『おーい、こっちだこっち!』
心の声だけは届くけど……。こっち、って、どこ!?
通行人を捕まえて尋ねることにした。
「あの、さっき、猫が連れ去られたりしました?」
「ああ……、泣き喚く猫を抱えた男なら、あっちに走っていったよ」
あっち――もう姿は見えない。
……タイムラグを考えると、追いかけるのは厳しいか。
禁術『開かれし世界の律動』を使って身体能力を強化すれば追いつけるだろうが、この真昼間に超高速で突っ走る勇気はない。
できれば最終手段だ。
そこでふと、脳裏に映像が蘇った。
さっきアンゴルモアがいた場所を確認したとき――
慌てて振り返ったわたしの視界に、店の外壁に貼り付けられた1枚のメモが見える。
『封印術を使った女へ。お前の大切な飼い猫は預かった。今日の夜、地図の場所で待つ。返して欲しければ、誰にも相談せずにひとりで来い』
……なるほど。
そういう理由か。
封印術――というのは、きっと『赤き戒めが閉ざす世界の慟哭』だろう。となると、あの教会にいた男ルペンか……。
とりあえず、時間と場所が指定されているので、そこに行けばいいのだろう。
そして、こう書いてある以上、アンゴルモアの安全も保証されている。
……問題は、だ。
『お前の大切な飼い猫』だ。
わたしは額に手を当てて、心の中で力一杯言い切った。
残念だけど、そんなに大切でもないよ!
どちらかというと、あいつはただの居候で、尊大な口調でわたしの静かな生活を邪魔するめんどくさいやつなのだ。
ぶっちゃけ、いなくなってもあまり問題ない。
むしろ、いないほうが平和だったりする。
いやあ……それを人質にとるのか……。
どうぞどうぞ! 差し上げます! ささみ肉つけて差し上げます! そんな気分だ。
参った。
もうちょっといいもん、人質にとってくれよ……。
悩むじゃん。
見なかったふりをしようかな……。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
夜――
なんて思いつつも、わたしはメモに書かれた場所まで来てしまった。
……わたしには関係ありませんことよ、オホホホ。
と言って逃げたい気持ちはあるのですが。
ちょっぴりかわいそうと言いますか。
それをやっちゃうと、胸に痛むものもありまして。
気が小さくて善良な小市民(実家は貴族ですけど)を標榜するわたしとしましては、やっぱりこう心の天使に負けてしまう部分もありまして。
仕方がない! 助けてあげるからね!
感謝しなさい、アンゴルモア!
で、ここはどこかと言うと――
王都の外れにある大きな工房の前だ。
昔は大手の鍛冶屋が大量の武器防具を作るのに使っていたのだが、その鍛冶屋が潰れてしまった関係で今は廃墟となっている。
外れとはいえ、大勢の人が住む王都の貴重な一角だ。再開発したいのが本音だが、権利関係が複雑らしく調整できないまま今に至っている。
やれやれ、こんな都合のいい場所よく見つけたなあ……。
さて、お招きされた側であるわたしの服装だけど――
黒装束。帽子もメガネも装着済み。腰には大振りのナイフ。
大森林に行くとき用のお出かけセットだ。
何があるかわからないからね……。
詠唱して、わたしは禁術を発動する。
「『開かれし世界の律動』!」
大森林に行くときに使っていた身体強化用の禁術だ。
屋根から屋根にトントントーン! と飛び移りながら移動できる機動力。オーガすら一蹴する攻撃力。
たいがいのことは大丈夫だ。
準備は整――
あ、いけないいけない。
「西から現れし天使――東から現れし悪魔――肉を食み殺し合う――それは世界のありよう――すべては決裂し――分かり合うことなどなく――世界は混ざり合う必要もない――ゆえに私は望む、全てをただ阻むことだけを」
ふぅ、詠唱終了。
今度こそ準備は整った。わたしは閉じている両開きのドアを押し開ける。
大勢の職人たちが働いていた場所だけあって、だだっ広い空間だった。昔は所狭しと工具やら作った武器やらが置いてあったのだろうが、今はからっぽで何もない。
夜なのに、どうしてそこまで見えるかというと――
あちこちに『照明』の魔術が灯されているからだ。
視線の先には、見覚えのある中年男がしゃがんでいて、その足元に布でぐるぐる巻にされたアンゴルモアが転がっていた。
中年男が口を開く。
「おっと、その線よりこっちに来るな。腕は下げたままだ」
なかなか慎重な性格らしい。10メートルほどの距離でわたしはルペンと話す。
「あなた、ルペン?」
「その通りだ」
にやりとルペンが笑う。
茶色いローブは脱いでいて、普通の平民っぽい服を着ている。着ていたローブは引き裂かれて、アンゴルモアをぐるぐる巻にしている布に転生したのだろう。
中年男は左手に赤い宝珠――わたしが放った封印のせいで表面が網包帯みたいになっている――を持って、右手の短剣を油断なくアンゴルモアの首筋に突き付けている。
わたしは内心でアンゴルモアに話しかけた。
『大丈夫?』
『……最悪だ。実に機嫌が悪い』
少し間を開けてからアンゴルモアが続ける。
『よく来たな?』
アンゴルモアとは距離は関係なく喋れるので、メモの内容は伝えてある。
だから、すぐに言わんとしていることの意味はわかった。
『……見捨てたら寝覚が悪いからね』
『ふん、自分のためなら、礼は言わんからな』
こここ、こいつは……!
まあ、いいけど!
ルペンが左手の赤い宝珠を掲げた。
「さて、こいつの忌々しい封印を解いてもらおうか?」




